2023/7/12「 「現実脱出論/坂口恭平」読書記録はしりがき 1 」

・物心ついたころから、どこか周囲から浮いているような感覚があった。あくまで自分にとって自然に、普通に、振舞っているのに、身動きをとればとるほど、疎外感を感じてしまう。
やがて息をひそめるように生きるようになった。

いじめられていたわけではない。
友人には恵まれていたし、クラスの華やかなグループにも居場所をもらえていた、素敵な恋人もいた。
それなのに、毎日毎日苦しくて仕方なかった。
中学校・高校・大学の中盤あたりまでの記憶が、本当に一切残っていない。
それはもう恐ろしいほどに、抜け落ちてしまっている。
思いを馳せると、どんなに苦しかっただろう、と胸が張り裂けそうになる。

傍から見ると、恵まれて華やかな存在だったと思うけど、
確実に「死」がすぐそこにあった。
何とかギリギリを生き抜いた、という感覚。

大学を休学して、一度歩みを止めて、周囲の足並みにそろえて生きることをやめた。外れてみた。
もう、浮かないようにしようとせずに、馴染もうと息をひそめて生きることをせずに、生きてみようと思った。
このままの生き方では、死んでしまうと思った。

生きるテンポを一定に定めるということの違和感。
必死にずらすまいと必死にそのテンポに食らいついていたけれど、
そうするしかないと思っていたけれど、

いやいや待てよ。
そもそもこのテンポってなんなんじゃい。
誰が決めたの。いつからみんなこのテンポなの。
これが絶対なの。
これが正解なの。

他のテンポで、別のリズムで、生きてみたい。
そうしないと、「自分」というものが狂ってしまうと、気づいた。

誰かがいつの間にか決めた謎の世間のリズムを正確に死に物狂いで刻み続けるよりも、
のびやかに軽やかに自分のリズムを自分のテンポで刻む方がきっと何倍も素敵だ。
それが、人生なのではないだろうか。
違うだろうか。
それが、幸せなのではないだろうか。
違うだろうか。

・21「このように「名人」と「目利き」は、現実という世界で少し自信のなさそうな顔をした人間に変装し、僕に「現実とは何か」を問いかけてきたのである
数カ月だけ正社員で会社に勤めたことがある。
業務や会社の体制がどうも自分に合わなかったのか、会社の人と上手く関係を築くことができなかったからか、毎日毎日上司に怒鳴られた。
会社に行くのが辛くなって、涙が止まらない日々を重ねた。

でも実は、秘めたる軸や核は、ピンピン元気だった。
それが私の良さだと、強さだと、我ながら思う。

会って数カ月の人にどんなに酷く否定されたって、私はその何十億倍も自分の良さや素敵さを知っている。多面的だ。私は皆が思うより何倍も驚くほどたくさんの面を持っている。今まで、なるべくたくさんの面に目を向けて、自覚し、丁寧に磨いてきた。今まで沢山の人に出会い、沢山の経験を重ね、新たな自分の面を見出してもらってきた。
そう簡単に輝きを失う存在ではない、と、本気で思えた。

現実では、社会では、会社では、計られず評価されず見向きもされない強みや良さや魅力は山ほどある。
それをなかったことにしては勿体ない。勿体なさすぎないか。

26「自らの思考を切り継ぎしないまま、まっすぐに歩いていく」
「僕がやろうとしていることは、現実という世界には存在していなかったのだ。建築家が一番近いと思ったけれども、やはりそれは僕がやろうとしていることをかなり切り継ぎしないと合わないと感じた。
現実に合わせていきていくということは、このように自分の思考を切り継ぎしないといけないのか。
折角こんな思考を持ったのだから、できるだけ生きながらえさせてみたい。これまでの道のりはそんなことができるかどうかの実験でもあった。」

働き方を考えているとき、9:00~18:00に務めることが一般的というのがあまりにも違和感だった。
私の一番の財産である1日の時間を、1日の生き方を、不自然に歪めて決められた枠にねじ込んでいくということの違和感。違和感を超えて恐怖を抱いた。
お給料をもらえるとは言え、犠牲が大きすぎると感じた。今日という1日を歪ませ犠牲にすることは、そのまま「私」を殺すということに通じるのではないか。

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