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読書日記・世間という名の恐怖

5月28日(日)

シール付きのウエハースチョコって、何十枚と食べるには飽きてしまうもんだからどうにかして消費したい!と思い、Google先輩に「ウエハース 消費 レシピ」と検索したらブラウニーのレシピが出てきた。このブラウニーのレシピは、ウエハースを20枚も消費できるらしい。早速材料を集めて作ってみたら、サクサクのウエハースからとてもフワフワのブラウニーが出来上がってビックリした。ウエハースの材料にフワフワの要素があったんだ。料理ってたまに実験みたいになるから面白いなと思う。たまにね、たまに面白いね。

そしてウエハースを20枚も使ったブラウニーは、量が多くてなかなか食べきることができずにいる。ちょっとやっちまった感。

読んでいたのは、ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』

前作の内容がうろ覚えすぎたけど、この本単体でも充分面白くて、それってやっぱりブレイディみかこさんの文章が素晴らしいってことなんだろうな。文章が好き。それだけで本を読んで良かったと思える。みかこさんのお父さんと、みかこさんの息子さんの関係が好き。祖父と孫の優しい関係がとても良かった。


5月29日(月)

息子と久しぶりにマリオカートをする。以前は私に勝てないことで涙もでた息子だけど、今では息子に勝つことのほうが難しくなっていて悔しい気持ちを私のほうが重ねている。夫も息子に勝てないために、必死でマシーンを選択して加速がどうとか、まがりやすさがどうとか吟味しているけれど、マシーンが何であっても息子に勝つことは出来ない。マリオカートで勝つためには腕を磨くしかないのであり、マシーンのせいにしている人はレースでは勝てないのだよ、と知った風なことを言う私もマシーンを必死で選んでいて、どのマシーンだったら息子に勝てるだろうかと考えているのだから、やはり私と夫は目くそ鼻くそを笑うの世界で生きているなぁと感じた。

読んでいたのは、鴻上尚史さんの『「空気」を読んでも従わない』

日本に住んでいると空気を読むことを当たり前と思うけど、海外ではそういった傾向は見られないんだそうで、何が根本的に違うのかと思っていたら本の中で「世間」と「社会」という話が出てきた。

 「世間」というのは、あなたと、現在または将来、関係のある人達のことです。
 具体的には、学校のクラスメイトや塾で出会う友達、地域のサークルの人や親しい近所の人達が、あなたにとっての「世間」です。
 「世間」の反対語は、「社会」です。
 「社会」というのは、あなたと、現在または将来、なんの関係もない人達のことです。
 例えば、道ですれ違った人とか、電車で隣に座っている人とか、初めていくコンビニのバイトの人、隣町の学校の生徒などです。
 日本は「世間」と「社会」という、二つの世界によって成り立っているのです。

『「空気」を読んでも従わない』より引用

「世間」は自分の周囲にいる人たちで、「社会」は自分とは関係のない人というくくりらしい。日本はこの「世間」で生きる感覚が強く残っているために、空気を読まないと生活しにくくなるという点があるらしい。空気を読まない人間は仲間外れになりやすいので、身内同士で助け合う「世間」を大事にしないと生きていくことが難しくなる。

一方の海外は「社会」しかないので、自分の知っている人と知らない人を分けて考えたりしないらしい。知らない人だけど助けるという感覚がもともとあるそうだ。きっとこの辺りは人によるんだとは思うけども。

仲間であるという事実は、時に心強い助けにもなる。しかし同時に、仲間外れになるかもしれないという恐怖もあわせもっていて、その恐怖が勝ると空気を読むことを優先してしまい、自分の意見を言うことすら怖くなってしまう。

ただ『「空気」を読んでも従わない』に、日本にある「世間」は中途半端に壊れていると書いてあった。強力な「世間」はそんなにないらしい。ひょっとしたら「空気を読まなければいけない」と、自分で自分を縛っているかもしれない。そんな可能性も本には書かれていて、私自身も「世間」を強大な力のあるものだと思っていて、従わなければいけないものだとずっと思いこんでいたことに気がついた。自分が作り出した「世間」という名の恐怖を勝手に抱えていただけだったのかもしれないなと思った。

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