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モモ【3】 日本化したモモ

インド食器屋「アジアハンター」の店主・小林真樹さんが、食器買い付けの旅や国内の専門店巡りで出会った美味しい料理、お店、そしてインドの食文化をご紹介します。



『料理と帝国』(レイチェル・ローダン著/みすず書房)によると、小麦粉の皮で詰め物を包んで蒸す/茹でる「ダンプリング=饅頭(マントウ)」は中国内陸部で誕生し、その一部はチンギス・ハン率いるモンゴル軍の西征によって西アジアやヨーロッパに伝わったという。一方、古くから仏教の聖地だったチベットのラサなどには多くのモンゴル人巡礼者が訪れていた。チンギス・ハンのイメージから(モンゴル人=イスラム教徒)のイメージがあるかもしれないが、実は現在でも最も多くのモンゴル人に信仰されているのは仏教、それもチベット仏教である。おそらくモモはこうした巡礼や交易を通じて中国内陸部からチベットへと伝えられた饅頭が、現地化したのではないだろうか。

インド・ラダックにあるチベット寺院でいただいたたティーモモ
インド・ラダックにあるチベット寺院でいただいたたティーモモ


モモはその後かなり時代を経てネパールへと伝わり、次いでインドへと伝わっていった。ネパールに伝わる過程でネパール化がほどこされ、インドに伝わる過程でインド化がほどこされた。この「ネパール化・インド化」を分析することで、それぞれの地域の食の特徴や嗜好、禁忌がよくみえてくる。では現在多くのネパール人が飲食店ビジネスを展開している日本において、モモはどのような変化・変貌をとげているのか。その変化はネパール化やインド化と比べてどうなのか。今回はそんなモモの「日本化」について考えていきたい。

本章の冒頭でも書いたが、日本のインネパ店でモモはほぼ例外なく主力選手となっている。休憩明けの時間帯などにこうした店を訪問すると、スタッフがテーブルの上でモモの皮から一枚一枚作って餡づめしている場面に出くわすことがある。せっかくの休憩時間をモモの下処理にあてているのだ。それだけ人気メニューということなのだろう。

店内でモモの餡づめしているスタッフ
店内でモモの餡づめしているスタッフ


基本的にインネパ店でのモモは蒸し器で蒸され、ゴルベラコアチャール(トマト風味のつけダレ)と共に出されることが多い。メニュー表記も「モモ」のみである。しかしこれがより多くのネパール人客をターゲットにしたネパール料理店(メニューからインド料理要素を減らし、ネパール料理をメインに置いた店)の場合、数通りのバリエーションが見られるようになる。蒸し器で蒸されたオーソドックスなもののほかに、チリソースをまとったチリ・モモや油で揚げたフライ・モモ、日本の餃子のように鉄板で焼いたコテ・モモなどである。そしてこれら数通りのバリエーション・モモを数個ずつ、一枚の大皿に載せたものが「モモの盛り合わせ」となる。

モモの盛り合わせ
モモの盛り合わせ


「盛り合わせ」という概念はネパールにはない。つまりこれは来日したネパール人によって創作されたスタイルなのである。「盛り合わせ」と聞くと我々日本人は通常、刺身盛り合わせなんかをイメージする。おそらく発想の出どころはそんなところで、2010年代以降急激に国内に増加したネパール人留学生がアルバイト先の居酒屋で「発見」した提供方法なのだろう。こうすることで複数の味付けをしたモモを数人でシェアして楽しむことが出来る。今のところまだ見つけられていないが、今後こうした日本での提供ノウハウをそのままネパール本国で踏襲する店が出てきても不思議ではない。カトマンズ市内には日本でインネパ店(ネパール人資本のインド料理店)を経営するオーナーが出資する飲食店も少なくないのだ。

「ファイヤー・モモ」もまた日本発祥のモモ・バリエーションである。出どころは、とある日本人オーナーが展開するエスニック・レストランのチェーンで、インド料理やタイ料理をはじめとする多国籍なエスニック料理をウリにした、多くのネパール人従業員のいる店である。そのネパール人従業員の一人が、当時タイ料理用に使われていた鍋(モーファイ鍋)にスープモモを入れることを思いつき提供したところ、ネパール人の使うSNSなどで拡散され、インスパイアされたほかの多くのネパール人オーナーたちによってパク、いや追従されることとなった。当時、インド食器屋である私の元にも複数のネパール人オーナーたちから「タイの鍋はありませんか?」という問い合わせがあり、ムーブメントの一端を感じたものである。

ファイヤー・モモ
ファイヤー・モモ


ちなみにタイ鍋の真ん中にはエントツのような空洞が備わっている。これは中国で生み出された鍋の形状で、燃料に炭火を使っていた時代、空洞の中にも炭を入れることで全体により早く熱を回すためだといわれる(諸説あり)。実際にチベット経由でネパールに伝わった「ギャコック」という鍋料理でも同様にエントツ付きの鍋が使われていて、炭をその中に入れているシーンも目撃している。ただ燃料が炭火からガス火になった現代では、エントツは有形無実化している。しかしその有形無実を逆手に取り、エントツ内に点火した固形燃料を中に入れた新しいスープモモが「ファイヤー・モモ」と名付けられ、在住ネパール人らの間でちょっとした流行になったのだ。

このようにモモの日本化とは、日本で働く過程で出会ったホスト社会(日本)の文化と出身国であるネパール文化との化学反応の産物といえる。新たに来日するネパール人たちが今後どんな日本文化にインスパイアされ、どんな日本化されたハイブリッドなモモが生み出されるのか。そしてそれがいつかネパール本国に持ち帰られ、どのような「再」現地化がなされるのか。
伝わりゆく国でまるでアメーバのように形状を変えていく、変幻自在の可能性を秘めたモモの魅力は尽きることがない。







小林真樹さん近景

小林真樹
インド料理をこよなく愛する元バックパッカーであり、インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とする有限会社アジアハンター代表。買い付けの旅も含め、インド渡航は数えきれない。商売を通じて国内のインド料理店とも深く関わる。
著作『食べ歩くインド(北・東編/南・西編)』旅行人『日本のインド・ネパール料理店』阿佐ヶ谷書院
アジアハンター
http://www.asiahunter.com

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