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『JR上野駅公園口』を読んで(「自助」篇)【感想文】一〇〇〇字

 『JR上野駅公園口』が、全米図書賞の翻訳文学部門で受賞した。日本人で三人目。柳美里作品は初めて読むが、さっそく手にする。
 家族を福島県南相馬に置いて、三〇歳で東京に出稼ぎに来た男が主人公。六四年の東京五輪の開催に向けて活気づく時代。家族への仕送りや息子の進学を叶えようと、工事現場で夜遅くまで身を粉にして働く。六〇歳で郷里に戻るが、相次いで家族が他界。両親についで妻、レントゲン技師の国家試験に合格した直後の、長男までも。失意のまま故郷を離れ、八年ぶりで再度東京に戻り、上野「恩賜」公園で、ホームレス生活をすることになる。
 物語は主人公が語り手となり、上野駅二番線で飛び込み轢死した後から始まり、「自分」の過去だけでなく、五年後にタイムスリップし、津波にのまれて逝く孫娘と東北大震災の翌年までの郷里を「彼の世」から、俯瞰する。
 「自分」は、昭和八年生まれで、明仁上皇と同い年。戦後すぐの巡幸では、昭和天皇が訪れた際、「生理的」に反応し、万歳してしまう「市井の人々」の一人でもあった。さらに、現天皇と同じ日に誕生した長男には、浩宮の一字をとって、浩一とするほどだった。
 キーワードの一つは、「山狩り」。天皇家が公園の美術館や博物館に訪ねる日の前に、彼らの住まいであるブルーシートの小屋を方つけさせる「排除」のことだ。上野に来て五年間で何回か行われたが、「その日」が来る。
 御料車の天皇の姿を見て、同じ時間の人生を歩みながら、「運のない」自分との格差。何かを直訴したい想いがありながらも、車に「思わず手を振ってしまう」という天皇制の呪縛を感じながら、二番線に向かうのだった。
 「自分」と、ホームレス仲間は、懸命に生きていた。必死になって「自助」していた。仲間や、支援団体、公園内外のコンビニや飲食店からの「共助」もあった。しかし、「公助」はなかった。「排除」だけ、だったのだ。
 大震災、原発事故で故郷を失い、いまだ戻れない被災者、コロナ禍のなか、どん底で喘ぎ、「助けて」と叫ぶこともできない「市井の人々」こそ、「公助」を必要しているのだ。
 国のリーダーが宣った。「私が目ざす社会像、それは、自助・共助・公助、そして絆であります。まずは自分でやってみる。そして家族、地域でお互いに助け合う。その上で政府がセーフティーネットでお守りをする」、と。
 言いたい。「自助」は皆やっているよ。政治の仕事は、真っ先に「公助」でしょ、と。

*2021年1月13日:四字修正


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