浮き輪をかついで行った海の思い出

こんにちは、アラカンのおかんです^^ コロナで経営していたゲストハウスのお客様がほぼゼロに😵日々悪戦苦闘しながらもほっこりしたものを書いていきたいと思っています😄

昔、昔、東京のある町に住んでいた親子は夏の陽射しの中、海を目指しました。これはおかんが小さかった頃の思い出です。遠く半世紀前の話です。

葉山の海へ

目指したのは葉山の海。神奈川県の湘南の海です。その頃はまだ静かな所で近くに皇室の御用邸がありました。坂を少し上ると、父の会社の小さなクラブがありました。保養所のような所ですが、食事は自炊でしたので、お米を持って行ったのです。海は本当に近くにありました。その頃はまだ、弟が生まれていなかったので、家族は父、母、兄、おかんの4人でした。

海の上でゆらゆら

一番の楽しみは浮き輪をかついで行って、海の上でゆらゆらすることでした。浮き輪と言っても今のようなカラフルなビニール製ではなく、車のタイヤのように黒くて大きいものが、そのクラブに置いてあったのです。本当のタイヤのようでしたが、もっと柔らくて丸っこい形です。小さな体はそのタイヤの中にすっぽり収まり、両手でかついでいったのです。重いタイヤをしっかり手で支えて、海を目指します。海は穏やかで子どものおかんでも安心して遊ぶことができたのです。磯遊びも大好きでした。「岩の中に何かいないかな」とごぞごそと棒で突いて探します。小さなカニが出てくると大喜び。獲物を取るのが好きだったのです。

腹ペコ

お腹が空いてクラブに戻ると、母が食事を作ってくれました。近くに小さな商店があって買い物にくっついて行きました。店の中には子どもの目で見ても大したものは売っていなかったのですが、店はそこしかないので「何かおかずになるものはないか」と調達します。そんな大したことのない調達品で作ったおかずでも腹ペコのおかんには、ご馳走だったのです。

夜空の花火

楽しい楽しい海での生活も長くは続きませんでした。父の仕事があるし、他のお客さんも利用するからです。いよいよ明日は帰るとなった前の晩に、鎌倉の花火大会がありました。家族で浜辺まで見に行くと「ボーン、ボーン」と花火は次々に打ち上げられ、夜空を美しくいろどっていました。「ああ、明日は東京に帰るんだな」と夜空の花火を見ながら寂しい気持ちになったのでした。

今はもうクラブはありません。そして葉山に行くこともなくなりました。でも心の中にその思い出は今も生き続けています。

さいごまでお読みいただきありがとうございました。スキやフォローもしていただけると励みになります。それではまたね。ばいばーい😃

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