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[理系による「映画」考察] 欲望という名の電車(1951) ➡女優を極めると大妖怪に...

1951年のアカデミー賞は"巴里のアメリカ人"で、それを見ようとしていると、そんなんいいからヴィヴィアン・リーを見るべし、と妻から勧められ、2度目のアカデミー主演女優賞作品ということで、女優として、"風と共に去りぬ"、以上に何かありうるのかしら?、と思ってみていたのですが、


妖怪っぷりにさらに磨きがかかってるやん!!!


しかも、クラーク・ゲーブル級の相手役でなくても物語をエンタメにできるまでレベルアップしており、マーロン・ブランドが妖怪に立ち向かう勇者にしか見えない始末(将来のゴッドファーザーですが…)、な映画でした。

初見では、あまりの妖怪っぷりに気を取られ、ストーリーが全く分からなかったので、もう一度見るも、なんだか分からず、解説を読んでようやく理解できましたが、妖怪自体を堪能するならば、あのぐらい具体性の低いストーリーの方がよいのかもしれません。なぜなら、それぞれの演技の背景が具体的だと、妖怪度を下げ、人間度を上げざるを得ないから…

あと、マーロン・ブランドとヴィヴィアン・リーの演技が役柄的に交わる必要がないので(水と油の関係でよい)、相手に気を使うことなく自身の演技に集中すればよく、その辺の平行線な演出の感じも、なんじゃこりゃ!、感がでて良かったです。

ただ本音を言うと、
映画ではなく舞台で見たかった….。生で妖怪を堪能したかった…。
はありますが、まあ敵わないことを言っても仕方がないので諦めます。

と、女優を極めた大妖怪が賞を取ると同時に、それと真逆の超清純派女優がこの2年後"ローマの休日"にて鮮烈な世界デビューを果たす時代の移り変わりがなかなか面白いな~、と思う今日この頃でした。


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