見出し画像

【読書】修復的司法に関する本2冊

「ケーキの切れない非行少年たち」のベストセラーに見られるように、非行に至る以前の発達障害、認知のゆがみ、環境的要因などへの理解が浸透しつつあるように思う。
私も最近それを知りつつある一人だ。

(「ケーキの切れない非行少年たち」については既にnoteでたくさんの記事が上がっているためここでは省略する。)

ただ、こうした本を読むにつけ、犯罪は刑罰を科して終わりではなく、被害者の身体的・精神的・経済的な傷つきへのサポート、被害者側の家族・遺族の生活や尊厳の回復、加害者の更生・社会復帰等、様々な問題を包含していることがわかる。

修復的司法についても、問題意識としては似ているのではないかと思う。

以下、備忘的に記す。

修復的司法とは何か―応報から関係修復へ

修復的司法の第一人者でもあるハワード・ゼアの本。
修復的司法の理念を纏められている。

海外の本だけに若干、宗教的色彩が目立つ。
また、修復的司法への反省から提唱されたという歴史を持つからか、刑事司法と修復的司法とが二項対立で述べられている感が否めない。
実際に日本でも犯罪被害者の裁判プロセスへの参加等に関連した法改正が進んでいるように、両者は必ずしも対立するものではないように思う。

以上の点が少し気になるものの、修復的司法の基礎を理解できる良書だ。


修復的アプローチとソーシャルワーク―調和的な関係構築への手がかり―

我が国への修復的司法の適用に当たってその目的、概要、実例、限界、実践面での留意点及び課題をまとめた本。


修復的司法の視点

1.誰が危害を受けたのか
2.危害を受けた者のニーズは何か
3.そのニーズを果たすのは誰の役割か
4.原因は何か
5.本件の関係者は誰か
6.状況を質すために関係者を巻き込むための方法は何か

などの問いかけが明らかにされる必要がある。
ただ、忘れられてならないのは、修復的アプローチが危害が生じたときにそれを修復する手段であると同時に、アンブライト(Umbreit、2007)が強調するように、子どもたちが日々の生活において、他者といかに共生していくかという生き方を示す方法でもあるということである。


修復的司法の限界

修復的司法への認知の高まりが、それを受け入れ難い被害者側をより追い詰めてしまいかねないこと

修復的アプローチにより被害が修復可能だというイメージは、一般市民に希望を与えるかもしれないが、それを導入しない遺族は、いつまでも立ち直れないと思い込まされ余計に追い込むことになるかもしれないとしている。
修復的司法が、被害者のニーズに応えることを第一義とした考え方であるとしても、被害者サイドが赦しを押しつけられていると感じるようなことがあるとすれば、それは修復的司法の主旨から大きく逸脱てしまうことになる。
その実践においては、修復的なアプローチそのものが二次的な被害を生み出す構造にならないよう十分に考慮することが不可欠であることを改めて強調しておきたい。


教育現場への適用における課題

当事者の参加を前提とする修復的アプローチにおいていじめ問題への適用には注意すべき点がある。
それは、いじめの事案では力の不均衡があるということである。
対話プログラムが安易に実施されると、被害者は二次的な被害を受けることにつながる。わが国の学校でも見受けられる、いじめた側といじめられた者とが同席して、加害者が教師に促され謝罪しそれを被害者が受け入れるという形態が効果を発揮するというよりも、むしろいじめをエスカレートさせることにつながるというケースがそうである。加書者の側に、自らの行為を悔い相手に対して謝罪する気持ちもなく、被害者の側にも加害者と対面するだけの精神的な余裕がない場合には、対面の場は建設的な結果を生み出すことはないでろう。

最後に

修復的司法については学術上の明確な定義がなく、また取り組みは国や地域によっても様々だ。

修復的司法それ自体の是非というよりは、ケースごとに細分化して、適用するのに効果的な事例を積み重ねていくべきではないかと思う。


mie

この記事が参加している募集

読書感想文