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父親の思い出 その4 週刊現代·文藝春秋·世界·文學界·ナショナルジオグラフィック~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 父は昭和を駆け抜けた人でした。インターネットは知らず、最先端の情報機器はテレビでした。父はテレビ、ラジオ、本が大好きでした。
 朝はラジオでクラシックを流し起床。平日は、風呂敷に本を入れて通勤。休日は応接間兼書斎にこもって読書かテレビ。
 そんな昭和の人でした。

 今回はその本の話し。

 所謂書籍の類(たぐい)は、新書、文庫は全巻揃え、その他のハードカバー、ソフトカバーも自分の興味に逆らわず手当り次第に買っていました。自宅は本と雑誌の山でした。私が子供の頃、本の置き場所(本棚枯渇)問題が唯一の父と母との夫婦喧嘩の種でした。(笑)
 子供ながらに、父から直接教わらなくとも父の本棚を見るだけで父の思考が良く分かりました。

ご参考

 一寸父の頭の中を覗いて見ましょうか。

【週刊現代】
 父は、私に最新の情報は雑誌に有って書籍化された情報は古いと、雑誌の有用性を私に教えてくれました。特に週刊現代は毎号読んでいて、週間ポストなども適宜買っていました。私も応接間に入って読むのですが、子供にはちと早い内容含めて知的雑食性に感動しました。素直にグラビア写真も楽しみました。漢字がもっと読めたらと強く感じました。


【文藝春秋】
 月刊誌に関しては特に何も教えてくれなかったのですが、文藝春秋は週刊現代と一緒に毎日風呂敷に入れられて通勤のお供をしていました。漢字が読めず、私が楽しめるようになったのは、受験勉強から開放された大学生活以降でした。今も私の愛読書。多分身体を構成している父の遺伝子がそうさせてるのだと思います。私の大学の先輩が多く編集に携わっているからか、私にはプロトコルが合ってとても読みやすいです。

【世界】
 世界も毎月購読していましたが、比較的書斎に置いておかれることが多く、小学生時代に応接間に入って写真のページを眺めたりできました。

【文學界】
 文學界も毎月購読していましたが、仕事が多忙なのか余り読んだ形跡は有りませんでした。定年後応接間に籠もるようになってからは、読む時間ができていたようです。

【芸術新潮】
 これは、応接間で現役の頃から良く眺めていました。流石昭和の人で私のようにページを思いっきり開いて折り目をつけることはなく、とても丁寧に扱っていました。ですから私も観るときには、折り目がつかないようそっと扱っていました。
 後年、或る図書館から全巻寄付をして欲しいと言われお譲りしました。

【ナショナルジオグラフィック】
 海外の会社と取引ある父の友人経由で米国から直接英語版を毎月入手していました。昭和30年代からですからとても珍しく、そのためか郵便物は住所がめちゃくちゃでも名前だけで必ず配達されていたのを記憶しています。この本は子供の私には絵本同然で、楽しく鑑賞していました。

 このように昭和のおじさんの頭は構成されていました。唯一、2大学の英文科卒、外交官諦め外資系秘書のおじさんは、私が選んだ理工学系に関しては、余り興味がなかったようです。この系統は、母方の建築関連の技術者だった私の祖父の遺伝子が効いている感じです。(笑)


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