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「当たり前」という呪いの言葉

ご無沙汰の投稿になってしまいましたが、ようやく時間が出来てきたので、引き続きnoteでの発信を続けて参ります。

さて、本日はともすればうっかりと使ってしまいがちな
「当たり前」
という言葉について取り上げたいと思います。

「そんなの当たり前だ」「それは常識」だという言葉を発する人は、
ちょっと棘のある言葉を使わせてもらうと「老害」に片足を突っ込んでいるのではないかと思います。
また、一種の「呪い」のような言葉であるとも言えます。

というのは、「当たり前」や「常識」という言葉は、その発している本人の価値観を平準化して語っている言葉であるからです。
つまり、狭い世界に居続けてしまう状態にいると思わず出てしまいがちな言葉になるわけです。

言わずもがな、時代は変わるし、過去と比べ、方法論は代わり、価値観も変わります。
その中で、「当たり前」や「常識」という言葉を軽々しく使ってしまうのは危険であると私は感じています。

「何もわかってないことを諭す」という意味で使われる言葉だと思いますが、その言葉の意味が強いが故に、その言葉のパワーが持つ「呪い」に掛かってしまう可能性があります。

非常にわかりやすい例で言うと、
「いい会社に入るためにいい大学に行くのは当たり前」
という親からの言葉です。まさに典型的な「呪い」の言葉だと思います。

もはやツッコミどころが多すぎる言葉です。
 •いい会社って何?
 •いい大学って何?
 •いい大学に入らなければにいい会社に入れない?
 •いい会社にずっと働き続けなければならない?
など、疑問を言い出したらキリがないくらいですが、
一つ言えるのは、この言葉は、
「親の世代ならまかり通ることが出来る可能性が高かった価値観に過ぎない」
ということです。

※余談ですが、最近の東大などいわゆる優秀と呼ばれる学生はこれまで「いい会社」と呼ばれたような大企業ではなく、ベンチャーや海外留学、もしくは起業するという率が高くなってきているようです。

ある特定の世代や組織の中において、「そうすることが多かった」という例を、「当たり前」や「常識」という言葉を通じて、
あたかも「全世界における真実」であるかのように話すことが危険です。

もちろん、「その世界における当たり前のこと」というのはあるかもしれません。
そこを通らないと先に進めないということや、大前提として理解しておく必要があることなども往々にして存在するとも思います。
そういう枕詞をつけて、ある程度丁寧に説明した上で使うのであればまだ納得はできるのですが、
私がこれまで聞いてきた「当たり前」というのは、
「そんなのも知らないの? それじゃ全然ダメでしょ」
といういわゆる「出鼻をくじく」ようなものがほとんどでした。

これがなぜ危ないかと言うと、当の本人にとっては、その世代、業界、会社などについて何も知らない状態でこれを聞いてしまうと、「呪縛」に囚われてしまう可能性があるからです。

そしてそれはネガティブ要素として心に残り続けてしまうこともあります。
「当たり前のことが出来ない私はダメなんだ、常識がないんだ」
という思考に陥ってしまうと、行動意欲は確実に阻害されます。
そこから将来の道を閉ざしてしまったりすることに発展する可能性もあります。

つまり、多様性を阻害している言葉でもあり、可能性を阻害する言葉にもなりうるということです。

ということで、いろんな「当たり前」を真に受けないというのがこれから重要となっていくるのではないでしょうか。

 •子育てや家事は女性が行うもの
 •会社は必ず出社しなければならないもの
 •転職は35歳までが限界
 •定年は60歳

上記したものは当たり前や常識と言われていたものですが、時代の変遷とともに変わってきているのは言うまでもないと思います。

当たり前や常識は時代ととも変わっていくので、いつまでも通用しません。
また、その変わっていく価値観をアップデートを出来なければ、自分の思っていた当たり前や常識はあっという間に単なる「思い込み」へとグレードダウンします。


ということで、そんな呪いの言葉には流されず、
自分の頭で考え、こうしたいと思うに至ったことこそ大切にしていきましょう。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
皆様の貴重なお時間をこの記事にいただいたことを心より感謝いたします。
それでは今日もよい1日を。

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