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今日も、もやもやする一日

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要支援2→要介護2の母との記録
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いろいろ救われた夕飲みの話

いろいろ救われた夕飲みの話

1.

定時労働者ではないので、空く時間がまちまちです。そうなると、たいていの人とは時間が合わないので、飲み会に行く件数はここ2、3年でガタッと減った……というか、キレイに無くなりました(-_-;)。

もともと付き合いが悪かったので、以前もそんな頻繁に行ってたわけではありませんが、全くなくなると、居酒屋の、迷惑なほど騒がしい雰囲気と、多彩で高カロリーなメニューが恋しくなります。

……外飲み(や

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再開した『物盗られ妄想』でいろいろ考えた話

再開した『物盗られ妄想』でいろいろ考えた話

1.

母が認知症になった時、一番先に気づいた症状が、手足が上手く動かなくなるパーキンソン病と、幻視。『レビー小体型認知症』の特徴でした。

幻視は、夜寝ていると部屋に、母の兄弟姉妹のだれだれがいるのだと、普通のことのように聞かされました(時には私もいたそうです)。これはこれで困惑しましたが、夢みたいなものだと思い、比較的穏やかな対応ができました。

かなり困ったのは、次に出てきた『物盗られ妄想』

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認知症の母が、みそ汁を作ろうとしていた

認知症の母が、みそ汁を作ろうとしていた

私が夕飯に使おうとしていた具材を無残に切ってるのを見て、簡単に頭に血が上って怒ってしまった。

向こうとしたら、せっかく何か作ってあげようとしたのに、怒られるなんて不条理だろうなと思う。

ここ二年の間、母が包丁を持ったのはこれが二度目で、前回も作ったのはみそ汁だった。量は二人で三日かかる感じで、味はしょっぱすぎて飲めたものではなかった。

それでも自分から料理をしようとしているなら、させるのが本

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繰り返す深呼吸で消えていく一日が、また続く。

繰り返す深呼吸で消えていく一日が、また続く。

父が亡くなって二年たちました。最初の一年は相続関連の雑務が、そしてその途中から今に続く母の介護が、自分の生活の中心になりました。

運が良かったのか悪かったのか、父が倒れる少し前に、それまで就いていた仕事を辞めていました。少し休んで新しい仕事を探す予定でしたが、なし崩しにそれができないまま、今は在宅で出来る仕事をしたり、時短で出来る仕事を探したりしてます。

母は『要支援2』(現在は「要介護2」)

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雨は壊れたピアノ…というよりドラムみたいに降ってました。

雨は壊れたピアノ…というよりドラムみたいに降ってました。

昨日は台風がやってきました。

前日のスーパーはいつもより5割増しの来客でした。自分もその時、二日分買ったつもりだったんですが、翌日、一日雨の予報に反して、一時晴れてたのでもう一度買い物に出掛け、また色々買いこんでしまいました。
(パンとかー、アイスとかー、お酒とかー)

またスーパーの方も心得たもんで、ここぞとばかりにシールを貼ったり、コーナーを作ったりして、値引き品を量産していました。台風来た

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熱波の押し寄せた、最近の夕飯事情 with'80(pastか)

熱波の押し寄せた、最近の夕飯事情 with'80(pastか)

…毎日本当に暑かった(過去形で言ってしまっていいのかアレであるが…)
暑いと、若く健康でも食欲がなくなる(人もいる)ものですが、80過ぎの人間の食事を作る自分としては、日ごろから抑えた感じの食欲が、ますます抑えられるのを回避すべく悩みました。

基本的に「なんでもいい」としか言われません。しかし、生きている以上『なんでもいい』訳はなく、食べたい物の時は箸が進むし、食べたくない物の時はお茶碗をぐるぐ

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