見出し画像

精神疾患と共に生きていく

こんばんは。

今回は私の〖病気〗について書きます。

よろしければこちらもご覧下さい😊

私は適応障害です。
ワケあって診断書にはそれだけ書いてありますが、予期不安、パニック障害もあります。

原因は元々の特性や生育歴なんかもあるらしいです。
でも発症の一番の原因となったのは、姑からの過干渉と、仕事です。

画像1

仕事

姑についてはよくある話なので省略します(ばっさり。笑)

私は高校教諭として採用されました。
でも、12年間の教員生活、高校で働けたのは1年のみ。産休育休を含むというのもありますが、それ以外、特別支援学校に飛ばされたのです。

佐賀県では、特別支援の免許を持っていなくても特別支援学校に配属されます。人が足りないので。
ちなみにスキルアップのため、在職中に中高家庭の免許を取ったんですが、家庭科は採用試験を受け直さないと教えられないっていう不思議すぎる現実……🌀

要は、
〖足りとるから採用試験受け直しなはれやっ😏〗
〖足りんから特例で免許なしでオッケー😆👌〗
ってこと。

やりたい放題やろー((( ꒪⌓꒪)))

で、私はまんまとその特例によりいいように使われ、2つの特別支援学校に配属されたわけです。

配属されたからには勉強します、もちろん。
責任ありますからね。

でも生徒一人一人の障害や特性は違うし、対応も違う。
内示が出てから勉強しても追いつかん。。

というもどかしさと不甲斐なさと理不尽さにがんじがらめになり、赴任後は月に一回、必ず高熱を出してました。今思えば身体からのSOSやったんやろうな🤔

それでも同僚の先生たちは協力的だし、たくさん相談したし、されたし、情報共有してました。本当に恵まれてた😭

それを上回ってくるのが生徒。
特性だから仕方ない。
そう割り切ってました。
その上で、支援していくのが自分の仕事だ、と。

でも想像してみて下さい。

170cmを超える男子生徒が明らかにイラついている。
そして暴言が始まる。
『くそやろ!』
『うっせーんよ!』
『ぶっ殺すぞ!』
『おまえみたいなのが先生とか終わっとるやろ。死ねよ。』
『おまえの家族皆殺しにするけんな』

長い時は50分くらい続きます。
耳はちくわにするようにしてました。
流す、とにかく時がたつのを待つ。
ここで口を挟むと地獄絵図になるんで、ひたすら耐える……

特性なんだよ。
ストレスたまってたんだよな。
何がストレスの原因なんだろ?
ちゃんと薬飲んでたんかなあ。
このことを明日、落ち着いたタイミングでフィードバックして、こうなった過程を一緒に振り返ろう。
そしてキレそうになったらどうしたら切り替えられるか、一緒に考えよう。
リラックスできる方法、アンガーマネジメントについても話しながら引き出していくか。

↑『○✕△&%@₩#◇□÷€$......』って暴言吐かれてる時の私の脳内🧠

画像2

糸が切れた





そんな日々を過ごしていた時。
また嫌な予感🌀
そして始まった暴言祭。
散々吐いて、次の授業で号令かけるよう言われ、
『○○先生(私)をクビにしたらかけてやる。』
と発言したその生徒。

実はこの授業、全国から特別支援学校の先生たちが見に来ている研究授業なのでした。

なので、一気に私の名前が全国に広まってしまったんですね、こういう嫌な感じで。

それを職員室で伝え聞きした私は、何かの糸が切れたのが分かりました。

それから昼も食べずに一心不乱に教材作成や事務作業をし、有給を取って帰ることに。(その日は土曜授業という特別校時で午後は授業なし)

車に乗った瞬間、涙がこぼれ落ちてきて、泣きじゃくりながら家まで帰りました。

画像3

初めての精神科入院

泣きながら帰宅した日から、部屋に閉じこもるようになりました。ちょうど3年前の今頃です。

食欲もないし、寝れない。
感情のコントロールもできない。

何日かして相方に連れられ、精神科を受診。
その場で入院を勧められました。

精神科に入院って聞くと、いわゆる閉鎖病棟とか、拘束とかをイメージされるかと思います。

私が入院したのはストレスケア病棟。
一時的に心と身体を休め、生活リズムを整える。そういう病棟でした。
持ち物の制限(刃物や鋭利なシャーペンなど)はありますが、外出許可が出ればその人の状態によって外出範囲が決まり、外の空気を吸えます。外泊も同様。
OT(作業療法)は参加自由。
しんどかったら途中で抜けてもOK

そういう環境で3ヶ月生活しました。

ちょうどクリスマスにお正月と、家族で過ごすイベントが続いて、子どもたちに会えないのが本当に辛かった。

でも、この時間で自分の性格から特性、得意なこと苦手なことを俯瞰することができました。

退院して約3年。
月に二回ほどの受診と、週一の訪問看護は必要。
毎日の服薬も必要💊
一人で運転できるのは住んでいる地域内と隣町にある病院まで。
相方に運転してもらう時は、なるべく途中にトイレがあって、渋滞しにくいルートをお願いしてます🚙
公共交通機関を使うのも怖い🚃💨
とても疲れやすくて、頭がぐるぐる🌀したり、ひどい時は動悸で胸痛がします。

周りの方のサポートがないと困ってしまうのです。
症状が出た時に助けてもらうことができないと、更に不安になって、更に外出することが怖くなってしまいます。
だからヘルプタグを作りました。

はじめは疾患のことを親戚にも隠していました。
私自身が〖精神疾患〗について偏見や嫌悪感があったからです。
真実を話したらどう思われるか。
腫れ物を扱うように対応されるんじゃないか。
それが怖かった。

でも私は私。
隠しても少しずつほころびができて、そのたびに取り繕い、家族にも口裏合わせをお願いしないといけない。
その時に感じるストレスと家族への申し訳なさを想像すると、いさぎよくオープンにした方がいいって思いました。

だから精神疾患を隠したいという考えを捨て、オープンにすることを決めました。

休職してもう少しで3年。
職場復帰は諦めました。
復帰しても当該生徒はいるし、足がすくんだ廊下も、暴言にひたすら耐えた教室もそのまんま。

異動希望を毎年出すも、すべて配慮なし。

このまま身体と心を粉砕してまで働くものではないと思い、年が明けて退職することを決めました。

仕事を手放すと決めたら、めちゃくちゃ楽になりました。
うまく病気と付き合いながら、生きていく覚悟ができました。
3年もかかっちゃったけど、無駄な時間ではなかった。
自分と向き合い、これからの生き方を考える大切な時間でした。





次回は、病気と付き合いながらサッカー観戦ができるようになるまでのことについて書きます✏️

#精神疾患
#適応障害
#教員
#休職
#精神科
#自分と向き合う
#特別支援学校
#教員としての葛藤
#仕事
#パニック障害
#予期不安

よろしければサポートをお願い致します😊 頂いたサポートは、全国の朝鮮学校支援に遣わせて頂きます♪ 꿈은 이루는 법이다. 夢は叶えるもの⭐