見出し画像

#536 利休・織部・遠州の「美学」と「時代の節目」に触れる 〜三井記念美術館「茶の湯の美学」〜

東京日本橋にある三井記念美術館で6月16日まで行われている「茶の湯の美学 -利休・織部・遠州の茶道具-」を見てきたので、感想をメモ。


1、どんな展覧会?

三井記念美術館で行われている『茶の湯の美学-利休・織部・遠州の茶道具-』という展覧会で、三井家伝来の膨大なコレクションの中から、三者三様、それぞれが好んだ茶道具を通じて千利休の「わび・さび」、古田織部の「破格の美」、小堀遠州の「綺麗さび」を比較できる展覧会です。

HP上の案内は以下の通り。

三井家から寄贈された美術品の中で茶道具は、江戸時代以来長年にわたり収集され蓄積したもので、数と質の高さにおいては他に例を見ないものです。茶の湯の歴史を研究する上でも貴重な作品群となっています。
今回の展覧会では、その中より桃山時代から江戸時代初期、茶の湯界をリードした千利休・古田織部・小堀遠州の茶道具を選び、それぞれの美意識を探ります。
近年の茶道史研究では、茶の湯の歴史を問い直す研究が多く発表され、著名茶人の「作られた伝説」を見直し、「真実の姿」が追究されています。今回の展示はその動きを視野に入れながらも、3人の美意識を、利休の「わび・さびの美」、織部の「破格の美」、遠州の「綺麗さび」という従来の捉え方で展示を構成いたします。
茶道具という「物」そのものをご覧いただき、そこから利休・織部・遠州の美意識を感じ取り、茶の湯の美学という観点から3人の「真実の姿」に想いを馳せていただくことを趣旨としています。



2、「わび・さび」「破格」「綺麗さび」を比較、実感!

数年ぶりの訪問となったのですが、「半沢直樹」などのドラマでもよく使われる旧三井本館の歴史のある建物内にあるだけあって、リフォームしているとはいえ端々に歴史を感じさせる館内となっています(なので天井低いですし柱の間隔も狭いです)。

そんな館内には国宝を含む貴重な茶道具が、それこそずらりと。壮観です。
正直言いますと、過去にも何度か行っているので、収蔵品でも代表的なものは一度は見たことがあるものでした。

が、それでもすごい。しかも、過去の企画展と比較すると、(私レベルには)非常に分かりやすい切り口で、比較もしやすく、三者の好みの違いが実感できる内容でした。

具体的に?というところですが、今回一部を除いて写真撮影ができませんでした。が、パンフレットが一番分かりやすいかと思いましたのでHPから転載します。

まず、上の黒い茶碗。利休が指示して長次郎に焼かせたとされる黒楽茶碗(銘俊寛)です。ちなみに重要文化財だそうです。。

中央の少し歪んで見える茶碗が大井戸茶碗(銘須弥、別銘十文字)です。これは、もともともっと大きかった茶碗を十文字に割って小さくしたとされるもので、確かに十文字に継いでありました。写真でも中央に縦の線が見えると思いますがそれが継いだ(割った茶碗をくっつけることを継ぐ、と言います)部分です。逆に綺麗に割る方が難しそうです。。

下のクリーム色(?)の茶碗は高取面取茶碗と呼ばれるものです。均整の取れた形にぽてっとした釉薬の濃淡(むら)がなんとも風情のある、綺麗さびとは言い得て妙な茶碗です。

そのほかにも展示室ごとにそれぞれの好みの茶道具がそれぞれが書いたとされる書や手紙とともに展示され、その由来や考えに触れることができます。

現代へとつながる茶の湯の原型がなされた時期に活躍した三人の好みを整理して知るにはとてもありがたい展覧会になっていると感じます。

3、それにしても三井家はすごい。。

中身についてはもっと詳しい方々からの記事があちこちにあると思いますし、なんなら美術館のHPによる解説が写真もあって非常に分かりやすいのでそちらに譲りまして、私の個人的感想として、「やはり三井家はすごかった」というところを少し。

少しお茶を齧っておりますので、めちゃくちゃ簡単に歴史を紐解きますと(記憶ベースなので間違ってたらすいません)、室町時代には武家がお茶に興味を示し、その権威付という意味合いもあって、茶道具を集めます。中でも「唐物」という中国から伝来したものが最も価値がある、とされた時代です。

それが、織田信長の時代まで続くことになって、時には領地よりも茶道具の方が価値がある、ほうびに茶道具を欲しがる、というような事態にまでなります。

ところが、先ほども触れたように、千利休が指示して作られた茶碗=日本で作られた「和物」が名品とされる様になります。

この間に何があったか?

そうです。本能寺の変、です。信長はお茶会のために唐物の名品を本能寺に携えていました。それが燃えてしまった。

お茶道具は権威とも直結していましたので、秀吉は躍起になって唐物を集めますが、一級品は燃えてしまった。

そこで、千利休の目利きで和物も名品として扱い、コレクションを増やしていった、という歴史が(ものすごく簡単に言うと)あります。

そこから、利休や織部、遠州といった茶人が好んだもの(≒時の権力者が好んだもの)ということで伝わっていくことになります。

江戸末期や明治初期になると、世の中が大きく変わり、それまで名品を抱えていた武家や豪商も落ちぶれていくところが出てきます。金策に走らなければならない。背に腹は変えられず、門外不出であった茶道具の数々が売りに出されることになるのです。

その時、最も勢いがあったのが、三井家と住友家でした。

実際、今回も展示されていた<国宝 志野茶碗(銘卯花墻)>もそうして三井家が手に入れたものの一つです。

国宝 志野茶碗(銘卯花墻)

中には借金のかたとして三井家に来たものもありまして、今回、唯一写真撮影が許可されていた展示室に展示されていた、<重要文化財 唐物肩衝茶入 北野肩衝>です。
足利義政所持の東山御物で大名物の唐物です。三木権大夫(江戸時代の京都の豪商)への貸付金の担保物件で、債務不履行によって三井家にもたらされた、とされるものです。

重要文化財 唐物肩衝茶入 北野肩衝


4、まとめ

いかがでしたでしょうか?

お茶の歴史上、とても重要な三人の好みが実際に見てわかる、という意味ではとても良い展覧会かと思います。

そこから脱線して、三井家の、いや、江戸末期から明治期への、世の中が大きく変わっていくタイミングで、財閥へと脱皮し、現在まで続く企業グループを形成することができた三井家や住友家とその他の豪商との違い、に思いを馳せる、というメモになってしまいました。

今後の日本で大きく世の中が変わるのはいつか(もしかしたら今かもしれませんが)、そしてその時、今回の茶道具のように、従来勢力から、新興勢力へのその所有が移る様なものがあるとしたら、それは何か?

そんな、展覧会の内容とは全く関係ない、またまた、個人的メモとなりましたが、どこか参考になるところがあれば嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?