見出し画像

DNAが駆り立てた好きなことへの道

こんにちは、アラカンのおかんです^^ コロナで経営していたゲストハウスのお客様がほぼゼロに😵日々悪戦苦闘しながらもほっこりしたものを書いていきたいと思っています😄

今日のタイトル何だか不思議ですね。「一体何を言いたいの?」って感じです。おかんはゲストハウスとシェアハウスを運営しています。お客様はほぼゼロですが。。。今日は宿泊業にたどり着いたのは、DNAの成せる業だったのかを書いていきたいと思います。

旅館の末裔

女の子はよく父方の方に似るっていいますよね。おかんも父に似ていると思っています。父は8人兄弟の末っ子で育ちました。父のおばあちゃん、おかんにとってはひいおばあちゃんですが、その実家は地方で旅館をしていました。駅前にあるその旅館は1916年に建てられ、100年以上現役の旅館として運営していましたが、平成19年に閉館しています。現在は資料館として一般に公開しています。

好きなことに出会うまで歩いた

おかんが現在の宿泊業にたどり着くまでには、けっこういろいろな職業を転々としていきます。アルバイトも含めると相当の数になります。流れとしては公務員→アメリカ留学→レストランバイト→不動産会社営業→飲食店→宿泊業となります。公務員は続けていれば安泰で定年まで働けて退職金ももらえたでしょう。でも「今、留学しないと機会はないだろう」ということもわかっていました。一年くらい結論が出なかったのですが「死ぬときに後悔するだろう」というのが最終的な決め手でした。この時、おかんは42歳になっていました。そしてスーツケース2つで海を渡りました。日本に戻ってからはシェフの仕事を探しましたが、アルバイトの仕事の採用だけしかありませんでした。これでは食べていけず、宅建士の資格を取り不動産会社に就職します。そこで、マンション販売をしていました。飲食店は新宿の小さな店を借りてオープンしましたが、売り上げから材料費と家賃を払うと、自分の定期代も払えず、あえなく閉店となります。そしてひょんなことから、宿泊業の道を歩むことになったのでした。おかんは全く宿泊業なんて考えたこともなかったので、人生って不思議ですね。

好きなことは仕事と思わない

父は「団子屋をやりたい」と言っていたことがありました。バリバリの仕事オンリーの人が漏らした言葉に「何いってるのか意味不明」でした。今思うと、父にも「自分の好きなことをやりたい」という思いがあったんだなあと理解できます。でも家族を支えるために定年まで働いたのでした。おかんは支える人がいなかったので、好きなことをやってこれたのかもしれません。宿泊業を始めた時「あなたにぴったりね」と言った母は、公務員を辞めた時「何を考えているのか、さっぱりわからない」と言っていました。ここでようやく自分の道を歩き始めたのだと思います。今の宿泊業は仕事と思っていないふしがあります。好きなことをやっているので仕事と思わないからです。

遅い出発で遠回りをしながら歩いた道。好きなことをしていったら、偶然、宿泊業の道へ。DNAが導いて駆り立ててくれたのかもしれません。

さいごまでお読みいただきありがとうございました。スキやフォローもしていただけると励みになります。それではまたね。ばいばーい😃


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?