ひょうどう

九鬼周造研究

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記事一覧

#8 形式の役割

ひどくざっくり考えるならば 恣意的な差異の体系がある それにより後天的に実体かのように扱われる音や言葉がある そしてその音や言葉は我々の手元にある 我々はその音…

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3か月前
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#7 音階と言語

武満徹と木村敏の対談を読んで、なぜか思い出した先輩の修論の話から、ソシュールの話へと飛んでしまったけれど 偶然か必然か、こんな一節を見つけた。 丸山は言語が差異…

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3か月前
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#6 人間と言葉の位置関係

武満が「あらかじめ準備された音」で表現することを「セルフィッシュ」と言っていた。 ここには、楽音とそれを扱う自分という、空間的位置関係が存在する。 はたしてソシ…

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3か月前
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#5 「準備」

音と言葉の「準備」と言ったとき、 「準備」とは結局なにを意味しているのだろう。 もちろん「準備」されていたのだから、我々よりも先だって存在している、ということが…

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3か月前
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#4 先輩の修論

武満の対談でもう一つ思い出したのは、先輩の修論の話だった。 聞けば、その先輩はソシュールの言語観が恣意性を唱えているのに対し、 アラビア語、特にクルアーンは神の…

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3か月前
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#3 アラビア語のうた

武満が「準備された音」について語ったとき、僕の頭に浮かんできたのは、夜道で熱唱するアラブ人だった。 就職直前の2月、僕はフランスのブザンソンに1か月滞在していた。…

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3か月前
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#2「音の河」武満徹

つまるところ、ヨーロッパの人間が「準備」してくれた音というのは、自分の外にあるような音なのだ。 まるで白いテーブルクロスの上に銀製のフォークとナイフが並んでいる…

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3か月前
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#1「準備された音」武満徹

木村敏と武満徹の対談を読んだ。 武満がドレミファソラシドを「あらかじめ準備された音」と言うときの その「準備」という言葉に込められた虚しさ、怒り、葛藤たるや。 …

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3か月前
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#8 形式の役割

#8 形式の役割

ひどくざっくり考えるならば

恣意的な差異の体系がある

それにより後天的に実体かのように扱われる音や言葉がある

そしてその音や言葉は我々の手元にある

我々はその音や言葉を積み上げるけど

なんとなく我々を取り囲む世界には辿り着かなそうな予感がある

こんな感じだろうか。

ふむふむ、せっかくだから羅針盤としての暴論を吐いてみよう。

なんとなくだけれども、

ヨーロッパは形式的、人工的、約束

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#7 音階と言語

#7 音階と言語

武満徹と木村敏の対談を読んで、なぜか思い出した先輩の修論の話から、ソシュールの話へと飛んでしまったけれど

偶然か必然か、こんな一節を見つけた。

丸山は言語が差異でしかないことを、音階のアナロジーを用いて説明している。

もちろん丸山が言いたかったことは、最初から世の中にドという音が存在した訳ではない、ということなのだろうが

「この音階を用いて作曲家が一つのメロディを生み出した場合に、はじめて

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#6 人間と言葉の位置関係

#6 人間と言葉の位置関係

武満が「あらかじめ準備された音」で表現することを「セルフィッシュ」と言っていた。

ここには、楽音とそれを扱う自分という、空間的位置関係が存在する。

はたしてソシュールの言語観において、人間と言葉の位置関係はどうなっているのだろうか。

言葉は我々の手元にあるのか、それとも「音の河」のように我々自身をも包み込むものなのか。

おそらく、言語の恣意性という時の恣意性が、人間による恣意性なのであれば

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#5 「準備」

#5 「準備」

音と言葉の「準備」と言ったとき、

「準備」とは結局なにを意味しているのだろう。

もちろん「準備」されていたのだから、我々よりも先だって存在している、ということが言える。

そしてその「準備」の仕方が恣意的だということが言いたいのだろう。

つまり、違う「準備」でもよかったし、なんなら「準備」されてなくてもよかった。

それにも関わらず、ある一つの方法で「準備」されていた。

だから「準備」に疑

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#4 先輩の修論

#4 先輩の修論

武満の対談でもう一つ思い出したのは、先輩の修論の話だった。

聞けば、その先輩はソシュールの言語観が恣意性を唱えているのに対し、

アラビア語、特にクルアーンは神の言葉であってそこに恣意性はない、というようなことを発表したらしい。

(なんだって?)

おそらく事前の論文構想を、何人かの教授の前で発表したのだと思われるが

「そんなものは研究ではない」と総スカンを喰らったらしい。

(うーん、想像

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#3 アラビア語のうた

#3 アラビア語のうた

武満が「準備された音」について語ったとき、僕の頭に浮かんできたのは、夜道で熱唱するアラブ人だった。

就職直前の2月、僕はフランスのブザンソンに1か月滞在していた。

フランス語を勉強するためだったけれども、なぜか全く勉強する気になれなかった。

(猛反省。)

ブザンソンはスイス国境近くの小さな街で、留学生がたくさんいた。

モンゴル人がチーズ作りを学びに来ていた。

(モンゴル人がチーズ職人に

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#2「音の河」武満徹

#2「音の河」武満徹

つまるところ、ヨーロッパの人間が「準備」してくれた音というのは、自分の外にあるような音なのだ。

まるで白いテーブルクロスの上に銀製のフォークとナイフが並んでいるように、自分の目の前にドレミファソラシドが置かれている。

(さあどうぞ!ボナプティ!音符で遊びたまえ!)

武満には、仮に「あらかじめ準備された音」をどれだけ壮大に組み上げられたとしても、自分もその中にいるような「音の河」へは届かないと

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#1「準備された音」武満徹

#1「準備された音」武満徹

木村敏と武満徹の対談を読んだ。

武満がドレミファソラシドを「あらかじめ準備された音」と言うときの

その「準備」という言葉に込められた虚しさ、怒り、葛藤たるや。

(うむ。たしかにそうだ。僕は誰かにこのドレミファソラシドを「準備」しておいてくれなんて言った覚えはないぞ!気付いたら「準備」されていたのだ。)

武満の正直な葛藤が心に沁みる。

音楽に限らず、だれしも自分が生まれるよりも前に作られて

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