見出し画像

催眠少女の眠り薬。2014.4.25の私より

雨の日は、あの家の窓ぎわを思い出す。カーテンのところ、隅っこ。モモちゃんシリーズの本を図書館で借りてきて読んでいた。雨の日は、いつだってあの頃の私みたいに 部屋の中で静かに眠っていたい。モモちゃんの話のように死神は現れない。

晴れた日には、あの光が溢れる部屋の中で 日向ぼっこをする。ベランダに干してある、ゆらゆら風に揺れている洗濯物を眺めながら 生きていると感じる。時間は無限にあるのだと錯覚をしている。

昔から、私の家に来るともだちは、私の部屋に来ると「ひぃちゃんと一緒にいると眠くなる」と言ってよく昼寝をしていた。私もともだちに構わず昼寝をしたし、ネコのように自由に時間を過ごした。

睡眠薬のような薬をばらまく私は、いつの間にかあの部屋をなくし、今は新しい部屋に住んでいる。昔の家より今の部屋は光が足らない。リビングに一番心地よい光が差し込んでいる。

そんなことを、ふと思い返した。

最近は元気なのか元気じゃないのか頑張ってるのか頑張っていないのか、よくわからないの。ただ、再生ボタンが押されないままイヤホンを耳にさして歩いているような感覚なのです。

見える世界も聞こえる世界も遮断してしまったら意味はないのに。差し伸ばされる手にも、振り払われる手にも どちらにも怯えて生きている。

それでも少しずつ、自分の足は歩むのを止めてはいないの。

これは誰にでも起こる日常、みんなが生きている世界。何も、私に特別はないのだろうが、自分を自分で特別に磨き上げて生きていたいの。

歌えなかった歌が、踊れなくなった踊りが、くるくる回る私の中から溢れて止まらない。

夢を見ても、現実を見てもさほど何も違いはなく、夢の中で交わした約束でさえ本物だと信じてしまったりもする。

難しい言葉も、難しい考えも本当は何も必要ないのに、中心に立つ私の中の私の軸がなぜだが上手くコントロールできない。

綺麗なところだけ、綺麗なものだけ、綺麗な顔だけ、綺麗な綺麗な綺麗な綺麗な あなたは一体何をしたいの?どうしたいの?だからダメなんだ、そういうところがダメなんだ、ダメダメダメ…



私の生きている、世界。
右も左も本当はないんだろう。

人間が全て決めたの。右が決まれば左が決めれるから。前があれば後ろができるから。基準を定めれば安心できる人もいるし、不安になる人もいる。そうやって物事は成り立ってる。

大切なものを失うだけだったら、人は成長なんてしない、そんなもので成長するのならば大切なものを掴んで離すなんてしたくない。そう思うだけ思って私はきっぱり手を離す。あっけなかった。

「明日」がずっと「明日」のままいてくれたら、在り続けてくれたらいいのに。期待も不安もずっとあっていいから。「明日」が来るということを待っていたい。過ぎてしまうのは早い。時間も空間も世界も掴むことなんてできないわ。私の頭の中だけで留めることができる。私が見た世界は私にしか残らない。残ってもすでに失われている。

わからないものをわからないままにしておけるのが大人になるということなのではないの?正解を見つけることが大人なの?そんなのは宿題を出されている子どもとかわらない。わたしは私の人生に正解なんて無いと知っている。正解を見つけるために生きるのではないと知っている、わたしは私のこの思い全てを抱えて、たまにしまいこんで、たまに撒き散らしながら生きるのだと思う。

何も正解じゃない、何も間違えじゃない。ただ、私はここにいる。それは事実、ちゃんと何かをしたいと 向き合って時間はかかりながらも考えて悩んで 少しずつ一ミリずつでも毎日生まれ変わっているの。

大好きだよと言ってくれる人のために生きたい、大好きだよと自分に言えるように生きたい、大好きな人に大好きよと言って抱きしめられる私でありたい。私が私で生きるということを一生かけて見つけていく。小説に終わりがないように、そうやって続く中のワンシーンのような人生を生きるの。

そう。そうやって生きるの。

何が言いたいとか、何を訴えたいとかじゃない。出てきた言葉をそのまま打っただけ。それだけ。


生きろ。






(この文章は過去に木村仁美が書き残したものをnote用に再掲したものとなります。)

#記録 #エッセイ #ブログ #言葉 #ことば #記憶 #雑記 #過去 #日記 #blog #写真 #文書 #思い出 #人生 #ライフスタイル #モデル #生きる

頂いたサポートは、木村仁美(Chami)の日々の活動・制作にまつわる費用。都内までの交通費や、生きるためのあれこれ…として大切に使わせて頂きます!涙 いつも、いつも、応援ありがとうございます。