佐藤先生 ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 小学校1年生の時の担任佐藤先生の思い出です。

 校舎は鉄筋コンクリート、木造、プレハブの3種類が混在するという高度経済成長真っ只中の時代を象徴するような構成でした。給食は戦後の匂いがする不評の脱脂粉乳は入学した前年から廃止され、牛乳、パンを基本。冷房はありませんが、冬は石炭ストーブ、翌年直ぐに石炭を乾留した火力が有り軽く扱いやすいコークスに替わりました。そんな時代の話です。

 一年生は木造2階建ての校舎の1階でした。床には油が若干塗布されていて、ほんのり匂いがしていました。

 そんな教室で授業。先生の授業は、教科書はあまり使わず、先生が厳選したためになる話を聴きながら皆で意見や感想を言い合う形で進められました。ませていたのでとても楽しい授業でした。時には軽い怪談や笑い話も混じえ、飽きさせない構成でした。
 先生はチョーク投げの名手で、寝ている児童には百発百中でチョークが飛んで来ました。授業の緊張感も適度に保たれ、しかも正確なチョーク投げ自体は大人気でした。

 先生は美術に造詣が深く、図画工作の授業も本格的内容でした。私は当時から普通に物事を熟(こな)すことができない性分でした。絵の授業で動物というお題の時、私はライオンを選びました。色がなかなか決まらず絵の具を何度も塗り重ねました。他の絵とは全く違う異様なまでの複雑な色が重なり合う絵に仕上がりました。これが先生の目にとまりました。
 また、友達というお題では、真正面からの構図に飽きたので、丸い土俵で片足相撲をするシーンを上から見た構図で描いてみました。これも先生の目にとまりました。
 ということでこれらを含め合計4枚の作品を小学生の絵の展覧会に応募して頂き見事入賞。明治神宮外苑にある絵画館の展覧会に出展、表彰されました。自分自身は思うがままにやっただけなのですが案外ウケたなあ~くらいの印象だったことを覚えています。

 一つ苦い思い出が有ります。学芸会のさるかに合戦の主役を任されました。さるかに合戦という作品自体が幼稚でやる気が出ませんでした。乗らないことには先天的に記憶力が悪く、結局セリフが覚えられず主役から外されてしまいました。

 小学校2年時に付近に新設小学校ができて組み替えが有りました。佐藤先生は私の担任から外れてしました。しかし、その後も例えば学芸会では次々に意欲的な作品を披露されるなど活躍されました。
 とても小学校の学芸会とは思えない高度な演劇でした。
演目として選ばれた作品は、例えば

天保の人びと

https://kaiseiweb.kaiseisha.co.jp/s/bunko/b073/


馬頭琴物語

 何で私が小学校1年の時はさるかに合戦を選んだんだろう~。
 (まぁ、小学校1年生としては順当かな。)

 本当に佐藤先生が担任ではなくなって残念でした。

 生き方の基礎を考えさせて頂いた先生でした。

 


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