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育んだ想像力が助けてくれること


住んでる地域とか、ついている仕事とか、学歴とか、お金事情とかあるじゃないですか。


例えば生まれ育った地域って、一定の年齢になれば自立して出ていくことも往々にしてあると思うんですが、

多くの人は、幼い時期から思春期にかけては、自分の力でできることは少ない。学校という空間が窮屈に思っても子供が自分の力で動くことは限られているし。


お金事情で言うと、
親の仕事とかの関係で世帯年収は大体決まってしまうものなので、これも一定の年齢になるまでは自分の裁量でどうにかできることは限られていると思う。


人生の中で多感な時期にそういう影響をみんな大きく受けて、

で、大人になった時に、その自分が辿ってきた世界でしか物事をはかれないことがあって。
これは自戒も込めて言うんですが。


例えば、都会の人が教育格差のことを想像しにくかったりとか

その逆で、地方の人が、学生数が多いがゆえの、都会の学校の学内ヒエラルキーの多様さとか、いじめだったりとか(いじめとかはどんな組織でも起こり得るものだと思うけど)


それってきっと辿ってきた人生の中で想像したりして少しずつ育まれるものであって、

大人になって、その想像力を育むことは、きっと自主的に努力しないと、衰退していったり、時代に取り残されたりしてしまうものだなと思う。


わかりやすいのだと、LGBTQもそうだと思うし。
職業だってYouTuberとかも、出てきた当初は印象で嫌う人もいただろうし、


わたしの両親とかは、
「お母さんたち昭和な人間だから」といった前提でアドバイスしてきたりする。

例えば転職を過去に相談した時「転々とせず、今のところがいいと思う」って言ったり、「結婚は早く」と気にしてきたり。


もちろん両親は大事だし、意見にも耳を傾けるけど。


で、そういうことってあるなあっていう話を友達として、
どうすればいいんかなっていう話をして。


自分たちは自分たちでできる努力をしたいねという話をしたときに、
結局そういう想像力を養うことは、本や漫画を読んだり、映画を観たり、趣味を始めて何かのコミュニティに入ったり、人と会話したり。

そういうので育むしかないという結論に至った。

いやわたしは周りに比べたらそんなに触れられてないからこれまた自戒を込めるし

なにより本や映画はただ楽しむものであることなんやけど。
でも副産物的なものもやっぱりあるんかなと思う。

自分でコミュニティに飛び込んだり、作ったり、あるいは対するものが人ではなく、
人が生み出したなんらかの創造物だったり

そういうものに意識的に触れあって、自分の世界を広げていくしかないんだなろうなぁ。


別に意識せず楽しんだらいい話であって、
広げたくなければ広げたくないで、それはそれでいいんですけどね。

でも、想像力がどんどん衰退して自分の世界を狭めてしまったり、時代遅れになってしまうと、
意図せず大事な人を傷つけたりしてしまうリスクはあるなと思ったのでした。

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