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神武東征の旅

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『古事記』『日本書紀』に記される神武天皇の東征譚。史実なのか、つくり話しなのか。東征ルートをたどってみたら何か感じることができるかもしれません。いっしょに時空を超えた旅をしてみま… もっと読む
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第17話 葛城の土蜘蛛とその後

第17話 葛城の土蜘蛛とその後

 神武東征の旅 第17話 葛城の土蜘蛛とその後

 『日本書紀』に記す葛城・高尾張という場所について考えてみたいと思います。

 まず、どういうところかご紹介します。

 各地に高天原の伝承地はありますが、他と違うのは、祀られているのは天照大神ではなく、 高天彦神社の御祭神が高皇産霊神だといういうことでしょうか。

 駐車場の向かいに土蜘蛛の碑があります。

高皇産霊神を祀る一族とは

 「高天彦

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第16話 大和平定と妄想話し

第16話 大和平定と妄想話し

神武東征の旅第16話 大和平定

  長髄彦を倒した皇軍は、その後、帰順しない新城戸畔、居勢祝、猪祝の邑を攻めます。地図で確認しましょう。三か所の伝承地と大和の主な弥生遺跡をマークしています。地図で見ると磐余を中心として周辺の邑(遺跡)は既に帰順していて、今回登場するのは一番離れた場所の部族という感じです。

前回の記事で書きましたが、こうして見ると長髄彦との決戦地が生駒ではやはり違和感ありま

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第15話  長髄彦の巻

第15話 長髄彦の巻

神武東征の旅 第15話 長髄彦の巻

 国中(奈良盆地)へ入ろうとする皇軍を待ち構える兄磯城軍。磯城邑にあふれんばかりです。まずは兄磯城に帰順をすすめるために、頭八咫烏、次に(帰順した)弟磯城。そして初登場?兄倉下と弟倉下(誰? 高倉下? 兄弟いたの?)を行かせますが、兄磯城は承伏しません。そこで軍師 椎根津彦は謀をたて、忍阪の道に女軍(陽動作戦で敵を引き付ける部隊)をやって、敵の精兵を深く誘い

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第14話 宇陀②  忍坂大室の巻

第14話 宇陀② 忍坂大室の巻

神武東征第14話 宇陀その2 忍阪大室の巻

 神武天皇が、八十梟帥をどう打ち破れば良いか思い悩んでいたところ、夢に天神が現れて「天香具山の土で平瓦80枚とお神酒を入れる瓶子をつくって天神地祇を祀り、身を清めて呪詛せよ」と告げます。

さっそく椎根津彦と弟猾に天香久山の土を取りに行かせます。

天香久山

大和三山(畝傍山、天香久山、耳成山)の一つ。天から降り来た山とも言われ、香久山の土には霊力・

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第13話 宇陀の巻① 「国の始まり大和の国 郡の始まり宇陀郡 村の始まり穿邑」

第13話 宇陀の巻① 「国の始まり大和の国 郡の始まり宇陀郡 村の始まり穿邑」

神武東征の旅第13話 宇陀の巻その1

「国の始まり大和の国 郡の始まり宇陀郡 村の始まり穿邑」
という古誦があります。宇陀郡は奈良県宇陀市、穿邑は現在の宇陀市菟田野宇賀志です。

宇賀志の血原

〝記紀〟を要約したような内容でして、短いのでこちらがわかりやすいかなと思い引用しました。

この時の勝利の宴で「久目歌」が歌われました。

宇菟の高城
久米歌にも登場した、皇軍の休息に築いたといわれる、

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第12話  吉野の国つ神の巻

第12話 吉野の国つ神の巻

神武東征の旅 第12話  吉野の国つ神の巻

皇軍は八咫烏の先導で紀伊山地を越え、吉野から宇陀に入ります。

『古事記』は、吉野川の河口に着き、最初登場するのは贄持之子、次に井氷鹿、次に岩押分之子、そして宇陀へ入ります。

『日本書紀』は逆で、まず最初に宇陀に着き兄猾を討ちます。その後に吉野を巡幸され、井光、石押分之子、苞苴担之子の順で登場します。

〝記紀〟共に、石押分之子と井光(井氷鹿)は尻尾

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第11話  八咫烏の巻

第11話 八咫烏の巻

神武東征の旅⑪ 頭八咫烏の巻

八咫烏登場

『日本書紀』は天照大神が神武天皇の夢に現れて、『古事記』は高木神が高倉下に告げて、八咫烏を遣わします。八咫烏が先導して皇軍は無事紀伊山地を越え吉野から宇陀へ入ることができました。

どういうルートを行ったかはわかりませんが、例えば、修験道の修行の道「 大峯奥駈道」を縦走して熊野から吉野へ向うと6日間程かかるそうです。

八咫烏とはいったい何者?

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第10話  熊野の巻

第10話 熊野の巻

【いっしょに〝記紀〟を旅しよう!】第10話 熊野の巻

今回も「日本書紀」の記述をたどります。

狭野は現在の和歌山県新宮市佐野周辺。
「狭野を越え」。通過しただけだからか、顕彰碑は今まで見た中で一番残念な感じでした(汚れていました)。

神邑の伝承地は、新宮市三輪崎 阿須賀神社。境内に神邑顕彰碑があります。

天磐盾は神倉神社。

 二柱の神は王子神社に祀られています。「古事記」は、そもそもお二

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第9話 五瀬命死す その2

第9話 五瀬命死す その2

神武東征の旅 第9話 五瀬命死す その2

 五瀬命が「賤しい奴のために手傷を負って死ぬのか」と怒り嘆いてお亡くなりになった。それでその港を男水門という(古事記)

 「日本書紀」は、亡くなるのは紀国 竈山、雄たけびをあげたのは茅渟海の山城水門でした。

 和歌山市にある水門吹上神社に、「古事記」に記す男水門の顕彰碑があります。

 〝記紀〟共に、墓は竈山と記します。和歌山市和田の 竈山神社。本殿

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第8話  五瀬命死す その1

第8話 五瀬命死す その1

神武東征の旅 第8話 五瀬命死す その1

まず日本書紀の方から、

 古事記には「ちぬのうみ」の語源が記されます。

 〝記紀〟の記述を元に、和泉国(大阪府泉南エリア)と紀伊国(和歌山)に伝承地があります。

まずは、「皇軍は(和泉の海)茅渟の山城水門(別名 山井水門)についた」という記述に関連する伝承地を訪ねます。

 大阪府泉南市男里にある 男神社(おたけびの宮)。ご祭神は、神日本磐余彦命

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第7話  孔舎衛坂の巻

第7話 孔舎衛坂の巻

【いっしょに〝記紀〟を旅しよう!】第7話 孔舎衛坂の巻

 3月10日、河内国 草香邑に到着した皇軍は、兵器を整え、4月9日 竜田に向けて歩いて進軍を開始したが道が険しく引き返しました。

 一旦引き返した皇軍は、今度は一気に生駒山地を越えて内つ国(大和)へ入ろうとしたんですが、それを察知した長髄彦軍が全兵力を動員して待ち構えていて、孔舎衛坂で激戦となりました。

 皇軍が山を越えようとした道が日

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第6話 難波碕の巻

第6話 難波碕の巻

 神武東征の旅 第6話 難波碕の巻

その時の様子を、

と記します。

「古事記」は浪速国の由来について記述はありません。

到着したのが草香村の白肩之津。〝青雲の白肩津〟と瑞祥表現が使われているので、ピンポイントでここという場所はわかりませんが、「津」は港。草香村は古くからの地名で現在の東大阪市日下町あたりです。

上の地図を見ていただくとわかりますが、赤丸の場所(東大阪市日下町)

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筑紫を出航した船軍は、響灘から日本海へ向かうのか?と思いきや、関門海峡を引き返して瀬戸内海を行き岡山に着いた

筑紫を出航した船軍は、響灘から日本海へ向かうのか?と思いきや、関門海峡を引き返して瀬戸内海を行き岡山に着いた

 【いっしょに〝記紀〟を旅しよう!】第5話 吉備国高嶋宮への巻

日向を出て4ヶ月で吉備に到着、そこで3年滞在。日本書紀に記され行程を表にすると、

「古事記」は、年月日の記述はなく、筑紫 岡田宮で1年、阿岐国 多祁理宮で7年、吉備 高嶋宮で8年と滞在期間のみ記します。読み比べると違いがあるんですが、ここでは日本書紀の記述にそって話を進めます。

多家神社

埃宮の伝承が伝わる多家神社

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日向を出港し、椎根津彦を水先案内とした船軍は途中宇佐に立ち寄り、なぜか筑紫の岡水門へ向かいました

日向を出港し、椎根津彦を水先案内とした船軍は途中宇佐に立ち寄り、なぜか筑紫の岡水門へ向かいました

【いっしょに〝記紀〟を旅しよう!】第4話 筑紫への巻

 速吸之門

 日向を出発した神武天皇の船軍が速吸之門(豊予海峡)に至ったとき、珍彦という漁師が小舟に乗って現れました。天皇は珍彦に椎のさおをさしわたして舟に引き入れ椎根津彦という名前を与え水先案内としました(日本書紀訳)。

 椎根津彦は水先案内だけでなく、後に大和の天香山の土を採取、兄磯城討伐などでも活躍し、東征メンバーの中で智将的な働き

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