【歴史小説・中編】花、散りなばと(4)
この小説について
この小説は、室町時代の奈良を舞台にしています。
登場人物は、大乗院門跡の経覚。
そしてそれを支える、衆徒の大名・古市胤仙。
大乗院は、有名な興福寺の塔頭です。今でも奈良に庭園が残っているほど、大きな勢力を誇っていました。
古市氏は、筒井順慶で有名な筒井氏の宿命のライバルです。
しかし古市は、筒井と室町時代を通じて死闘を演じた挙げ句、ほぼ滅亡させられることになってしまいました。
そのため、戦国時代の大和にもほとんど登場しません。
しかし、胤仙とその息子の胤栄、澄胤はいずれも魅力的な人物です。
本編の主人公の経覚と合わせて、もっと歴史好きに知られてもいい、知ってもらいたい、という気持ちでこの小説を書きました。
一人でも多くの方の目に触れれば、これ以上の幸せはありません。
どうぞよろしくお願いします。
本編(4)
七月十五日の夕べから、盂蘭盆会の風流が始まった。
奈良や田舎からも見物、踊り手が引きも切らず押し寄せているというので、経覚も様子を見に惣社の拝殿前まで繰り出してみた。
郷の道々に人が溢れ、誰もが異形の装いに身を包んでいた。延年の僧侶や稚児、腹巻鎧の武者、鬼の面をつけた棒持ち、首の長い鷺舞。そこまで凝っておらずとも、飾り藺笠に様々な作り物を載せている。
鶴亀、花蝶、松竹梅。
鯉に鯰、猫に兎、海老に鯛。
法螺貝、百足と梟、鯱と鯨。
辻子では放下により、筑子、八ツ撥の乱拍子が打ち鳴らされている。それに合わせて、汗を飛ばす人の肌が互いに押し合い、大蛇のごとくうねりながら踊っている。
「立錐の余地もないとは、まさにこのことであろう」
「いかさま」
畑経胤は、血走った目でしきりに周囲を見回していた。
「確かに今日と限ってみれば、奈良さえも超える賑わいだ」
早々に疲れてしまい、逃げるように迎福寺へ帰った。ところが村々を回っている風流踊りの一団が、すぐに境内を訪れてきた。
庭先まで出てゆくと、胤仙の隠居した父がわざわざ送ってきた者たちで、「天岩戸」の猿楽をやるという。天照大神は稚児だが、手力男命と天鈿女命の役は寺の僧だ。
「それはよろしき趣向」
円座を敷いて腰を据えていると、囃子方の中に春藤丸が交じっているのに、途中で気がついた。
周囲の大人と同じ、直垂に大口袴の正装だったので、一瞬見違えたのだ。例の龍笛を横様に構え、耳に立ち過ぎない、それでいて聞く者にはわかる技巧を散りばめている。
思わず目を見張り、それからずっと見つめずにはいられなかった。猿楽の舞もそっちのけである。惣領の嫡子という風を微塵も吹かすことなく、全体の一部に溶け込み、なおかつ明らかに周囲を指導している。統治者の天分というものであろう。
翌朝、惣領館から畑経胤が帰ってきて、
「昨日は人出が多過ぎ、喧嘩騒擾も起こったので、本日から北口と南口の木戸を閉ざす」
という禁制を伝えてきた。
「あの有様では、致し方あるまいな」
瓜の粕漬を食みながら、経覚はうなずいた。
宵の口には、胤仙から招きを受けて地蔵堂の北頬まで出かけた。
昨日ほどの数ではないものの、異形を装った人々が街筋を練り歩き、摺鉦や鞨鼓の響きに合わせて踊り狂っているさまは、少しも変わらない。
高縁桟敷の上段まで導かれると、既に胤仙が座の一角を占めていた。紅の鈴懸に最多角念珠を持ち、梵天のついた結袈裟を掛けている。山伏の格好ではないか。どうやらこの男なりに扮装を凝らしているらしい。
腰を下ろすと、早速折詰が振る舞われた。小坊主の手で、蝶花形をつけた銅提子から酒が注がれる。欄干の向こうに、総社前の広場の人波が見下ろせた。話に聞く海の渦潮のような動きだ。喧騒は耳元で羽虫が飛び回っているかのようにやかましい。
風のない夕暮れ時で、人いきれは吹き流されてゆかず、夏の夜の底に狂おしく溜まったままであった。
「いかがにございます、我らが郷の風流は」
胤仙は、先に諸白で唇を湿らせていた。口周りの虎髭にぴんぴんと露がまとわりついている。
「大変結構で、耳目を驚かすものだ。そなたの言った通り、南都に勝るとも劣るまい」
「左様でありましょう」
目尻が赤らんでいるが、元来酒に弱い方ではない。それだけ今日という日が慶ばしいのであろう。
「何年、いや何代かかるかわからぬが、拙者はこの古市を、奈良に代わるものとしたいと思っております」
「なに」
口をつけかけた朱塗の盃を、思わず肘の高さまで下げた。
「何とも胡乱な話じゃ。南都には七百年の積み重ねがある。この末世とは比較にならぬ栄耀の歴史がある。興福寺とて同じだけの星霜を経てきた。それをそなたたちの力で覆そうと言うのか」
「そのような奈良とて、平安京に取って代わられた。坂東には、鎌倉という新しい都もあり申す」
「この古市を、次の鎌倉にしたいと言うのか」
それにしたとて、妄言の類いではないのか。
奈良に対する古市の位置から言えば、洛中にとっての白河、北山のようなものだろうか。だがいずれにせよ、中央から外れた周辺に新たな一極を打ち立てる、という企ては、思うに容易く、行うとなれば歴史そのものを動かすほどの所業になろう。
胤仙とて、それがわからぬはずはない。わかっていて口走ってしまったのは、やはりこの盂蘭盆会の風流と酒の酔いに、常ならず気を大きくさせられているためか。
経覚の醒めた目つきに、ぬらぬらと脂っぽい眼光をぶつけ返してきた。
「お気づきではありませんか、門跡様。あなたもとっくに、その一部になっておられる。当地へ初めて居を定めた大乗院門主、興福寺別当として、未来の伝説となられるのです」
「そなたは、ずいぶんとおのれを高く買っているようだの。しかし、筒井の一人も討ち果たせぬようでは、南都七百年の大木を切り倒すことなど、夢の中でも叶えられまい」
「おのれを高く買っているのは、門跡様とて同じことかと。そうでなければ、将軍家に追放されながらも、衆徒を率いて禅定院へ乗り込んだり、菊薗山城を自焼されながらも、古市へ舞い戻って筒井と睨み合ったりはなされますまい」
フン、と経覚は鼻を鳴らした。眼下の拝殿前では、二人立ての獅子舞が終わっていた。
引き続いて、簾をなびかせる風流傘をくるくると回しながら、六つの丸いものが広場へ飛び出してきた。薄紙を張った内側から、括り袖と脛巾の手足だけが現れている。大きさからすればいずれも稚児であろう。それがぴったりと息を揃え、愛らしく懸命に長柄の傘を操っているのだ。
見物たちもしきりに手を打ち鳴らし、即興で合いの手を入れてゆく。
「これは」
経覚の頭には、ぴんと来るものがあった。先日、春藤丸が迎福寺へ届けてくれた六つの灯炉。真夏の雪丸ではないか。
拍子木と囃子がぴたりと止むと、稚児たちは同時に傘を放り捨てた。列を作ってその場で膝をつき、一人だけがよちよちと、覚束ない足取りで前へ進み出ていく。見物からは笑い声も起こっていた。
だが次の刹那、張り子は内側からずたずたに切り裂かれ、白い羽毛や綿毛が夥しく舞い上がった。あっ、と誰もが息を呑んだ。作り物の雪が降りしきる中で、直垂烏帽子姿の春藤丸がうっすらと目を閉じ、抜き身の打刀を凛々しく構えていた。
ちぎれんばかりの女の嬌声、地鳴りのような男の歓声が入り混じり、耳に痛いほど響き渡った。
「あの風流童子に、そなたの誇大な夢を託そうというのか」
責めるように胤仙の方を見やったが、父は紅潮した横顔で、我が子の姿を食い入るように見下ろしているばかりだった。
ふいに生ぬるい風が吹き抜け、高縁の方まで巻き上げられてきた綿のかけらが、朱盃の中で震える水面へ舞い落ちてきた。
~(5)へ続く
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