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芸人関連のnote。

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ややイタい。
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今年のクロサワをふり返る。

今年のクロサワをふり返る。

東です。
芸歴4年目。
無所属。

クロサワというコンビでお笑い芸人をやっています。
拙い文章ですが何卒宜しくお願いします。

2023年は、自分にとってとても大きな一年だった。

挑戦したこと、失ったこと、得たこと、報われたこと、報われなかったこと、どれも今年は多くて密度があった。

「もう一年か」と思う瞬間もあるが、スケジュール帳を振り返ると「まだあれから一年しか経ってないの?」とも思うので不

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芸人になった理由を探して人生を振り返る。

芸人になった理由を探して人生を振り返る。

「なんで芸人になったの?」と聞かれることがある。

大抵の場合、ヘラヘラしながら「小学生の頃からの夢で〜」と答える。

嘘ではないが、理由になってるか?とも思う。

理由なんてつけようと思えばいくらでもつけられるが、本当はなんで芸人になったのか、しっかり考えたい。

俺が最初に芸人になりたいと思ったのは小学生の頃。

当時の大好きな番組『黄金伝説』。
その中でも『よゐこの無人島0円生活』が好きで、

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女芸人の凄さ。

女芸人の凄さ。

『女芸人No. 1決定戦 THE W』の決勝を観た。

優勝は『紅しょうが』さん。
全組、めちゃくちゃ面白かった。

個人的にはポ師匠の同期で面識のある『まいあんつ』さんと、会ったことはないがモチダ軍団の後輩である『梵天』を応援していた。

梵天は1年目で決勝に行ったこと自体が凄いことだし、会場に怖気付く事もなく自分たちの色を出していた事も凄い。
俺は今後、先輩だからといって全く偉そうにすることは

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本当にお世話になった最高の先輩『ツヨシっ!』さん。

本当にお世話になった最高の先輩『ツヨシっ!』さん。

今日(2023/12/05)をもって、俺の尊敬する先輩『ツヨシっ!』さんが活動休止する。

『ツヨシっ!』は俺の師匠『モチダ・ポ・ソフィ』さんと、その相方『ノディ』さんによる女芸人コンビである。

芸歴は俺より約4年上なので大体7,8年くらいだ。
養成所の頃からコンビを組んでいるので、かなりの長い期間2人は一緒にいたことになる。

どれだけおもしろい人でも、売れている人でも売れていない人でも解散し

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もし芸人の給料が年俸制だったら。

もし芸人の給料が年俸制だったら。

プロ野球はオフシーズンになり、現在は各球団で契約更改が行われている時期だ。

活躍した選手は年俸〇〇万アップ、活躍できなかった選手は〇〇万ダウンと日々報道されている。

今年の実績を当てはめて、自分だったら年俸アップしてるかな、と想像してみようと思う。

まずは入団1年目。

アマチュア時代にハイスクール漫才準決勝、鈴鹿高専で俺が一番おもしろいグランプリ準優勝等の実績をあげる。

その後入団テスト

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好きなことを仕事にするのは悪いことなのか。

好きなことを仕事にするのは悪いことなのか。

『1番好きなことを仕事にしてはいけない』というのはたまに聞く言葉だ。

1番好きなことを仕事にしてしまうと、それを楽しむ事ができなくなると言われている。

これは確かにそうだ。

俺は今でもお笑いが好きだが、芸人になってから子供の時ほど素直にはお笑いを楽しめてはいないかもしれない。

だが好きなことを仕事にしている身から言わせてもらうと、それでもやっぱり芸人になってよかったと思う。

これは人によ

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同級生が作家になった。

同級生が作家になった。

去年の4月ごろ。
高専時代の同級生、馬路くんが何故かは知らないが上京してきたので、何人かで飲みに行った。
ちょうど大学を卒業した年だったし、こっちの大学院にでも入ったのかなと想像していた。

歩きながら、なんで東京来たん?と聞くと、
「実は俺、作家の養成所通ってるんよ」
と予想外の回答をもらった。

作家といっても、小説家ではない。
テレビやラジオの番組で案出しや台本を書いたりする、放送作家である

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養成所の授業で学んだこと。

養成所の授業で学んだこと。

芸人の養成所というのは今思えばかなり特殊な環境だった。

俺の通っていたワタナベコメディースクール(通称WCS)には週1回(土曜or日曜)、週3回(午前or午後)、週5回と大きく分けて三つのコースがある。

俺は週3回の午前。
Cコースといわれるクラスに通っていた。

授業はネタ見せの他に、大喜利、エピソードトーク、写術、発声、演技、ダンスなどがあった。

演技の授業とダンスの授業だけは専門の俳優

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養成所時代の一年間。#4

養成所時代の一年間。#4

前回のお話☟

なりゆきでアシィスと組んでしまった俺ではあるが、ライブで良い結果が出たのでまあええか。とは思っていた。

だがその頃から、養成所をやめた鯉沼がうちに通ってくるようになった。

養成所を辞めてからバイト先の人と一緒に少しネタ合わせをしたり、公園で漫才をしたりしたようだが結局上手くいかなかったようである。

そもそも鯉沼の能力はともかく、あの性格では誰とコンビを組んでも長続きしないこと

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養成所時代の一年間。#3

養成所時代の一年間。#3

前回のお話☟

鯉沼が失踪し、SMLまであと2、3日しか時間がない俺とアシィスは、当然2人でライブに出ることとなった。

アシィスの家に泊まり込みでネタを作るしかない。

アシィスの家でノートを開くもネタが中々思い浮かばず、愚痴ばかりが頭を巡っていた。

別にコイツと組みたくてお銀と解散したわけじゃないのになあ。なんでアシィスと漫才やることになったんや。ていうか鯉沼はどんだけ身勝手な奴なんや。アイ

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養成所時代の一年間。#2

養成所時代の一年間。#2

前回のお話☟

おちん銀ず改めハッピーチャッピーは無事初めてのライブを終えた。

今の時代、芸人になるのは大卒や社会人経験者が多い。同期のほとんどが年上だった。

同じクラスに10代は俺の他には2人だけ。

ナイジェリアと日本のハーフであるアシィスと、現在の相方でもある鯉沼である。

アシィスは一個年下で、高卒ですぐ養成所に来たタイプだ。
この年代は他のクラスにもちらほらいた。

俺の場合、高専を

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養成所時代の一年間。#1

養成所時代の一年間。#1

WCSとはワタナベコメディスクールの略称で、芸能事務所ワタナベエンターテインメントの養成所である。

2019年の4月、俺は高専の時にコンビを組んでいたお銀黒川と共にそこへ入学し、WCS30期となったのだ。

WCSは授業を受ける日程によってクラスが違い、週5日、週3日(午前か午後)、土日どちらかの週1日のコースがあった。

お銀は大学に行きながら養成所に通うため、日曜コースに行くこととなった。

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師匠との出会い。

師匠との出会い。

俺の師匠の名は『モチダ・ポ・ソフィ』。
ワタナベエンターテインメントに所属するお笑いコンビ『ツヨシっ!』のキャプテンである。(Wikipedia参照)

俺がポ師匠と出会ったのは19才の頃、ワタナベの養成所に入るために上京して初めて働いたバイト先である。

面接に受かり数回目の出勤でバイト先へ向かった。

店へ入るとそこには

赤色のシャツに

デニムのハーフパンツ

そして麦わら帽子を被った人が

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なぜ師匠と慕うのか。

なぜ師匠と慕うのか。

俺の師匠の名は『モチダ・ポ・ソフィ』。
ワタナベエンターテインメントに所属するお笑いコンビ『ツヨシっ!』のキャプテンである。(Wikipedia参照)

師匠の話をするとよく「どうやって弟子入りしたの?」と聞かれるけど、そもそも現代の芸人に弟子入りとか師匠とかいう概念はあまり無い。

NSC(吉本の養成所)ができる以前は売れてる芸人に弟子入りして、付き人を何年か経てから芸人としてデビューするってい

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