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皮と鬼、『入れ札』

菊池寛の掌編小説『入れ札』を薦めた。
「文学中年」を自称するその人は
性格が悪いらしい。弱いらしい。
そんな自分が嫌いじゃないらしい。
信用できる(笑)
たぶん、
剥いでみたらちょっと似てるような気がする。
と、やりとりをしていて思うようになった。

だからなんとなく思い出して薦めてみたところ、
すぐに読み終えて面白いnoteを書いて下さった。

驚きと共にちょっと慄いた。
やだなあ、わしのちいささも丸裸やないか。消えたい。

でも非常にありがたいことだとも思った。いろんな意味で。

まだ脱ぎ切れないけれど、
脱ぎ切ろうと周りの環境などもあって
焦ったりもがいたりしだした昨今に。

わたしが『入れ札』と出会ったのはいつだったか。
思い出そうとしたが思い出せなかった。
 
旅芝居を観出した頃にはもう知っていた。
とある老優と出会って間もない頃に話題にあがった。

旅芝居つまりたぶん人間の
嫌なところを知りすぎて、
でも悔しさと嫌さと吐き気と、
でもでも時に見える美しさを信じたくて
しつこくへばっついていた頃に出会ったジジイ。 

今はその下の世代や下の下のが
「会頭」「雄」「レジェンド」などと持て囃されているがもっと上の人。
旅芝居を知らない人でもその名を聞く雄は
メディアのインタビューで
病や死からの生還と共に
まるで旅役者を象徴するような台詞をよく語る。
「殺人と婦女暴行以外はなんでもやった」
でも「入れ札の怪人」はもしかしてたぶん?それ以上?だ。
 
日本酒の「赤城山」を話題に出したことがきっかけで言われた。呑まない呑めない人だけど。
「忠治というと、『入れ札』っていう話があるんだよね」
「「稲荷の九郎助」(※主人公の名前)ですよね!」 めっちゃ喜ばれた。
「確か笹沢左保だったと思うんだけど」 違うけど黙っておいた。
「役者でも知っている人がほとんどいないのに」褒められた。
 
旅芝居の芝居の多くは古来よりわかりやすい「勧善懲悪」だ。
でも、怪人ジジイは、自作芝居や、
旅芝居で古典とされている芝居を「リメイク」、
つまり構成・演出し直す作・演出・役者としての目と力があり、
わたしにはおもしろかった。
「大衆」向けではないとも思うが。
作った芝居にも作り直した芝居にもどこにもどの役にもジジイが居て、
すべての「勧善懲悪」を否定し、独特のキザさと、
だからみっともなさ、醜さ、敢えていうならだから美しさがあった。
そんな人が『入れ札』の話をしてきたから印象に深い。
 
旅芝居の芝居ではお馴染みの「国定忠治」の物語。
旅芝居では「格好いい」忠治が、そうではない話。
忠治の子分の中のどうしようもないひとり「九郎助」が主人公の物語。
 「入れ札」は今の言葉で言うと「投票」「くじ」だ。
落ちた忠治一家は文字通り生き死にのかかった投票をすることになる。

うわっつらのことを言っているやつをみるたびに「浅っさいなあ」と思ってしまう自分がいる。
綺麗事を言っているやつの皮は剥がしてやりたいと常々思っている。
剥いで剥がれた身と心になってみよう。
でもでもそれでも最後の一枚「空気の衣」は着ているというか脱げない訳だけど。
その一枚こそがいい意味では「距離感」だったり、
いい意味だけじゃない意味ではそれこそきっと「自分」だったりするのだろうとも思う。
その空気の衣すらじっと見て狙っているわたしはいわゆる奪衣婆とかいうやつなんかな、
いや、どうしようもない、ただの根性悪のババアやなあ。
 
人間は弱い、いや、わたしは弱い。
先のnoteの主・木ノ子さんはそんな自分を認めたうえで物を書こうとしているといつも語ってくれる。
ちょっと時代錯誤かもだけれど文学者に憧れたような筆致が、だから、おもしろい。
わたしは、わたしも、
自分の言葉で、その弱さや醜さをみて、
みてみぬふりはせず、みて超えて、
でもきれいだけじゃなく、
でもでもきれいを書きたいなあ、といつも思っている。
人間としていい人じゃないからいい人になりながら。
これは私の幾つかのトラウマの中の、身内への贖罪的なものと、他からの思い出したくもない加害を受けたものも、理由として、ある。
全ての弱さを認めた上で次へ。向き合わなければならない。
もっと考え、考え続けなければならない。
自分のためじゃなく誰かのために。
でもそれはつまり自分のためでしかないかもだけど。
でもでも少なくとも弱くてちいさい人間だからこそ
見えることがある書けることがあるとも思いたい。
これもちょっとかっこつけやなあ。なんかもうかっこわるいなあ。あー。
でも、みんなが笑ってるとほんまにうれしい。
これはほんまやねん。
いろんないろんな皆が一緒に笑っている場と時がめっちゃ好きで、
ひとりも悲しかったり苦しかったり嫌ださみしいにしたくない、させたくない。
その笑顔を奪うなにかは見過ごせない。
蜘蛛の糸の切れない方法を考えたい。
たぶん、ないんだろうけど。なれないんだろうけど。皆と、皆で、と、ほんまに思う。
 
旅芝居の役者、
この人ではなく、
観始めて最初に「いいな」と思い縁が出来た人でもない、
今思うといろんなどろどろに巻き込まれた人に言われたことがある。
「この子は心がきれいなんだよ」
どの口が言うねん、と思った。
でも、「そうだけど、そうじゃない」「そうじゃないけど、そう」と思った。全部晒すぞ(笑)
旅芝居の客席でお客さん、
歴も長くいろんな噂にまみれていた(ことは知っていたが知らないふりをしていた)人に言われたことがある。
「ももちゃんは人の悪口言わへん」
これにも、「そうだけど、そうじゃない」「そうじゃないけど、そう」と思った。
元気かな。きっとまだ客席にいるのだろうな。大丈夫かな。
 
冒頭に書いた老優と縁が出来たきっかけは、
まるで芝居のような舞踊『羅生門』だった。
旅芝居のテッパン舞踊曲としてお馴染みになった『羅生門』は坂本冬美の演歌。
頼光四天王のうちのひとり渡辺綱の茨城童子討伐、
つまり「鬼退治」の謡曲をモチーフに作られた2006年リリースの1曲。
だからか、背中にお経の書いた着流しなどを着て踊る役者が多い。あほか。
でもジジイは曲をアレンジして途中に前後に琵琶奏者の演奏と謡を入れた。
破れ傘に僧侶の成れの果てみたいなぼろぼろの姿で踊った。
途中で音を止めて叫ぶ演出もある。「光が、見えた!」
会場の客は意味もわからずに拍手をする。意味もわからず拍手をさせる熱と気と力がある。
聞いた。「あの光って、何の光が見えたんですか?」
「そんなの俺にもわからねえよ」
わからんのかい。でも見えたんだ。妄想か耄碌か。
よく言えば内田裕也だったりキヨシローだったり。
悪く言えば見えっ張りのキザ男がまだ叫び自己主張する老いぼれた姿。
でもだから、だからでも、最初に観たとき私は思った。言った。
「これが 羅生門です」
頼光じゃない、綱じゃない。「下人」の成れの果て。
鬼だ。すべての人間の中には鬼がいる。どうします? やだな、もう。


めっちゃ昔の『入れ札』ネタ。ちょっとだけあらすじ書いてるので注意。


芥川と菊池、についてのおすすめ本の話


以下は、ちょろっとですがいつもの自己紹介 。
と、苦手なりにもSNSあれこれ紹介、連載などなどの紹介!!も。
よろしければお付き合い下さい🍑✨
ご縁がつながったりしたらとても嬉しい。

大阪の物書き、中村桃子と申します。 
構成作家/ライター/コラム・エッセイ/大衆芸能(旅芝居(大衆演劇)やストリップ)や大衆文化を追っています。
普段はラジオ番組の構成や資料やCM書きや、各種文章やキャッチコピーやら雑文業やらやってます。
現在、lifeworkたる原稿企画2本を進め中です。
舞台、演劇、古典芸能好き、からの、下町・大衆文化好き。酒場好き。いや、劇場が好き。人間に興味が尽きません。

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と、あたらしい連載「Home」。
皆の大事な場所についての話。

2023、復活。先日、新作が出ました🆕

以下は、過去のものから、お気に入りを2つ。

旅芝居・大衆演劇関係では、各種ライティング業。
文、キャッチコピー、映像などの企画・構成、各種文、台本、
役者絡みの代筆から、DVDパッケージのキャッチコピーや文。
あ、小道具の文とかも(笑)やってました。

担当していたDVD付マガジン『演劇の友』は休刊ですが、
アーカイブがYouTubeちゃんねるで公開中
(貴重映像ばかりです。私は今回のアップにはかかわってないけど)


あなたとご縁がありますように。今後ともどうぞよろしくお願いします。

皆、無理せず、どうぞどうぞ、元気でね。

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