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「人魚のミイラ」解明と日本の隠れた科学技術

人魚のミイラについてついに判決?が下りました。

ようは、
長年人魚としてまつられていたミイラを科学調査した結果、魚であることが分かった、
という話です。

この手のものを信じない人にとっては、「そりゃそうでしょ」で一蹴するかもしれません。

今回調査に使ったのは、DNA分析でどんな魚に似ているのか、そして放射線炭素年代測定で時代を推測し、さらには内部構造をCTスキャン(コンピューター断層撮影法)やX線で調べました。

以前にエジプトのミイラでの新発見と近年のCTスキャンの技術改善について触れたので、引用しておきます。

今回の調査で分かったのは、魚(「ニベ」らしい)や綿などで成形した工作品だったとのことで江戸時代に作られたそうです。
お寺に預けられた経緯は不明ですが、当時の古書には「奇怪な魚」や「人魚」という記載があり、大事に祀られていたようです。

ふと疑問に思ったのが、人魚と聞けば北欧の民話、特にデンマークの像が有名です。(ややネガティブな記事が多いですが)

日本での人魚の位置付けが気になったので調べてみました。

上記記事によると、初めて「人魚」という言葉が使われたのは10世紀で、子供のような声で無く生き物と定義づけられていたようです。その手の目撃談があったのでしょう。

興味深いのはその意味合いで、鎌倉時代では不吉なものとみられていたようです。

当時の有名な歴史書に「吾妻鏡(あづまかがみ)」があります。武家政権になっての初の記録ですね。
一般的に知られているのが、源氏より北条家寄りになった記述が多いもので、当時の政権の意図が反映されたものかもしれません。(念のため添えておくと、途中で源氏から北条家が実権を奪取)
その書では、人魚の出現が大事件の前触れとして結び付けられています。

江戸時代になると状況が変わってきます。

どうも、中国の薬草研究とオランダの医学研究が融合され、なぜか人魚の肉が体に良い、もっといえば寿命を延ばすという伝承に変わったようです。

確かにいわれてみると、日本の話で人魚の肉を食べて不死身になる、というのを子供のころに聞いた記憶があります。

上記記事には、まさにそれと同じ話と思われる「八百比丘尼(やおびくに)」について触れられています。
「口裂け女」や「トイレの花子」さんのように色んなバリエーションがあるようで、逆に言えばそれだけ人気だった証拠でしょう。

一番興味深かったのが、その後の話です。なんと日本が人魚を輸出していたというのです。

そのころにはご利益(りやく)を得るものとして絵画だけでなく工作品も出回っていたようです。このあたりで今回対象となった「ミイラ」も作られたのでしょう。

黒船で有名なペリー提督の記録「日本遠征記」でも、日本人の科学的知識と創意工夫の例として、「人魚のミイラ」づくりに言及しているとのこと。

江戸時代の商売意図だとしても、そもそも「ミイラ」自体もエジプト、つまり海外での発想です。

これについての調査は上記には載ってませんでしたが、これはおそらくは、中国から来た「即身仏」という風習も影響しているのかもしれません。

数年前でも、中国製の仏像の中に即身仏が入っていることで話題になりました。

日本でもいくつか即身仏の実例がありますが、一番有名なのは、密教の真言宗の開祖「空海」だと思います。
今でも生き続けているとみなされ、毎日食事を運んでいるそうです。

エジプトのミイラは、乾燥地域のため自然に出来るパターンもありますが、日本は温暖湿潤気候なので、人工的な加工が施されていた可能性が高いです。
おそらくペリーもそういった処置も含めて科学技術の視点で驚いたのだろうと思います。

日本は島国で、かつ江戸時代は長年鎖国を敷いていたため、西欧学問がほぼ閉ざされていました。
ただ、だからこそ独自の文化・科学技術が成熟したケースもありそうです。

今回のミイラ騒動で、文明開化前の日本の隠れた科学技術に興味がわいてきました。

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