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2021年12月16日「許してもらえるかは相手次第ではないのだろうか」

相変わらず『分別と多感』を読んでいる。そろそろ読み終わるだろうか、というところなのだけど、とある登場人物が、過去の自分の振る舞いにたいする言い訳を始めたので複雑な心境になってしまった。

自分が酷い人間だったと、本人が自覚しているまでは良かったのだけど、そんな自分を許してほしいと自ら言ってしまうのはどうなのだろう、そしてそれを相手の姉妹に伝えて欲しい、自分の気持ちを理解してほしいと懇願するのはどうなのだろう、なんて考えていた。

自分の振る舞いを許してもらうために、相手の姉妹に協力してもらおうと考えるのは卑怯なのではないか、そんな思いが強くなってしまい、この人物に同情できなかった。

どんな事情があったにせよ、「私の苦しい立場も理解してください」と言ってしまう時点で、私は聞く耳が持てなくなってしまうのだけど、相手の状況も理解してあげて優しい言葉をかけてあげられる人も、世の中にはたくさんいるのだから、そういった部分で私は冷酷なのかもしれないな、と思いつつ、そうは言っても、許されない行為は許されないのよ、と強気に考えている。

こういった自分の意見だけにこだわっていると、大事なものも見落としてしまうだろうから、きっと止めたほうが良いのだけど、私の頭はカチンコチンに固まっていて、ちょっとやそっとでは柔らかくなりそうもない。

けれどこうして本を読み、色んな状況や色んな思考があることを知り、自分の考え方は正しいのか?と常に問いかけられるようになったのは、成長の一つだと思いたい。

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