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詩『しろ、とあか、と茶褐色の朝』

慌ただしい日々が一方通行に駆け抜けてゆく。台所のシンク、みずに浮かんだりんごの孤島、溶けてゆく果物のくちびるの封印。鏡の前に散らばったままの化粧品、そしておしろいのいろ、しばし立ち止まって、紐解かれてゆくあさの風景。白と赤と茶褐色のいろが揺らめいて。

お母さんはいつも白浮きした顔で、玄米を炊いてくれていました。お父さんはいつも白米が食べたい、と新聞紙ごしに訴えていました。
『玄米は栄養がいっぱい詰まってるんよ。何でも白がいいとは限らんのよ』
 お母さんはそう呟きながら、炊きたての玄米をよそってくれました。少し茶色くて、ぼそぼそとした感触。あまり美味しいとは言えません。良薬口に苦し。湯気の上がる白米の匂いを想像して、たまに胸がぎゅっと締めつけられました。

お母さんは私の苦手な高野豆腐(出汁の染みこんだスポンジ)、おばんざいや野菜の炊いたんをよく食卓に並べてくれました。ときどきお店のジャンクフードやスナック菓子がき、らき、ら、ひ、か、る。ずっとはんばーがーやでみぐらすそーすのはんばーぐやふらいどちきんに飢えていました。近所の晩ご飯の交差点で、いつもうちだけ賑やかな匂いにかき消されるのです。薄味で地味なラインナップは、三遊間のゴロに撃ちとられました。残念、無念。
 
三遊間のゴロは時を経て、ヒットになりました。健康食時代の到来です。今や玄米、雑穀米を好んで、ひとびとが食べるのです。ジャンクフードに憧れていたこどもはおとなになって、お母さんのように玄米を炊くようになりました。ひとつぶ、ひとつぶ、毎日、噛みしめています。そして見様見真似で覚えた旬のおばんざいや野菜の炊いたんを拵えます。今となっては、高野豆腐も好物のひとつです、ごめんなさい。

そしてお母さんのように、私も化粧をするようになりました。あかい口紅が踊りながら、ひときわ顔をしろく仕上げます。それはまるで炊きたての白米のようです。鏡を覗きこむと、そこにはお母さんに瓜二つになったわたし、の姿が映っていました。

よく洗ったりんごをひとつ囓りました。適度な距離を保ちながら、孤島と孤島は手紙を綴り合います。
『玄米は栄養がいっぱい詰まってるんよ。何でも白がいいとは限らんのよ』
玄米色の便箋から、あの台詞が聴こえてきそうです。しろ、とあか、と茶褐色の香りに包まれる朝。

photo 1:(見出し画像、みんなのフォトギャラリーより、おてつさん)

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