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言葉の持つイメージの違い

破水した後にもう一つ、印象に残っているジェンさんとのやりとりがあったのを思い出した。 通訳のジェンさんは非常に日本語に堪能なのだが、この日、思わぬシチュエーションで違和感に遭遇した。

「2回目の出産だから覚えているかもしれないけれど、いきみ方を説明しておきますね。」
「はい。」
破水時の痛みが襲ってきたときはかなり慌てたが、助産師Aさんに麻酔を入れてもらってからは気持ちもだいぶ落ち着いて、ジェンさんと会話することは苦ではなかった。
それに切羽詰まった時に母国語で話が通じるというのはありがたいことだな、と実感した。
「顔を少し起こして、自分のお臍を見る姿勢を取って、お腹に力を込めます。あ、まだいきんだらダメですからね。」
「はい」
私は息は止めないで自分の臍を見る姿勢を取る真似だけした。体勢的に結構苦しい。
そんなとき、ジェンさんの口から思ってもいない言葉が出てきた。
「う●こ出すみたいな感じですね。」
「え?」
つい聞き返してしまった。
「●んこ出すときみたいにお腹に力を入れます。」
「あ、はい。」
聞き間違えじゃなかった。しかもジェンさんは真顔だ。
確かに前回の出産の時に「要領は似てるな」と、ちょっと思ったけれど(息子よ、すまん。)、まさか台湾の分娩台の上でこんな指導を受けるとは思ってもみなかった。
日本にも「う●こ出すみたいに赤ちゃん産んでね」なんて言う産院はあるのだろうか。ゼロではないかもしれないけれど、「私の子供をう●こ扱いされた。ショックです。」っていうクレームがきそうだ。

もしかすると台湾と日本ではう●こと発言するハードルの高さや、言葉が持つイメージが異なるのかもしれない。

この仮説を裏付ける(?)出来事が実はもう一つあった。
数ヶ月前、IKEAに行った時のことだ。(台湾にももちろんIKEAがある。ちなみに日本は郊外にありがちだが、台北では市の中心部にあるので非常に便利だ。)
買い物を終えてレストランで食事をし、帰る前にトイレに寄っていくことにした。ある個室に入ろうとすると、その個室のドアにだけ貼り紙がしてあることに気がついた。そこには中国語で
「大便はするな!でも小便はOK!」
と堂々と書かれていた。手書きで。結構な衝撃だった。

おそらくそのトイレの水流が弱いとか、そのトイレの管が詰まり気味とか、そういうことだったのだと思う。
日本だったら、日本のIKEAだったら、きっとそんな文言にしないだろう。「使用禁止」とか「故障中」とだけにするだろう。どんなに丁寧風にしても「大きい方はご遠慮願います。小さい方はしていただけます。」と貼り出すことはない…と思う。(ところで私は何にでも「いただけます」をつける人は苦手だ。)
つまり、わざわざ貼り紙に大だ小だ書くことはしないと思うのだ。日本では、子供でもない限り、相当の仲良しでもない人の前でう●この話題を出すのはなかなか難しいことだ。現にこのnoteでも、どんな方に読んでもらえるかわからないし、ストレートに書くのはなんだか憚られる気がして伏せ字にしている。

しかし逆に、台湾では「う●こ」に日本よりもフォーマル感を含んでいるのかもしれない、と思うのだ。公の場で発言しても特におかしくないのではなかろうか。「う●こにフォーマルもカジュアルもあるか!」と思われるかもしれないが、私は至って真面目に考えている。

私の好きな本に「ことばと文化(鈴木孝夫 著)」がある。

この本の中に「外国語間でことばは必ずしも完全な1対1対応ではないですよ」という話が出てくる。この本の中で例に挙げられていたのが唇だった。日本語で唇と言えば、口の周りの赤い部分そのものである。英語で唇に相当するのはlipとされているが、lipは鼻の下から唇までのエリアも指すことがある、と紹介されている。

この件を思い出して、もしかすると「う●こ」もそうなのかな、と思ったのだ。この言葉を発する状況や発した時の周りに伝わるニュアンスも含めて、完全に1対1対応ではない、と。ジェンさんが日本語訳する前に頭で思っていた中国語(台湾語)のそれは伏せ字にしたくなるようなニュアンスを持っていないのかもしれない。

日本語的には他にも言い方はあったはずで、例えば「排便するような感じで」と言われたら、伏せ字にしたい気持ちはかなりなくなる。
それでも気になっただろうけど…。

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