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スタイルは言葉よりも自己紹介になる

「ファッション」と「スタイル」は何が違うか?

「ファッション」は今の流行り。
それを身に着けることで誰でも取り入れることができ、「スタイル」はごくごくパーソナルなものであり、着ている人の中身である。

「スタイル」は他人と差別化するもの、他の誰とも違うものであり、その人自身の意見や選択が反映される。

体型や肌の色、髪の色が違う人が混ざって暮らす国では、自分の外見の特徴をよく心得て上手に表現することが、より求められる。

そうした自分のことをよく知っている知性(自己理解)を「スタイル」と呼ぶ。さらに「スタイル」を持った人は「ファッション」を気にしない、という説明も散見する。

最近は洋服を買う機会が本当に減った。

立ち止まって、少し考えてみた。

その中で、

「ファッション」は消えてゆく、「スタイル」だけが残る。

というココ・シャネルの言葉を見つけ、「なるほどね」と納得した。

ココ・シャネルは言わずと知れた「シャネル」の創設者で、子供のころ家族に捨てられ孤児院で育ったという生い立ちから、世界有数のファッションブランドを確立させ、ファッションデザイナーとして唯一、タイム誌の「20世紀の最も影響力のある100人」に選出されている女性だ。

人生のスタートが貧困だったにもかかわらず、才能と努力で栄光つかんだこと。挫折から復活したこと。仕事にも恋愛にも妥協を許さなかったこと。常に反逆者であったこと。彼女の生き方に共感し、魅了される人は実に多い。

それでは、ココ・シャネルが言う「スタイル」について考察する。

辞書で「スタイル」を調べると、

1. からだつき。姿。格好。「すらりとしてスタイルがいい」

2. 服飾・頭髪などの型。「最新流行のスタイル」「ヘアスタイル」

3. 建築・美術・音楽などの様式。型。「前衛的スタイルのビル」「演奏スタイル」

4. 文章や文学作品の表現形式。特に、文体。「独自のスタイルをもつ作家」

5. 個人や集団などに固有の、考え方や行動のしかた。「ライフスタイル」

という意味が出てくる。

しかし、これらの意味は、ココ・シャネルの言う「スタイル」とは少し違うように思う。

それでは、英語の辞書(Oxford Dictionary)で「style」を調べてみよう。

1. 何かをするときの特別な手順、方法、手段

2.独特な外見、通常はデザインされた原則により決定される

3.[質量名詞] 流行の上品さ、洗練

などの意味が出てくる。

つまり、「スタイル」の本来の意味は、

1.(意図的な)原則がある

2.その原則に沿った

3.特別な、特徴のある

4.手段、手順、外見、容姿

のことを指す。

普段、我々が日本語で使っている「スタイル」とは大きく異なっていることがわかるだろう。


「ファッション」と「スタイル」


海外のファッション誌には、この「スタイル」という言葉が頻繁に登場し、また、「ファッション」と「スタイル」はどこが違うのか?といった記事が数多くみられる。

ファッション誌による「ファッション」と「スタイル」の違いは、このような説明がある。

1.「ファッション」は普遍的なもの、「スタイル」は個人的なもの。

2.「ファッション」はマス(大衆)のもの、「スタイル」はクラス(上流階級)のもの。

3.「ファッション」はフォロワー(追随者)のもの、「スタイル」はリーダー(指導者)のもの。

4.「ファッション」は現代のもの、「スタイル」は永遠のもの

5.「ファッション」はつながりを喚起し、「スタイル」は独自性を喚起する

6.「ファッション」は情報を探し求める人に理解・追随され、「スタイル」は分析する人に追随されるもの。

7.「ファッション」はノーマル、「スタイル」はユニーク。

8.「ファッション」は地形の影響を受け、「スタイル」は国境を超える。

9.「ファッション」は模倣されるもの、「スタイル」は畏怖されるもの。

ファッション誌でありながら、「ファッション」に流されることなく、自分の「スタイル」を確立しましょう、というメッセージが見てとれるところが興味深い。

では、「スタイル」とは?

「スタイル」とは、意図的に作られた原則に沿った、特徴のある、外観や容姿のこと。

人間の内面に由来する、きわめて個人的なもの。

流行とは関係なく、その人らしさの表現

簡単には真似できないもの。

つまり「その人らしさ」を表現しているということである。

そうすると、私が洋服を過剰に必要としなくなったのは、ライフスタイルが定まったことが大きい。

実際、GUのニットだろうが、ジョンスメドレーのニットだろうが、マルジェラのカシミアだろうが誰も気にしないしわからない、興味もない。
そして、洋服に気を遣っている人が、周りに誰もいない環境に身を置いている。

それが今だ。

洋服ばかり考えていたころは軸が無かったように思える。
今振り返ると、とてもダサい。

しかし「人は見た目が9割」という言葉があるように、外見で判断される確率は非常に高い。

少しでもその確率を高めるために、ファッションの力を利用するわけだが、まずは自分に似合うものを探し出し、基礎工事を済ませる必要がある。

例えば、以下の作業などは日頃から意識する方がいいと言える。

・なりたいイメージを明確にする作業
・自信が無くても自分にダメなフィルターをかけない
・経験値を積むためにトライアンドエラーを繰り返す作業
・おしゃれな人のファッションテクを盗み、徹底的にコピーする作業

経験に基づいてスタイルを確立した人の着こなしからは、一目でその人らしさを感じ取ることができる。

大事なのは服を選ぶときに、自分でよく考えること。

もちろん店員のおすすめや、そのときのトレンド、または自分の気分というものにも随分影響されるのが服選びだ。

しかし最終的には、その服が自分らしいかどうか、鏡で見て似合うかどうかを冷静に観察すること。
もっと言えば自分がよく行くカフェやレストランに馴染むのか、自分の乗っている車に馴染むのか、つまり自分のライフスタイルにその服が溶け込むかどうかを考えるのが大切になる。

またその服が似合っているかどうかは、同じようにスーツやジャケットなどの服が好きな仲間よりも、自分の家族や服に興味のない人に見てもらうのが良いだろう。

私も含めて服が好きな人は仕立てたサルトリアや生地の希少性など、純粋な見た目以外の要素や価値に魅力を感じてしまう。

すると、似合っているかどうかという純粋な評価がしにくい。

ファッションに限らず、車や写真の世界もそうなのだろうが、基本的に趣味の世界では褒め合うことが一般的だ。

冷静な意見を聞きたいときには、その世界にいない人に聞いてみると、正直な感想をもらえることが多いので、そうするといいだろう。

自分でよく考え、人に率直な感想をもらいながら選んでいるうちに、自分に似合うものだけが手元に残っていく。

すると、自分の中に「こういうものはぜひ取り入れたい」「こういうものは避けたい」という基準ができてくる。

考える回数×経験の数=自分のスタイル確立

である。

倍率100倍のストリートブランドスタッフから始まり、通好みなブランドで生産やPRを担当した後、音楽業界に入った。洋服は中学生の頃から身近にあって、パリコレブランドを買い漁ったり、相当なお金を遣ってきたと自負がある。しかし、洋服が身近にあるようなライフスタイルから一変、現在は全く関係のない環境へと行き着いた。

好きな洋服を毎日着るというスタイルは変わっていない。清潔感も大事。だって気分は上げたいし、機嫌は自分でとらなきゃ。

ただ、変わったのは選択しなくなったこと。価値を求めなくなったこと。 
インナーとマスクだけ白、あとは黒。ブーツも黒。髭を蓄え、モスコットのサングラスをかけて玄関を開ける。

大先生マダオの「スタイル」ってなに?

自己紹介になるかわからないが、結論は「生き様」である。

「おしゃれですね」は要らない。そんなことはどうでもいい。

「かっこいいですね」が最高の褒め言葉だ。

最近はこういうシンプルさの中に色味のあるソックスや、オーバーなシルエット、一つだけアクセサリーを取り入れるなど、少し拘り入れるのが楽しみだったりする。

※街角スナップの方(今は大体こんな感じ)

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最近のワードローブ。モノトーン。



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