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人間力を育てる授業??

ぴょりは今、総合学科がある学校にいる。
去年、総合学科の取り組みの報告会みたいなものに行ったときに思ったことを書こうと思う。

某高校の「人間力を高める授業」についての発表が始まった。

その途端、ぴょりの頭には「?」が広がって、肝心のその内容を全く聞かずに「?」を追求してしまった。

?の正体

そこまで授業にこだわらなければならないのはなぜか。授業とは「業を授ける」と書く。

教室で、教員が科目の内容を使って、人間力を育む?人間力ってそんな簡単なものなのか。
教員はスーパーマンだ。教室の魔術師だ。

授業じゃない、別の手段を考えるほうが、よくない??

単純にそうつっこんでしまった。

学校は授業をするところ、って固定観念に縛られてしまってない?

学校のため、になったらアカン

勉強が苦手な生徒が多く、純粋に科目の授業を成立させるのが大変で、そういう発想になったというのは想像がつくけど。。。

そこまでいくと、
学校を成立させるための取り組み
(学校のための取り組み)

であって、

子どもがイキイキと社会で働けるようにするための取り組み(子どものための取り組み)

ではなくなってしまっているんじゃないの?
と思ってしまった。

永遠のテーマはもう捨てよう

確かに授業の時間をいかに有効なものにするかを考えるのは大切だと思う。

現状では、教員は学校で授業をせねばならないし、生徒も学校の授業を受けねばならないから。一日中。

でも、勉強軸でみたときの底辺校にとっての永遠のテーマ(いかに授業を成立させるか)を何十年も何人もの教員がとりくんできて、

まだ、これ、っていうものがみつからないんだから、そろそろ方向転換が必要だと思う。

永遠のテーマに挑むって、教員の自己満だ。

こどもらのことを思ったら、自己満している場合じゃない。

だから、そっちじゃない新しい道の模索について報告する学校を増やしたいな、と思う。

ぴょりは、専門高校以外の普通科や総合学科でのデュアルシステムのチャレンジをしたいと思っている。文化祭も、パワーアップさせたい。

生徒会か、進路か、どうしようかな〜、って考え中

勉強上層部だけが国益なんじゃない

勉強軸で高校を分けるのも、あんまり好きじゃないけど、

勉強が中下ランクの学校には、大人になる前の10代後半の子たちに何が必要か、考えるきっかけがたくさんある。

もっと、中下ランクに通う子たちに自信をもたせたいし、夢中になれること、得意なことに気づける機会をたくさん与えたい。

ココが充実していけば、

この子らのパワーが開花したら、

日本はもっと明るく元気になれるような気がする。

勉強上層部だけで国が成り立ってるわけじゃない。

劣等感なく、たくましく、生き生きと、自信を持って、なにかに夢中になれる人が増えたら

それって自然と国益にもつながるんじゃないかなぁ?


今の日本の学校教育の仕組みでは、完全な愛情不足が起きている!

ぴょりは、それをヒシヒシと感じる。

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