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三島由紀夫論2.0

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まことのお姿 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む49

まことのお姿 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む49



恐ろしい核

 紙の本を出版する。図書館に収められる。その本には勘違いが書かれている。こんな悲惨なことは他にあるまい。書くということは恐ろしいことだ。自分が新潮社の編集者で、平野啓一郎の『三島由紀夫論』に関わっていて、私の記事を読んだとしたら死にたくなるだろう。では何故私はこんな残酷なことをしているのであろうか。.

 それは例えば夏目漱石作品が徹底的に誤読されているからだ。

 おそらく平

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目の前に拝むものがあるのに 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む48

目の前に拝むものがあるのに 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む48

いくつもの天皇像がある



 つまるところ平野啓一郎の『三島由紀夫論』の最大の問題は、「天皇」の複雑さを捉えきれていない点にあるのではなかろうか。それはまず三島由紀夫の「天皇」、「天皇観」と言ってもいいし、現実の天皇、或いは天皇制と言ってもいい。

 この飯沼勲のような純粋な表現はある意味では正しい。しかしその正しさは何故飯沼勲は宮城の前で腹を切りたいとは願わなかったのかという疑問を無理やり払

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「も」じゃない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む47

「も」じゃない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む47

 平野啓一郎は三島由紀夫の辞世の句の説明に続いてこう述べる。「28 自刃」においてのことである。普通に読めばこの「も」は三島由紀夫にかかる。三島由紀夫にとっても、重要なのはただ死ぬことだけである? ならば顔の分からない天皇など三島由紀夫にとってはミリンダ王や阿頼耶識のようなものであったと平野啓一郎は気がついていたのであろうか。

 この「28 自刃」に関しては既に指摘した通り平野の自刃の定義と三島

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眼ざしの頭もいらない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む46

眼ざしの頭もいらない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む46

 見出し画像は大阪毎日新聞社 編大阪毎日新聞社 1921年刊行の「皇太子殿下御渡欧記念写真帖 第4巻」の中にある東宮殿下(後の昭和天皇)の写真である。国立国会図書館デジタルライブラリーで確認できる。

 すでにいくつか並べてみた通り、皇太子時代の裕仁殿下の顔には何種類かのパターンが見られる。

 気になるのは写真帳に後ろ向きや斜め後ろから撮影されたものが多く、顔が一切わからないものが少なくないとい

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何故神仏混交なのか 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む45

何故神仏混交なのか 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む45

何故仏教なのか

 転生は仏教独特の世界観というわけではない。しかし『豊饒の海』が『堤中納言物語』に材を得た輪廻転生の物語であると言われてみれば仏教的な話題が繰り返し現れることにさしたる不自然さもないように思われる。それでも敢えてそこに引っかかってみると、そもそも三島由紀夫は何故阿頼耶識に取りつかれたような演技を大げさにして見せたのか、ということが気になってくる。

 三輪山に鎮まるという大物主大

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小市民などいない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む44

小市民などいない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む44

 現実の歴史の話をしてみれば『春の雪』の時代設定の当時、つまり大正元年から三年にかけての宮家は伯爵家から嫁を迎えることもあり、反対に宮家の王女が侯爵家に御降嫁(ごこうか)することもあった。伯爵侯爵と言っても家柄はまちまちであり、すべての侯爵家にその資格があるわけではないが、例えば松枝清顕が宮家の王女を迎える可能性も全くないわけではなかったという理屈にはなる。

 かといって天皇が清顕にとって到達可

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その時三島の〈天皇〉はいない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む43

その時三島の〈天皇〉はいない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む43

 平野啓一郎の『三島由紀夫論』は小林秀雄賞を受賞している。このことはあの國分功一郎までもが三島由紀夫作品をほとんど読んでいないか、すっかり内容を忘れてしまっているという残念な事実を意味することになろうか。

 この人の『はじめてのスピノザ』を読んだ時、本当に頭の良い人というのはこういうものかと感心した記憶がある。しかししばしば柄谷行人に惑わされるなど、残念なところがあったのも事実である。もしも平野

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避けられたはずだ 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む42

避けられたはずだ 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む42

 一人の作家が肉体的な死を迎えることは悲しむべきことだが避けられないことである。しかし同時に二人の作家が作家として葬り去られるのは避けられたはずではなかろうか。平野啓一郎は一貫して理性的であろうとしている筈であるし、明晰である筈である。しかし平野啓一郎の『三島由紀夫論』にはところどころそうではないところがあるように私には見える。

 細かいことのようだが物語の組み立てを理解し、出来事の順序を理解す

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歴史の悲劇ではない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む41

歴史の悲劇ではない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む41

 結局問題は夏目漱石作品が読めない程度の国語力の問題なのではなかろうか。そして自身の国語力の欠如に気がつかず、生涯を終えてしまう。

 天才作家平野啓一郎は「22 「文化意志」としての清顕」でこう述べて、自身の国語力の欠如をさらけ出してしまう。昨日明らかにしたような蓼科の策略を確認してみれば、それがけして「歴史の悲劇」などというものではありえないことが明らかであろう。

 蓼科の視点から眺めると

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だしに過ぎない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む40

だしに過ぎない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む40

 『春の雪』第三十八章、思い通りに聡子に会えない清顕はこんなことを思ってみる。

 清顕の考えは深沢七郎の『風流夢譚』そのものだ。あるいは第三巻のドイツ文学者のような考え方ではあるまいか。

 三島の、清顕の言い分は天皇を弑すとまでは言っておらず、具体性を欠くことから事件にはならない。それは『風流夢譚』だけではなく『宴のあと』によっても学んだ教訓があるからで、具体的な実在の人物に刃を向けることはで

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決心はあったのか 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む39

決心はあったのか 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む39

 平野啓一郎の『三島由紀夫論』の主要参考文献には『春の雪』三十五章で本多が取り上げる北輝次郎著『国体論及び純正社会主義』は挙げられていない。

 『春の雪』を論じるならば、この本にはこうした当時の三井岩崎に対する意識というものが現れるほか、繰り返し天皇の問題が論じられていることを確認すべきであったのではなかろうか。この本を読むということは少なくとも社会主義的天皇というものを本多が知っていたという

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野菜も残さず食べなさい 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む38

野菜も残さず食べなさい 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む38

 平野啓一郎は『豊饒の海』の物語構造を捉えるため、「5「生まれ変わり」の由来」「12 唯識における輪廻」「41 勲の転生」 などで繰り返し転生というものの考え方を確認して来た。
 特に「12 唯識における輪廻」において「仏滅後に、それが教理として体系化されていった」というところの阿頼耶識による転生というものを確認し、最終的な三島の転生観としたい様子が見られる。

 しかしながら『豊饒の海』の物語に

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単純には還元されない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む37

単純には還元されない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む37

 さて平野啓一郎は「兵庫髷」をご存じであろうか。『春の雪』第二十九章に出てくる女性被告人の髪形について「兵庫に結つて」と書かれていて、おやっと目に留まるところだ。

 一言で言えば江戸時代の遊女の髪形の一つで、大正時代にはとても珍しい髪形である。何やら意味ありげだが意味は掘り下げられない。

 被告人の女は小太りの三十一歳。日本橋区浜町の平民、増田とみ。ちなみにこの「平民」という区分は「貴族」との

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入れ替わっている 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む36

入れ替わっている 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む36

 蓼科を仲介者として結ばれた聡子と清顕は、また蓼科を仲介者として結ばれたみねと飯沼と対になる。聡子と清顕の子供は殺され、みねと飯沼の子は生まれてやがて本多に見いだされる。この子も対になる。みねと飯沼の子は清顕の尽力によって齎されたという意味合いもあるからだ。確かにある意味、みねと飯沼の子は聡子と清顕の子の身代わりなのだ。         
 最初に禁を犯して女中に手を付けたのは飯沼だった。清顕はま

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