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雑感記録(203)

【寒冷な火煙】


今日も今日とてタバコを蒸かす。

彼是、正式な喫煙者となってから5,6年の歳月が経とうとしている。自分でも不思議なもので、「辞めよう」という気が今のところはない。この「今のところ」というのが実は1番肝心である。何か契機があれば辞めるのだろうけれども、まだ僕にはそのような契機は訪れていないらしい。あるいは自分が故意に見落としているのかもしれない。いずれにしろ、現状は何か自分自身の中で大きなことが無い限り吸い続けるだろう。

だが、思い返してみると、1つ大きな契機はあった気がする。

それは昨年の1月に急性膵炎で入院したことだ。退院後、母親からこっぴどく「タバコはやめなさい!」と怒られた。流石にその時ばかりは「辞めようか」と一瞬考えたけれども、怒られたその足でタバコを吸いに行った。人間というのは本当に馬鹿な生き物なんだなと改めて実感する。いや、人間ではないな。単純に僕が馬鹿なだけである。それだけのことだ。


最近、喫煙者に対する風当たりが強い。

当然と言えば当然であるが、しかしタバコを吸うことがその人の人格にまで影響する。タバコ批判が人格批判とほぼ同義になっている現状がある。以前、マッチングアプリでの記録を残したが、あれをやっていると痛感する。プロフィール欄の最後に大体「タバコ」みたいな欄が別途設けられている。そこに選択肢として4つ。「吸う」「非喫煙者の前では吸わない」「吸う(電子タバコ)」「吸わない」となっている。

僕は紙タバコも吸うし、電子タバコも吸う。こういう場合、僕は無難に「非喫煙者の前では吸わない」を選択している。これはあくまで僕の経験則だが「吸う」なんて設定した日にはそもそも「競り」に出る以前のお話で、相手にされない。女性側のプロフィールにも「タバコ吸う人マジムリだから」みたいなことを明言されている方も居る。喫煙者の僕からするとハッキリしていて「いいね!」を無駄打ちしなくて済むから助かる反面、良いなと思った人に「いいね!」が押せないというのはもどかしい。

しかし、冷静に考えてみて、何故僕はタバコを吸うのだろうかと思った。

今のご時世、「タバコを吸う」ことが嫌悪されているのにも関わらず、僕は「辞める」という選択肢ではなくて「吸い続ける」ということを選択した訳でしょう(今のところはね)。こんなに不都合なことばかりが多いのにも関わらず、僕は僕の意思でタバコを辞めようと思わない。安易に「ニコチン中毒で」という言い訳を僕はしたくない。「病気だから」とも言い訳をしたくない。僕は僕の意思で吸っているという事を改めて考えてみたい。


と書いた訳だが、考えるまでもなく、単純に「吸うのが好きだから」というこれ以外にはないのではないか?はい、お終い。

と行きたいところだが、もう少し考えてみようではないか。

僕がタバコを吸いたくなる瞬間とはいつだろうか。例えば…手持ち無沙汰な時、風呂上り、食事の後…。そのぐらいだ。あとはお酒を飲むと無性に吸いたくなってしまう。我慢しようと思えば我慢できる。以前付き合っていた女性から「あたしの前でタバコ吸うな」って言われて、デート中は一切タバコを吸わずに我慢は出来た。……まあ、デート後彼女と別れてからドカドカと吸ってしまった訳だが。

手持無沙汰な時は何となく吸わない人にもギリギリ分かって貰えるのではないかと思う。例えば、僕は誰かと待ち合わせする時は大抵15分ぐらい前には集合場所に着いている人間である。行き慣れた場所ならば、「どこかお店に入ってちょっと時間潰せるな」となるのだが、初めての場所だとそうもいかない。せいぜい15分の為にお店を探すのは馬鹿げている。さて、どのようにして時間を潰そうかとなる訳だ。

通常であれば、待ち合わせ場所で15分待ちぼうけするぐらいしか選択肢がない。このちょっとの時間を潰すのに、タバコが実は丁度いいのである。電子タバコなら、まあ、僕はgloeを愛用している訳だが、通常モードだと5分間吸える。このように考えると喫煙所に行き待ち合わせ場所に戻る時間も加味すると、ちょうど1本吸えるのである。しかも匂いが付着しずらいという性質もあるから便利。

食事の後と風呂上りは、まあこれは気持ちい状態でタバコを吸うと矢鱈に美味しく感じるんだな。これはどう説明していいのか分からないのだけれども、スッキリするんだな。風呂上りは特に。食事の後の一服は腹が締まる感じがするんだな。「はい、これでお終い!」みたいな感じで、今風に言えばこうなのかな。「腹が整う」みたいな。実際は多分そんなことは決してないのだけれども、そういう感覚になるんだな。

つまりは、これが好きで吸っている所が1番大きいんじゃないかな。
・手持無沙汰な時間の解消
・風呂上り、食後の整い
僕の場合はこれ以上でも以下でもないのかなというところである。


僕は、個人的な感覚だけれども、人に迷惑かけなければ吸ってもいいと思っている人間なんだ。例えばね、結婚して家族が出来るとかそういう事情が発生したら辞めると思う。特に子どもが出来たら辞めるね。ま、そんな相手がそもそも居ないんだけれども。まあ、いいや。とにかく、自分の身体が自分1人のもので無くなった瞬間に辞めるかなとは思う。

それまではマナー守って吸っていれば全然良い様に思うんだな。

そう、で、ここからがある意味で今日1番書きたかったことなんだけれども。マナーを守らない喫煙者が多すぎるから、喫煙者全体が「悪」みたいな扱いをされているってことに納得がいかない。これに関しては割と怒っていて、街中で見かけたら後ろから蹴り入れてボコボコにしたいぐらいには腹が立つのね(実際にはそんなことしないけど)。

よく「歩きタバコ」をする人を都心で見かけるんだよ。

僕は今勤務先が神保町にあるから千代田区にあるのね。それで東京で生活している人なら分かると思うんだけれども、都心とか副都心とかってもう至る所に「路上喫煙禁止」って貼ってある。地面にもだし、看板も設置されていたり。コンビニと同じ数ぐらいあるんじゃないのってぐらい至る所に存在している。

だが、それにも関わらず、歩きながらタバコを吸う野郎どもは多い。腹立たしいのは「え、電子タバコだから匂いもしないし、紙タバコよりも人体に影響ないからいいっしょ」とIQOSとかgloe、プルームテックなどを吸いながら歩いている馬鹿野郎どもが居る。僕から言わせれば「紙タバコじゃないからって許されると思うなよ、この馬鹿が」と言いたい。自分で言うのも何だか変だが、僕はまだ真面な喫煙者だ。

だから、ちゃんと街中にある喫煙スペースに行って、人がギュウギュウの中タバコを吸う。それが嫌なら我慢して家に帰る。帰った後で、紙ではなく電子タバコを換気扇と睨めっこしながら吸う。友人と遊びに行く際にもこれは徹底している。ご飯食べた後に「ごめん、喫煙所行ってきていい?」と断わりを入れて必ず喫煙所でタバコを吸う。所構わず吸うなどという愚行はしない。「吸っていい場所」と決められた場所で僕は吸う。って書いてるけど、これ当たり前のことなんだよな…。


で、そういうマナーを守らない喫煙者のせいで、マナーを守って吸っている喫煙者が何故か酷い扱いを受ける。「結局お前らもタバコ吸うんだろ。」みたいな感じで、タバコを吸うというだけで1つのカテゴリー化されてしまい、1つの「喫煙者」という概念が悪い側面から出来上がってしまっていることに僕は腹立たしさを覚える。たった一部のマナーの悪い喫煙者のせいで、マナーをしっかり守っている喫煙者の肩身が狭くなるなど言語道断である。

だから、これも声を大にして言いたいんだけれども。

最近、喫煙所の場所が年々、減少してきている訳じゃないですか。喫煙者には本当に肩身が狭い世の中で。それでさ、吸う場所が無いからってさ歩きながら吸うじゃん。色んな所で吸う訳じゃない。でも結局さ、そういう事の積み重ねでさ、見せしめ的に喫煙所が無くなってるの気付かないのかな。それでマナーを守らない喫煙者が文句いう訳でしょ。「喫煙所を戻せ!」とか。あれ本当に意味わからないよね。

だってマナー守って吸ってないのお前らやん?文句言う権利1ミリもないよね。

って僕は本当に声を大にして言いたいんだよね。そもそもタバコを吸うことが「悪」と見做されているじゃないですか。それなのに自分たちがマナー守らずに吸って、さらにそれを悪化させるじゃないですか。本当に頭おかしいというか。僕はそういう所に苛々してしまうんだな。腹立たしいったらありゃしない。


とこんな所で延々と文句を言ったって仕方がない。

今日もいつもの古本屋の喫煙所で、寒空の下、タバコを蒸かしながら色々考えたって話さね。

奥泉  それで、半年経った頃にね、また柄谷さんに会ったんです。
いとう 今度はなんて。
奥泉  「半年経ったけど依然として吸いたいんですよね」と愚痴を言ったら、「きみは一生その苦しみから逃れられないのだ」って、もうすごい勢いで。
いとう 自分もじゃんか、ねえ。
奥泉  「この苦しみが一生続くなら禁煙は不可能ですね」と言うと、「そう、禁煙は不可能なんだ。その不可能性を自覚すること自体が禁煙である」と。

いとうせいこう・奥泉光『小説の聖典』
(河出文庫 2012年)

「禁煙は不可能なんだ。その不可能性を自覚すること自体が禁煙である」

名言かよ。

よしなに。





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