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素直な「ありがとう」が心にとって一番良い

謙虚のつもりが

謙虚であることが大人の在り方だというものが僕の中にありました。自分のことを、すぐに他人にアピールをしたり、自慢ばかりをすることはうぬぼれだと考えていました。

素晴らしい人間になるためには、どんな時も謙虚である必要があるのだと、自分に言い聞かせてきたんです。それが、いつの間にか、僕は自分を下げてしまうことが多くなっていたんです。

それが、自分に価値を感じなくなってしまった原因となっていくのでした。

当時は、そんなことを知らずに、いつも良かれと思い自分のことを蔑んでいました。

自分でも気が付かないうちに、そうした行動が自分自身を傷つけ信頼を失っていっているのでした。

気が付いたときには、自分を完全に見放してしまっていました。

素直にありがとうが言えたなら

仕事は真面目にしていたので、ある時褒められたことがありました。

いい人だと言われたんです。

そんなはずはないと無意識に感じた僕は、気まずくなって、いつも口数が少ないはずなのに、妙に口達者になって、何故か言い訳してごまかしていた自分がいたんです。

もう素直に「ありがとう」が言えなくなってしまっていたんです。

まるで、褒められたり、認めたりされることにアレルギー反応を示しているようでした。

それと、同時に「ごめんなさい」も言えなくなってしまいました。同じように、言い訳を必死に並べてしまう自分がいました。

これは、僕の想像なのですが、傷つきたくなっかったんじゃないかと思うのです。ごめんなさいと言えば、自分の非を認めることになる。非を認めることは、自分の駄目なことを認めることになる。それは、何よりも傷つくことになるんじゃないかって、当時の僕はそう思い込んでいたんじゃないかって。

それは、「ありがとう」も同じだったんじゃないかと思います。「ありがとう」と受け取ってしまえば、僕は良い人間だということを認めることになります。そんな見え透いた嘘は、すぐにはがされてしまうのではないかと思ってしまうのです。

そう思うからこそ、怖くなっていたんだと思うのです。でも、自分の意気地なしを自分に誤魔化すために口数多くしちゃって。そんなの自分自身のことだから、バレバレなのに。

でもですね。分かっちゃったんです。

どうやら、僕は考え過ぎていたみたいです。頭で考えることを優先させたばかりに、心で感じることを忘れてしまったのです。

どれだけ、素直に「ありがとう」っていうと、心地がよいものなのか。「ありがとう」と、受け入れることで、自分を認めることが出来るのですから。

「ごめんなさい」と言えば、どれだけ、心がすっきりとするものなのか。自分の駄目な部分を認めることは、案外気持ちがよいものなのです。

僕の心は言っているのです。自分をどれだけ偽えば偽るほど、誤魔化せば誤魔化すほど、虚しさを感じるだけだって。そうなれば、前をむけなくなってしまうのは、仕方のないことだって。だって、自由ではないと錯覚してしまうから。それは、多くの大切なものを見落としてしまいます。

素直になることで、心は自由になれるのです。自分とは異なる価値であっても、受け入れることができるから。それは、心にとって一番良いものであるように思います。

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最後まで読んで頂きありがとうございます。
今日も自分をご機嫌に。
メルシー

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