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日本仕様の個人主義における自己責任

簡単に昼寝できるというのは、家で仕事をすることのひとつの利点だと思う。この記事にあるような睡眠ビジネスが広がれば、より多くの会社員がパワーナップの恩恵にあずかれる日が来るかもしれない。

パワーナップを体験してみて感じる最大の利点は、なんと言っても朝が二度きたように錯覚することだ。夜は頭が使い物にならない朝型の自分にとって、午前に一度、午後に一度朝がくるというのは非常に都合がいい。短い昼寝でも、頭のエネルギーがリチャージされるのを実感する。

猛暑に備え、パワーナップに注目が集まっているのに乗じて、働く時間ではなく、仕事の能率化が優先される流れになれば更にいいと個人的には思っている。能率アップに有効なら、昼寝でもフレックスでも自己判断でどうぞどうぞという社会は、日本に馴染むだろうか。

働き方改革、終身雇用制崩壊、老後資金自己調達提言など、日本の「働く」をめぐっての状況変化がめまぐるしい。誰もがうすうす感じてはいたものの、ここにきての立て続けのお達しは、表面上の変化だけでなく、働く人々の意識の変化を促すのに十分なショッキングな内容だ。

いよいよ「自己責任」が大手を振りだしたように見える。社会と企業が「自己責任」を盾にするのなら、個人も「自己責任」を矛にして戦うしかない。全てを個人に帰せるのなら、社会も企業も個人が「自己責任」を追及できるようなシステムと選択肢を用意するのが筋ではないか。

「自己責任」をうたいながら、サービス残業を強いたり、副業を禁止したりすることはおかしい。また、病気の際に病欠のかわりに有給を使わせたり、今回のカネカの件のように、有給休暇を取らせなかったり、育児休暇取得が昇進に響いたりするのもおかしい。

「責任を個人に丸投げする」というのは、「個人の自由を最大限に尊重する」ということにほかならない。個人の選択の自由を認めずに責任だけ負わせるのには無理がある。

国外から見ていると、日本はまさに今「集団主義から個人主義へ」舵を大きく切っているように見える。社会や企業が今後どのような変化を遂げていくのかが楽しみである。

同時に、社会が変化しても日本人のマインドはそう簡単に変わることはないだろうと思う。なぜなら、大多数の日本人にとって「個人主義」というのはまだまだ身近なものではないからである。

免疫の無い多くの日本人にとって「個人主義」は、やけに冷たく突き放されたように感じるものかもしれない。ダイレクトすぎる物言いで、なんと失礼な、と思うものかもしれない。あまりにも自分勝手で押しが強く、空気の読めない、という印象を抱くものかもしれない。

集団主義と個人主義のどちらにも長所があり、短所がある。日本人と日本社会がより個人主義化するのがいいのか悪いのかはわからない。

ただ、日本人の習慣や情緒、同調圧力といったものを考えると、個人主義の方向に社会がいくら進んでも、日本においての個人主義は、あくまでもある程度の集団主義を包括した「日本仕様の個人主義」に行き着くのではないかと私は考える。

日本人らしいウエットさをもちながら欧米式のドライなシステムに身を置くことになる過渡期においては特に、「個人主義を頭では理解できるが気持ちがついていかない」と感じる人が増えるのではないかというのが、北米の個人主義に長年もまれてきた私の予想である。


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