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旅の話し

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旅のエッセイを載せます。
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僕の奥能登支援を巡る旅

僕の奥能登支援を巡る旅



坂本さんとの出会い

2021年秋、奥能登芸術祭をきっかけに珠洲市にやってきた。
歩き始めて何日目だったか覚えていない。奥能登の夜は暗く深い。何十キロ歩いても商店は数えるほどしかなく、最後に辿り着いたスーパー大谷に滑り込む。パンやおにぎりを買って食べながら歩く。重たい荷物が肩に食い込み、足はもうすでに感覚が無い。倒れるようにして吸い込まれたテトラポッドの隙間。10月の寒さに震え、星と波の間に眠

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歩くこと

 僕が歩くという言葉を使うとき、ほとんど旅をすることと同義である。

白神山地の携帯の電波も通じないくらい山深いキャンプ場で、焚き火を囲んだときのことだ。
いっしょに旅した二十人くらいでミーティングをした時、その日の感想を求められた。少し考えてからこんなことを言葉にしてみた。

 今日、湿原の木道を歩いていて、感じたのだけれどみんな前の人に連れられるように何も考えないで歩いているように見える。

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始まりの旅

始まりの旅

近くて遠い国  始まりの旅

中学時代、沢木耕太郎の「深夜特急」にはまっていた。
貪るようにして読みその世界観に取り憑かれて行った。

冬休みのある日、たまらなく家を出たくなって電車に飛び乗った。
目指すは釜山。飛行機でなくて下関まで行きフェリーで渡ろうと考えた。
移動することが一つの目的なのであって、たった1時間くらいのフライトで着いてしまってはつまらない。
そして18切符を使えば、鈍行電車に揺

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夕暮れ時

夕暮れ時

仕事帰り、旅人、お坊さん、どの街にも人の数だけの物語が渦巻いている。
まるで電柱にかかる無数の電線のように。
ポツンと浮かんだ太陽は、音もなく優しくこの混沌とした世界を包んでいた。

写真を撮る

写真を撮る

写真とは、記録的側面もあるし芸術的側面も持ち合わせている。
その一瞬を切り取ることもできるし、何か被写体を設けて演出をすることもある。

僕は写真を旅先で心動かされた瞬間にしかやらない。
目新しい世界をどう自分が捉えているか、客観的に見れる。
思いがけずふらふらとたどり着いた、名もしれぬ街で一枚のシャッターを切る。
それだけなのにその時の僕の姿や被写体との距離感が写り込んでしまうのだから、不思議

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野生の感覚

川から上がり、冷えた身体を温泉で温めた。

外に出ると日は傾き、柔らかな空気が藤里の町全体に漂っていた。

なんだかその時、熊に出会うんじゃないかと言う感覚に襲われ、一番前を走る車の助手席に座った。藤田(地元ガイド)さんの運転する車は軽快に、気持ちいい風を切った。どこまでも穏やかな午後だった。

きっとこの心地いい空気は、気候的な過ごしやすさだけではない。
白神の森の豊かさ、流れる水の凛々しさが

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「二十億光年の孤独」と共に

「二十億光年の孤独」と共に

 谷川俊太郎が、今のぼくと同じくらいの時に書いた「二十億光年の孤独」という本とともに
ニュージーランドを旅した。   

長旅の中で本当に孤独になったら、この本を開き星でも眺めようと思って持って行った。それには英訳も付いていて、コミュニケーションツールにもなるかも、という些細な下心と一緒に。

日本を発った飛行機は、夜の太平洋を渡り、星々の輝きは、これから未知の島へと向かう
ぼくをより一層孤りにさ

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不思議な夜のこと

不思議な夜のこと

パシュパティナートというところに行った。
ネパールに着いて何日目の夜だったかは分からない。
シヴァ神を祀るヒンドゥー教の寺院だ。ネパールでは最高の聖なる土地で、
インドからも巡礼にやってくる。ネパールには60の民族と70の言語があり、複雑な文化が根付いている。

僕がお世話になった家族はヒンドゥー教のネワール族だった。

この日僕たっての希望で、ここを訪れた。
川沿いにいくつかの大きい寺院があ

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カオス

カオス

混沌。カオス。
日本語の授業でそれは、言葉で言い表せない世界を指す言葉だ、と教わった。表しようがないから、混沌・カオスとしてあらわすのだと。
だとするならばあの夜ほど混沌とした夜は、無かったのではないか。
その不思議さを、言葉によって伝え共有したいが、言葉で説明できてしまってはその世界はカオスではないことになる。
でもとにかくこの不思議なふしぎな夜のことを少し。思い出しながら語ろうと思う。

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朝の効力

朝の効力

ロトルアという街で、少しまちの外れにあるfunky backpackerというゲストハウスに入った。
名前に反して暖炉があったり、壁画があって孤独さを紛らわしてくれる暖かい宿だった。
夜も更けもう寝ようかと思っていると、隣のベットのアジア人と目があった。
彼は周りのもう寝ている人に気を使い、アイコンタクトで電気を消してくれないか?とメッセージを送ってきた。まだ言葉も交わしていない者同士、言葉を用い

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雨宿り

雨宿り

カトマンズの街角で、ホームステイをしていた家のみんなとヨーグルト屋に入った。
ネパールでは大人数のファミリーで住むのは当たり前らしく、この日はみんな仕事を休んでくれた。子供も含め総勢十人くらいだった。僕もその時マハラジャンファミリーの一員のような気分でいた。

 ひとり旅なんかで、観光地を歩くと平面的、地理的な旅に止まってしまう。でも現地の人と一緒に歩くことができると、行く分か立体的にその土地

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境界線

境界線

海沿いに面した小さな街。1日取り立ててやることなし。
曇り空の中重いバックパックを背負って北へと続く道を歩く。

気がつくと広い芝生の広場のようなところに出た。荷物を置いて一休みする。
その奥には白い壁と赤茶色の屋根をした三角屋根の建物が見えた。
ニュージーランドの先住民マオリの集会所「マラエ」だ。
中には十数人、雰囲気のある老人が車座になって座っている。うち数人は伝統である入れ墨のある顔だった。

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気仙沼の航海

気仙沼の航海

 東京から岩手・三陸方面を目指して友人と二人ヒッチハイク旅をしていた。釜石で別れ、ぼくは気仙沼へと向かった。2、3台の車を乗り継いで夜、気仙沼についた。気仙沼の駅を中心に、しんとした街を歩いた。ザックには寝袋が入っていたので、手頃な公園に野宿地を決めた。時間を持て余したので、重たいザックはそこに置き、港の方へ歩いて行った。震災以後に作られた、複合施設に10時までやっているカフェがあったので、暑いホ

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小さな港町で

小さな港町で

 もうあたりは真っ暗になり、しんとした冷たい空気が僕らを奮い立たせた。日が暮れる前、午後四時くらいにはその日の野宿地を決めなければいけない。だがこの日は行けどもいけども、ただ広々とした薄気味悪い道が続くだけだった。沿道に面した床屋さんの夫婦が、物珍しそうに顔を出しホットの缶コーヒーを二つくれた。上にパーカーを羽織っていたものの、ハンドルを握る手が寒さで限界だった。缶コーヒーの暖かさを手でじんわりと

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