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それでも私は、貴方に絵を描いてほしい

好きだからこそ、できないことがある。
生半可な気持ちでは向き合いたくなくて、理想をどこまでも追求したくて、細かいディテールにまでこだわって、最高のものを世に発信したい。
正解はない、孤独な戦い。
表現の世界には多かれ少なかれ、似たような話があると思う。

私の母は高校までずっと絵を描いていた。
油絵を専攻していたというが、その頃の母の絵を私は見たことがなかった。
ただ今日まで母を見てきて、絵が好きだということはよくわかっていた。
私が小さい頃は、本人以上に張り切って夏休みの宿題のポスター制作を手伝ってくれたし、図工の時間で作成する作品も、文化祭の準備もアイデアを出しまくってくれた。そんな母の勢いが凄すぎて昔はついていけず若干引いていたが、大人になってみると、それは母の美術制作に対する意欲の現れだったのかもしれないと考えられるようになった。
そんな母の口癖は「余裕ができたらまた絵を描きたい」だった。金銭的な理由から美大にも四年制大学にも行く夢は叶えられなかった母は、大人になってから制作をする時間的余裕と機会を失ってしまった。
2人の子どもを社会に送り出して、時間的余裕を手にして、制作ができるようになる、はずだった。
未だ彼女は絵を描いていない。「落ち着いたら描きたいんだけどね〜何を描いたらいいかわからないんだよね」と言っていた。

何年ものブランクがあることもあるが、描きたい絵がなんだかわからないという言葉に、私はショックを隠せなかった。あれだけ絵や制作が好きな彼女が、時間ができて、これからやっと自分のために時間を使えるようになったのに。
でも思えば、何年も何年も温め続けていた夢があって、いざ目の前で、もう何にも気にせず自分のために時間を使っていいよ!と言われたら、怖いのかもしれないと思った。残酷なことに夢は夢であった方が、穏やかで自分の手元で扱える。
挑戦することは、体力もいるし、自分の実力をまざまざと見せつけられて劣等感も感じるし、評価の目に晒されて傷つくことだってある。
大切だから、自分のアイデンティティにとても近いものだからこそ、誰にも奪われたくない、誰かに傷つけられるくらいなら、日の目を浴びなくてもいいから夢のままで終わらせたい。そう思う気持ちは、痛いほどわかる。
絵描きになるわけでもないのにとか、こんな歳から描いたって世間の役には立たないとか思っているのかもしれない。

でも、それでも。私は母の絵が見てみたい。
母が何者にも縛られずに、自分のためだけに描いた絵を見てみたい。貴方の夢を貴方の手で叶えられた瞬間を私は見てみたい。
大きなことなんてしなくていい、誰かの役に立とうとしなくていい、ただ、自分のためだけに絵を描いてほしい。
彼女が絵を描く夢を叶えられたら、私の「表現を通して生きることを楽しめる世の中にしたい」という夢がまた一つ叶う。

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