記事一覧
哲学って何する学問?
「哲学って何してるの?」に対する答え
さまざまな学問の中でも一般に何をやっっているか分からないと聞かれることの多い学問No.1を決めるならおそらく一番最初に候補に入ってくる学問、それが哲学である。
私は大学で哲学を専攻してはいたが「哲学とは」について語れるほど見識は深くないことを断っておく。しかし、大学在学中に教授らが先の質問「哲学とはなにをする学問なのか?」について思ったより意見が割れている
記号論理学はアリストテレスをどう乗り越えたのか?③
前回の記事では記号論理学とは伝統論理学をカバーする拡張された論理学なのであり、伝統論理学は誤りでは無いことを確認した。今回はおまけでアリストテレス論理学が負っていた不足について見ていく。
0.命題論理
命題論理とは項をもたない命題(原子命題)と命題どうしを演算子で結んだ複合命題を使って推論を行う論理学のことだ。項を持たないことから述語論理が一項述(Pa)、二項述語(Pab)というように0項述語
ニューカムのパラドックス
ニューカムのパラドックスとはアメリカの理論物理学者ウィリアム・ニューカムが提唱したゲーム理論に関連する問題である。
ニューカムのパラドックスそれは次のような内容だ:
あなたの目の前にAと書かれた透明な箱とBと書かれた中身の見えない箱がある。
あなたは悪魔を名乗る人物からAには1000円、Bには1億円が入っていることを知らされる。ここであなたには2つの選択肢が与えられる;
Bの箱だけを開ける
知っていればできるのか?~knowing-that,knowing-howに対する考察~
「知っていればできる」あるいは「知らなければできない」というのは当然のように感じる。しかし、同時に世間では「知っていてもできない」ことがあるように語られることは多い。ここでの「できる」は可能性(possibility)の話ではなく能力(capability)の話だ。いわばこれは「知識」と「能力」は違うということを言っているわけだ。
"事実の知識"と"方法の知識"言語哲学者G.ライルは「知識」につ
寛容のパラドックス~多様性嫌いの原因考察~
寛容のパラドックスというパラドックスをご存知だろうか?寛容のパラドックスとはカール・ポパーの著書『開かれた社会とその敵』で紹介されたものだ。ポパーは「社会が無制限に寛容であるなら、その社会は不寛容に対して不寛容になるべきである」という。
寛容の原理寛容のパラドックスを詳しく見る前に私たちの社会はなぜ寛容であるべきかについて確認しておこう。
$${principle of charity}$
矛盾は何故してはいけないのか?〜矛盾からはすべてが導かれる(爆発律)〜
矛盾はなぜしてはいけないのか?それは矛盾を含む証明からはなんでも導かれてしまうからだ。
矛盾からはなんでも導けることから爆発的に多くのことが出てくるという意味で矛盾のことを爆発律と言ったりもする。
矛盾とはどういうことか?故事成語としての矛盾の話は誰もが聞いたことあるだろう。すなわち何でも貫ける矛と何からも守れる盾を戦わせた時どうなるのか?というものだ。この故事成語はいわばそんな矛(/盾)
嘘つきのパラドックスの解決~「この文は嘘である」は嘘か本当か?~
嘘つきのクレタ人のパラドックス
嘘つきのクレタ人のパラドックスはメガラ派の哲学者エウブリデスにより唱えられたパラドックスだ。
・この発言が真なら、エピメニデスが本当のことを言ったことになる。しかし、エピメニデスはクレタ人なので嘘しか言わないはずだ。(矛盾)
・この発言が偽なら、"すべてのクレタ人は嘘つきというわけではない"$${\iff}$$”クレタ人の中には嘘つきでない人もいる”。しかし、
【映画】『ゴジラ-1.0』〜舞台装置としてのゴジラ~【感想】
三連休初日、さっそく本日(23/11/03)公開の新作ゴジラを観てきた。
邦画ゴジラといえば最近では『シン・ゴジラ』(2016)が話題を掻っ攫っていった。また、ハリウッドでは『GODZILLA ゴジラ』(2014)を皮切りにキングコングとゴジラの二頭立ての"モンスター・ヴァース"が始まった。圧巻のスケールで描かれる映像美のゴジラワールド、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019)や『ゴジ
「いま暇?」構文の論理的誤り~多重質問の誤謬~
「いま暇?暇なら~」
「いま暇?」と聞かれて先に暇であることを伝えてはならない。「暇なら~手伝って」(あまり手伝いたくない内容)を断る理由がなくなってしまうからだ。この「いま暇?暇なら~」構文が苦手な人は多い。
暇じゃないといっているにも関わらず「暇なら~」などと言ってきた場合は明らかに相手が悪い。しかし、こちらが「暇だけど何?」などと返した日には相手の土俵にわざわざ上がってしまうことになる。
記号論理学はアリストテレスをどう乗り越えたか②
前回の記事では現代の記号論理学と伝統論理学を比較し、三段論法という段階では両者に差がほとんど認められないことを確認した。今回は伝統論理学が抱える困難について見ていこう。
伝統論理学における困難たしかに、記号論理学は数学的に扱えるようになったことでプログラミングなどでの運用が可能になった。ここは明らかな強みである。しかし記号論理学はただ数学の分野として扱えるようになっただけではない。伝統論理学での