ひどくざっくり考えるならば 恣意的な差異の体系がある それにより後天的に実体かのように扱われる音や言葉がある そしてその音や言葉は我々の手元にある 我々はその音…
武満徹と木村敏の対談を読んで、なぜか思い出した先輩の修論の話から、ソシュールの話へと飛んでしまったけれど 偶然か必然か、こんな一節を見つけた。 丸山は言語が差異…
武満が「あらかじめ準備された音」で表現することを「セルフィッシュ」と言っていた。 ここには、楽音とそれを扱う自分という、空間的位置関係が存在する。 はたしてソシ…
音と言葉の「準備」と言ったとき、 「準備」とは結局なにを意味しているのだろう。 もちろん「準備」されていたのだから、我々よりも先だって存在している、ということが…
武満の対談でもう一つ思い出したのは、先輩の修論の話だった。 聞けば、その先輩はソシュールの言語観が恣意性を唱えているのに対し、 アラビア語、特にクルアーンは神の…
武満が「準備された音」について語ったとき、僕の頭に浮かんできたのは、夜道で熱唱するアラブ人だった。 就職直前の2月、僕はフランスのブザンソンに1か月滞在していた。…
つまるところ、ヨーロッパの人間が「準備」してくれた音というのは、自分の外にあるような音なのだ。 まるで白いテーブルクロスの上に銀製のフォークとナイフが並んでいる…
木村敏と武満徹の対談を読んだ。 武満がドレミファソラシドを「あらかじめ準備された音」と言うときの その「準備」という言葉に込められた虚しさ、怒り、葛藤たるや。 …
ひょうどう
2024年2月9日 20:50
ひどくざっくり考えるならば恣意的な差異の体系があるそれにより後天的に実体かのように扱われる音や言葉があるそしてその音や言葉は我々の手元にある我々はその音や言葉を積み上げるけどなんとなく我々を取り囲む世界には辿り着かなそうな予感があるこんな感じだろうか。ふむふむ、せっかくだから羅針盤としての暴論を吐いてみよう。なんとなくだけれども、ヨーロッパは形式的、人工的、約束
2024年2月9日 20:48
武満徹と木村敏の対談を読んで、なぜか思い出した先輩の修論の話から、ソシュールの話へと飛んでしまったけれど偶然か必然か、こんな一節を見つけた。丸山は言語が差異でしかないことを、音階のアナロジーを用いて説明している。もちろん丸山が言いたかったことは、最初から世の中にドという音が存在した訳ではない、ということなのだろうが「この音階を用いて作曲家が一つのメロディを生み出した場合に、はじめて
2024年2月9日 18:01
武満が「あらかじめ準備された音」で表現することを「セルフィッシュ」と言っていた。ここには、楽音とそれを扱う自分という、空間的位置関係が存在する。はたしてソシュールの言語観において、人間と言葉の位置関係はどうなっているのだろうか。言葉は我々の手元にあるのか、それとも「音の河」のように我々自身をも包み込むものなのか。おそらく、言語の恣意性という時の恣意性が、人間による恣意性なのであれば
2024年2月9日 17:36
音と言葉の「準備」と言ったとき、「準備」とは結局なにを意味しているのだろう。もちろん「準備」されていたのだから、我々よりも先だって存在している、ということが言える。そしてその「準備」の仕方が恣意的だということが言いたいのだろう。つまり、違う「準備」でもよかったし、なんなら「準備」されてなくてもよかった。それにも関わらず、ある一つの方法で「準備」されていた。だから「準備」に疑
2024年2月7日 18:53
武満の対談でもう一つ思い出したのは、先輩の修論の話だった。聞けば、その先輩はソシュールの言語観が恣意性を唱えているのに対し、アラビア語、特にクルアーンは神の言葉であってそこに恣意性はない、というようなことを発表したらしい。(なんだって?)おそらく事前の論文構想を、何人かの教授の前で発表したのだと思われるが「そんなものは研究ではない」と総スカンを喰らったらしい。(うーん、想像
2024年1月26日 08:08
武満が「準備された音」について語ったとき、僕の頭に浮かんできたのは、夜道で熱唱するアラブ人だった。就職直前の2月、僕はフランスのブザンソンに1か月滞在していた。フランス語を勉強するためだったけれども、なぜか全く勉強する気になれなかった。(猛反省。)ブザンソンはスイス国境近くの小さな街で、留学生がたくさんいた。モンゴル人がチーズ作りを学びに来ていた。(モンゴル人がチーズ職人に
2024年1月24日 17:18
つまるところ、ヨーロッパの人間が「準備」してくれた音というのは、自分の外にあるような音なのだ。まるで白いテーブルクロスの上に銀製のフォークとナイフが並んでいるように、自分の目の前にドレミファソラシドが置かれている。(さあどうぞ!ボナプティ!音符で遊びたまえ!)武満には、仮に「あらかじめ準備された音」をどれだけ壮大に組み上げられたとしても、自分もその中にいるような「音の河」へは届かないと
2024年1月24日 12:49
木村敏と武満徹の対談を読んだ。武満がドレミファソラシドを「あらかじめ準備された音」と言うときのその「準備」という言葉に込められた虚しさ、怒り、葛藤たるや。(うむ。たしかにそうだ。僕は誰かにこのドレミファソラシドを「準備」しておいてくれなんて言った覚えはないぞ!気付いたら「準備」されていたのだ。)武満の正直な葛藤が心に沁みる。音楽に限らず、だれしも自分が生まれるよりも前に作られて