新原風景と根っこ「プロレス」

自分の中の原風景と根っこについて、書いていく記事のシリーズ。
今回は、私のnoteの記事に、度々登場する「プロレス」について、書いてみたいと思います。
私の世代にとっては、プロレスは、「格闘技」であり、「プロスポーツ」の入り口的な存在でした。そこから、どういう風に、スポーツや格闘技に行くかと言う通過点や入り口でもありました。実際、他にも、そう言う人もいたのには、驚きました。
ゴールデンタイム(プライムタイム)や夕方、深夜の時間帯、そして、週刊プロレスや週刊ゴング、スポーツ新聞等で、試合の結果を読みながら、プロレスを楽しんでいました。
私の世代は、闘魂三銃士、超世代軍(+田上明で四天王)のプロレスラー達が活躍していました。そして、新日本プロレスのジュニア黄金時代と、本当に、良い時代だったと思います。
また、週刊プロレスやゴングとの、プロレス誌とのメディアミックスを利用して、試合を盛り上げて、有効活用していたなあと言う記憶もあります(特に、FMW)。
私の住んでいる宮城県では、全日本プロレスが大会を開くと、地元のテレビ局(ミヤギテレビ)が、その大会を特別放送してくれました。
そして、プロレスと言う、「格闘技」であり、「スポーツ」であり、「娯楽」であり、「祭り」であり、「儀式」である、いろんな要素が複合された特殊なジャンルであります(これを理解していたのは、ジャイアント馬場氏だったりする)。また、試合だけでなく、世間や様々な物と、プロレスは戦っています(この部分を理解していたのは、アントニオ猪木氏)。我々は、プロレスのこんな所に、惹かれるんだろうと思います。
※元WWEのスーパースターのクリス・ジェリコ選手は、雑誌のインタビューで、「(日本の)プロレスは戦い」と言っている。
いろんな物が複合し、戦っているプロレスを魅いられながら、今日もまた、プロレスを応援していると思いながら、この記事を締めたいと思います。