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インドの飛脚:ダワ(dawa)を駅伝から回想する

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インドにも飛脚は存在した!

正月を迎え、今年の箱根駅伝も多くの感動を呼んだ。
山を越え、海岸を走り、都会のど真ん中を突っ切り、たすきを繋ぐチーム戦。「箱庭地形」と地理学者に呼ばれる日本を舞台とした、団体競技。
他の国では見かけない競技だが、本当に日本特有なのだろうか?
そして、日本以外でも人気はでないものなのだろうか。

浮世絵に登場する飛脚

箱根駅伝の起源は、上野で開催された大博覧会の目玉イベントとして東京・京都間の516kmを3日間昼夜問わず、たすきリレーを行ったことが始まりだとか。このとき、23区間に分けたとのことで、ひとり当たりの走行距離は、現在とあまり変わらない20km前後ということになる。

この東海道駅伝で走ったコースは、江戸時代の飛脚問屋も走っていたコース。普通の人なら2週間はかかる距離を、駅伝さながら飛脚たちもリレー形式で3~4日間で走り切ったといいます。馬も交えて輸送することもあったそうなので、輸送の手段も様々あったようですが…。そう思うと、箱根駅伝は、まさに飛脚のすごさを体現しているともいえますね。

日本の飛脚のルーツは、中国の唐に由来しているそうですが…。
実は、インドにも飛脚がいたのです!

インドの飛脚を目撃したのは…?

インドの飛脚について記録をしたためているのは、イブン・バットゥータという中世の大冒険家です。

『The Travels of IBUN BATTUTA』表紙

イブン・バトゥータの旅行記に、その詳細がしたためられています。それは、彼がインドに入ろうとした時のこと。当時、インダス川は東西の国を分かつ境となっており、イブン・バトゥータもインド北西部スィンドに差し掛かったところでした。インドに足を踏み入れるにあたって、その嘆願書をデリーへと送り、彼自身はムルターンで待つことにしたのです。

Map of Ibn Battuta’s travels Written by Mayada Srouji

このときに活躍したのが、インドの飛脚たちです。

In India the postal system is of two kinds. The horsepost, called uluq, is run by royal horses stationed at a distance of every four miles. The foot-post has three stations per mile; it is called dawa, that is one-third of a mile ... Now, at every third of a mile there is a wellpopulated village, outside which are three pavilions in which sit men with girded loins ready to start. Each of them carries a rod, two cubits in length, with copper bells at the top. When the courier starts from the city he holds the letter in one hand and the rod with its bells on the other; and he runs as fast as he can. When the men in the pavilion hear the ringing of the bell they get ready. As soon as the courier reaches them, one of them takes the letter from his hand and runs at top speed shaking the rod all the while until he reaches the next dawa. And the same process continues till the letter reaches its destination. This foot-post is quicker than the horse-post; and often it is used to transport the fruits of Khurasan which are much desired in India.

インドの歴史教科書より
https://www.drishtiias.com/images/pdf/NCERT-Class-12-History-Part-2.pdf

 情報館の報告書はわずかに五日間でスルターンのもとに達する。これはつまり"バリード"のおかげである。
 インドの"バリード"には二種あって、"ウラーク(ulaq)"は、4マイルごとに配置された国王所有の馬によるものであり、もう一つは飛脚によるものである。この方は1マイル(クルー)を三等分し、これを"ダワ(dawa)"と呼ぶ。各ダワに駅があり、その入り口に三つの天幕を張って、飛脚が待機している。それぞれ帯をしめ、先端に銅鈴をつけた1メートルほどの杖をそばにおいている。番が来れば片手に書信を、もう片方に杖をもって全速力で走る。鈴の音を聞いた次の駅の飛脚が待ち構えていて、書信を受け取るや否や疾走に移る。
※一部筆者編集

イブン・バットゥータ/前嶋信次訳、『三大陸周遊記』、グーテンベルク21、 1962。

飛脚はダワ。馬早飛脚はウルーク。

ダワ(dawa)…人が走って届ける方法
1マイル(約1.6km)内に3カ所の駅があり、帯を締めた男性が待機している。手紙が届くと、片手に手紙をもち、もう片方には銅鈴がついた1mの杖をもって疾走する。すると、次の駅で待機している男性は、近づいてくる鈴の音を聞くと、同様に出発の準備を整えて、手紙を受け取り、飛び出していく。

ウルーク(uluq)…馬を使って届ける方法
4マイル(約6.4km)ごとに駅があり、王様お抱えの馬が待機している。手紙が届くと、馬を使って、その先の駅まで届ける。

このふたつの方法を用いて、デリーまで、歩いて50日間かかるところを5日間で手紙や果物などを届けることができたといいます。
日本の飛脚問屋は、8割の時間短縮で届けましたが、
インドのバリードは、9割の時間短縮ができた計算になります。

スィンドからデリーまで約900km。ムルターンからデリーでも約563kmあります。ちょうど、東海道の東京・京都間が約516kmだったので、それよりも少し長い距離があります。イブン・バトゥータによると、50日間、つまり約7週間かかったということですが、東京・京都間が通常2週間かかっていたことを考えると、スィンド・デリー間でも少々時間がかかりすぎかなという気もします。

インドの方が時間短縮率は高いが…?

インドの歴史の教科書には、次のように続けます。イブン・バトゥータは、隊列を組んで旅をしていたのですが、何度も盗賊の襲撃に遭っています。このムルターンからデリーへの道中でも盗賊に襲われ、多くの同胞が命を落としたとのことでした。

ムルターンは、現在でも最も暑い地域として有名で、それでいて治安も非常に悪かったことを考えると、日本とはまた違った状況であったように感じます。とはいえ、日本の飛脚も夜通し走らなければならないこともあったので、追いはぎに遭う可能性も十分あったことでしょう。

インドでも飛脚の文化があるのだから、ひょっとしたらインドでも駅伝がみられるかも?なんて、想像してしまいますが、インドの飛脚は、ひとりあたり500~600mの走行距離だったことを考えると1600mリレー(400m x 4名)で十分かもしれないですね。

フェリーチェ・ベアトによる飛脚の着色写真(1863年-1877年頃)

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