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動物も、死者も、自然も、働いている(梨木香歩『家守綺譚』を読んで)

夢とうつつの境界線に迷い込んだような、不思議な気持ちにさせられる物語。でもほんの少し前までの日本人は、このような「あわい」の世界の中で生きていたのかもしれない。そしてそれがとても豊かな世界であるということを、この物語は教えてくれる。

この本を読み終えて思ったのは、「労働とは何か」という漠然とした問いである。

「労働」とか「働く」という言葉を聞くと、誰もが当たり前のように「人間の労働」を思い浮かべるだろう。ところが、この物語で最もよく働いているのは犬のゴローである。それは物語の中に登場する人間たちも認めるところである。

それだけ聞くと、「犬なのに働いて大変だねえ」と思われるかもしれないが、ゴローはそれでいていつも機嫌がよい。ゴローの中に「労働」という概念などあろうはずもなく、単にやるべきこと、やりたいことをやっているだけのことである。

転じて、人間である主人公の「労働」は、ゴローに比べれば葛藤に満ちているように見える。

文筆家を自負してはいるけれど、どうもそれだけで食えているわけではなさそうである。幸い、ある家の管理人(のような役目)を請け負うことによって、住居と、ちょっとした収入を得ることができている。それらの総合によって、彼の生活は成立している。

とすると、彼の「本業」はどちらなのだろうか。

気持ちとしては間違いなく「文筆家」だろう。しかし本来必要なはずの家賃と、その管理人としてのお礼金を合わせれば、こちらの方が得ている金額は大きいかもしれない。

文筆家としての矜持が彼を支えていることは確かだけれど、その仕事の過程には常に「産みの苦しみ」もついてまわる。一方で彼が守るべき家は、彼の生活をあたたかく包み込み、季節ごとの豊かさを添えてくれる。彼が家守として守る家に、彼もまた守られている。

さらに面白いのは、この物語の中では「死者」も何かしらの役割を担い、働いているように見えることである。死者だけではない。「自然」もまた働いている。

「自然が働く」という言葉はちょっと変に聞こえるかもしれない。そこで「働く」を「働き」と言い換えてみたらどうだろう。「自然が働く=自然の働き」と考えれば、何の不都合もない。人間がそこに「意志」の存在を見るか否かの違いだけである。

翻って考えてみれば、人間が「働く」ことの本質も、「働くこと」そのものというより、それが生む「働き」の方にあるのかもしれない。

「働き」に労働の本質があるのだとすれば、赤ちゃんだって労働している。赤ちゃんの存在によって女性は母になり、男性は父になる。周りの人々は子育ての苦労と喜びを享受する。そのような「働き」を、赤ちゃんの存在は生み出している。

そう考えれば、会社に勤めていようがいまいが、収入を得ていようがいまいが、全ての人が、全ての生き物が、全ての物質が「労働」しているということになる。この世の中に、何らかの「働き」を及ぼしているのだから。

「あの人が居てくれるだけで、みんな不思議と気持ちが和むんだよねえ」というような「働き」を、誰もが感じたことがあるだろう。それを普通「労働」とは言わないけれど、僕らの生活に安心感を与えてくれる、かけがえのない「働き」だと言うこともできる。

だが近代以降、企業社会が形成されて賃労働が主流になり、「お金をもらうこと=労働」という価値観が支配的になっていくと、そのような「働き」は、「労働」としての価値を失ってゆく。もちろんそれがなくなったわけではないけれど、それを「大切なこと」「価値のあること」だと思う気持ちが失われていったのだろう。「労働=お金を稼ぐこと」という価値観への一元化は、「労働」という概念をひどく貧しいものにしてしまったと思う。

数兆円を稼ぐ大企業の創業者がいたら、誰もが「すごい」と褒めるだろう。だが、その人が会社を大きくするためにしてきたことの「働き」が、たとえば地域で愛される商店街の破壊や、非正規雇用の増加を促すものであったなら、それは尊敬すべき労働とは言えないだろう。

自分の労働が、地域の中で、社会の中で、どのような「働き」を生み出しているのか。いい「働き」もあれば、ちょっと困った「働き」もあるだろう。それを考えることは、自分の労働のあり方を捉え直すことだけではなく、自分の生き方を見つめ直すことにもつながっている。

ところで、この物語の中には「何時から……」というような「時計の時間」が出てこない。全部調べたわけではないけれど、多分。物語の時代背景としても、地方の一般家庭にはまだ時計が普及していなかった頃かもしれない。いずれにせよ、この「時計の時間の不在」も、読者を幽玄の世界へ誘うひとつの力になっているのだろう。

現代的な労働は、時計の時間と切り離せない。この物語では「時計の時間の不在」によって、現代的な労働観に縛られない、自由な労働を描くことができたのかもしれない。

この物語の中には、稼ぎの有無にとらわれない、豊かな労働の世界が広がっている。人間はもちろん、動物も、死者も、自然も、働いている。「働くことは苦役である」とする西洋の伝統的な労働観とは異なる、もっと自由な労働の世界が展開している。そしてこの物語が多くの人に受け入れられていることは、そのような自由な労働をもう一度取り戻したいという、人々の思いの表れなのかもしれない。

一応書いておくと、この本はわざわざそんなことなど考えず、愉快に読み切れる物語である。だが一方で、これをひとつの「労働論」として読んでも面白いと思う。


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