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「Be yourself~立命の記憶~Ⅱ」第2話

人生の転機

俺の高校3年間は本当に地味だった。
1年の時に、彼女が一筋の光のような思い出を残してくれたくらいだ。

彼女は、1年の終わりで高校を辞めて、上京した。 まぁ、学園祭やコンテストなんかで、人前で歌って、驚嘆や拍手喝采浴びてりゃ、そうなりたいと思うだろうな。
2年の始めに、俺は、同じクラスの彼女の友達から、ラジオに出るって聞いて、彼女の出番を家のラジオを聴きながら待っていた。
DJ がしゃべり始めて、彼女の紹介を始めた。今後どんな大会に出るのかとか、彼女が中学生の頃から作詞作曲をしている事なんかを会話した後、曲が流れた。
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いつも変わらない洋服を着て いつも変わらない話をしてる
いつも変わらない時間の中で いつも変わらない自分が嫌になってる
Do It Now! (Yeah!Yeah!) Do It Now! (Yeah!Yeah!)
Do It Now! (Yeah!Yeah!) Do It Now! (Yeah!Yeah!) Do It Now!
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なんか小室サウンド的な、ノリの良い曲だった。
ラジオの DJ が、Do It Now ってタイトルの曲だと言っていた。
今すぐやれ、って事ね。
俺は、何をやればいいのか、分からなかった・・・。
彼女は今すぐやる為に、高校を辞めたのか。スゲー勇気だよ、俺とは真逆だよ。彼女の親御さんも理解があるのが羨ましかった。 俺の親父は、厳しかったから。

その後の俺はというと、ただ、ひたすら勉強に明け暮れていた。
いや、実際は、俺だっていつか上京してやるって虎視眈々と機会を狙ってたんだ。
でも、俺の親が実家を離れるのを許すキッカケなんて、大学行く時くらいしか無いと思ってた。
俺も都会で、憧れの華やかな生活がしてみたかった。遠方の大学に行くって事は、それなりの成績じゃないと許して貰えないのは分かってたから、とにかく勉強した。
あと、私立は金が掛かるから、国立なら、とも言われていた。
で、受験の時、合格圏内だった国立大学は、九州だと、鹿児島、宮崎、大分。 関東だと群馬。 東大はさすがに、全然ムリだったし、本当は横浜国立とか千葉が良かったんだけど、偏差値が高すぎた。
くそー、俺、結構頑張ったのに・・・。いや、他の事色々考えてた時期もあったか。 彼女の事とか、彼女の事とか、彼女の事・・・。
いや、でも、とにかく九州からは出たかったんだ。親父が、大分くらいなら、母親が洗濯しに行ったりも出来るだろうから、と言ったけど、俺は言った。
「そういうのがイヤなんだよ!」
親元からは、早く離れて自立したかった。 上京した彼女がそうしているのに、男の俺が親に甘えっぱなしで居るワケにはいかない。
早く大人になりたかったんだ。
そして、受験の日を迎えた。 試験が終わった後は、東京のホテルに1泊してから地元に戻った。 結果、合格。俺の第二の人生の始まりだった。

そして、実家を離れて、念願の関東の大学へ進学した俺は、実際に大学生活を送ってみて思った。
・・・鹿児島と変わんねー!! いや、群馬ってこんなところだったのか、と。
いや、東京にというか関東に憧れがあったものの、群馬って東京からこんなに遠いのか、 とも。電車で片道2時間で、5千円もかかるんだもん。
もー、俺がっかりよ。大都会で、色々イケてる大学生活送ろうと思ってたのに、何か違うなと。
俺、こんな地味な人生でいいのか?
国立大学だからか、周りも真面目で地味な男女が多いしさ。イヤイヤ、俺、もっと派手でカッコイイ男になりてーよ。そんで、あのアイさんみたいな女の子と、堂々と付き合えるような男になりてーよ。
脱、地味男!そんでイケメンになる俺!そんな思いを抱きつつ、バイトしながら大学生活を送っていた。

忙しく、勉強とバイトとオシャレに明け暮れていたら、いつの間にか3年が経っていた。俺、何やってんだろ・・・。

大学2年の成人式の後、俺は、色々考えて、翌々年は別な学科の3年に転籍した。その学科の教授の影響もあって、日本を飛び出して、海外に行く事を決めた。
俺は、マジで俺、何やってんだって、焦っていた。大学卒業したら、普通に就職して、普通にサラリーマンやるのか?イヤイヤ、そんなのまっぴらだ!
俺は普通の男にはならねーぞ!とにかく、英語くらいはペラペラになっておかないと、世界で活躍出来ねーわ。そう思った俺は、急いで留学出来る国を探した。

ビザの問題で、在学中に留学出来る英語圏の国は・・アイルランドだけだった。まぁいいわ!なんとかなるだろ!
親父に連絡したら、親戚にも話してくれて、なんと100万円の資金まで調達してくれた。さすが、親父殿!!

早速、大学に相談して、留学中に取れる単位を確認して、アイルランドに旅立った。俺の新しい人生の始まり。2回目の大学3年の時だ。

アイルランドで住む場所を決めた俺は、語学学校に通いながら過ごしたが、就労ビザが無く働けなかった。日本で貯めた金と、親父から受け取った金を切り崩しながら、生活してたから、ほとんど 出歩く事も無く、いつも学校と家の往復だった。

家では、英語で流れる TV を見ながら、勉強していた。ごくたまに、近所のバーに行き、ビール1杯で長居するような生活をしていた。1年が過ぎて、留学の期間が終わる頃、このまま日本に帰るのが勿体なくなって、帰りにどこか寄れる国が無いか探し始めた。

なるべく、金が掛からない国は・・・アジアだな! そんで、面白そうな国・・・タイだね!
その頃、タイのパタヤ周辺は、アメリカが作った歓楽街があると聞いていた俺は、アイルランドの帰りに、タイに飛んだ。

そのまま、バンコクに立ち寄った俺は、衝撃を受けた。なんだここ、都会なのに、金も掛からなくて最高じゃん!
ちょっと贅沢したければ、観光客用の店が普通に何でもあるし、とにかく日本に住むより も断然金が掛からないのに、贅沢が出来る!

俺は、住む家を借りた。 そして、いずれ成功するまでは日本に帰らない。そう決めた。
退路を断って事を成す、って言うんだっけか? こういう事かも知れない。
とにかく、絶対にいつか成功してやるって誓ったんだ、この時。
タイで生活するにあたり、タイ語も覚えないと、って思って、1年間は語学学校に行きながら、大学院にも通った。

その後は、現地の日本企業の駐在員として就職した。とにかく仕事と勉強に明け暮れていた。充実してたし、楽しかった。
海外出張も多くなり、金はそこそこ貯まるようになった。 語学も仕事も、何かが出来るようになる度に、自分に自信も付いていった。
女もたまに寄ってくるようになった。タイの女の子ばっかりだったけど、日本人に負けてないぜ? たまに、女装男子も寄ってきたが、まぁ、モテるようになった俺は、更にまた自信が付いた。
ただ、まぁ、忙しくて時間が無くて、なかなかデートから先に進めなかったのは事実なんだけど・・・。

***

思えば、この旅行は、ウチの主人の一言がきっかけだった。

夫婦での保育園のお迎え後、5人家族で帰宅して、子供の相手をしながら、夕食の準備をしてい る時に主人が私に、こう告げた。

「そうそう、今日、社内報に Konami さんが載ってたよ。」
「あ、ホントー?彼女元気かな?今どこにいるんだっけ?」

私と主人と Konami さんは元々同じ会社で働いていた。主人が現在の社長と一緒に立ち上げた会社だ。

私は16歳で上京した後、アルバイトをしながら下積みの生活が続いていた。東京でのオーディションやコンテストは全く受からず、毎回グランプリを逃す日々。
一方、派遣会社で携帯電話を売るキャンペーンガールをやっていると、他社からスカウトを受け、時給はどんどん上がっていった。
人前で喋る仕事は楽しくて、音楽よりも向いていたのかも知れない。
そんな中で、19歳でテレビ番組のオーディションにやっと合格。最終的にグループでのメジャーデビューを果たしたものの、方向性の違いから、その後、解散。
目的を見失ってしまい、ソロ活動にも精が入らず、21歳頃には音楽活動を辞めてしまっていた。

その後は、パソコンが得意だったから、パソコン教室に就職。インターネットと株にも興味を持ちはじめ、転職先を探して、面接を受けたネット広告企業で合格。それが主人の会社だった。
23歳中途採用で入社。社員数20人程の小さなベンチャー企業。

私は入社当時は、不思議ちゃんとか、天然と言われ、社長との面接でも、とんちんかんな事を言ったといつも伝説を話され、面白がられていた。
その当時は、流行の波に乗って、会社はすごいスピードで大きく成長していた。
世は空前の IT 企業の上場ブーム。2年後には株式上場。役員連中はウチの主人も含め、皆、 証券取引所の鐘を鳴らした。

私は、会社ではそんなに出世はしなかったが、新規事業などの自分の得意な分野を積極的にやりたいと申し出た。
人数が少ない部署のほうが、仕事がやりやすかったから。
大人数いる部署では、コミュニケーションが複雑すぎて、うまくいかない事が多かったし、 私と合わない人がいるという事もなんとなく知っていた。
自分の部下に言い負かされる事まであったし、自分の立ち上げた部署の人数が増えていくと、また居心地が悪くなっていった。

そんな、私と社内で仲良くなったのが Konami さんだ。 上場後の社員数100 名を超える手前あたりで、中途採用で入社してきた彼女は、話を聞くと、すごい経歴を持った才女だった。
以前は、フランスで宝石商として独立していて、フランス語が堪能。見た目の美しさもあり、事業を立ち上げる才覚もあり、上品さも兼ね備えた素敵な女性だ。
ご実家も相当なお金持ちなのであろう事は安易に推測できた。ルイヴィトンやグッチ、シャネルなどの高級ブランドのアイテムを、さりげなく身につけ ている彼女には、色んな事を教えて貰った。

「あのブランドのサンダルは最高よ。お直しもちゃんとしてくれるし。」
「あのブランドは、ダメだったわ。全然長持ちしないんだもの。」

私は当時26歳だったけど、社内では中堅社員としてそこそこの収入はあった。ボーナスで高級ブランド品を買えるレベルになっていた私は、洗練された彼女に憧れた。
20代~30代前半くらいの日本人しか居ない社内で、海外在住の経験もある、ハーフのような顔立ちの彼女は、1人だけまったく違う存在だった。
秀でた個性を持っている彼女の事が、私は大好きで、度々昼食を共にし、夜は一緒にお酒を飲んだ。
私達は二人共、豪快、酒豪。どちらもタバコを吸うから気兼ねも無かった。
ほどなくして、私は主人と結婚。Konami さんは結婚式に出席してくれた。

私は、結婚後は、家庭と仕事を両立したい、という希望を出し、会社は私向けの定時で帰れるポジションを用意してくれたけど、その部署には、男性しか居なくて、人数が多かった。
しばらくは、なんとか頑張ったものの、やはり心身ともに疲弊してしまって、ほどなくして会社を退職して、専業主婦になった。

その後1回しか、Konami さんとは会う機会が無かったのは、ずっと心残りだった。
私は、31歳で長男を出産。約半年後に一念発起して、自分の会社を立ち上げたので、その話を Konami さんとしたかった。

「あー、確か、ベトナムじゃなかったかな?」
「ベトナムのどこ?」
「覚えてないなぁ、どこだったかな。」
「いいなぁー、ベトナム。行ってみたいな。Konami さんに会いたいなー。」
「行ってくれば?」
「いいの?!」
「いいよ。」
「マジで?」
「マジで。」
「でも、あたしが居ない間、子どもたちの世話と家の事、大丈夫?」
「まぁー、なんとかなるでしょ。」
「本当?!わーぉ、超嬉しい!あ、ウチの両親のどっちかに来てもらうよ。日程合わせて チケット取る!」
「あぁ、そのほうが助かるね。」
「やったー!超嬉しい!ありがとう!愛してる~♪」
「愛してるよ」

こうやって、言葉で言ってくれるところが大好き。 私は、主人に抱きついた。

翌日、会社に着いた私は、早速日程の調整に入った。 えーっと、まずは、Konami さんがベトナムのどこにいるかだな。

パソコンで SNS のプロフィールを開く私。

あ、ハノイって書いてある。ハノイってそもそもどの辺だ?と、google マップで、ハノイの位置を調べる。ほほー、とりあえずベトナムの北のほうね。
片道何時間かかるんだろう?
JAL のサイトで、マイル数と共に、所要時間を確認する。
ふんふん、7時間くらいね。
せっかくこんなに時間かけて移動するんだから、他にも寄れる国ないかなー?
google マップに戻って、他に、東南アジアに住んでる友達いなかったっけ・・・と考えていたら思い出した。

あ!ニノ! 去年メッセージくれた通り、まだバンコクに居るんなら、寄れるんじゃない?
いきなり行くって言ったら、びっくりするかなー。10年以上経ってるもんなー。 ま、いいや。驚かせちゃおう。

じゃぁ、まずは久しぶりに Konami さんにメッセンジャーで連絡しようっと、 SNS を PC で開いた私は、メッセージ画面を開いて、Konami さんに連絡した。




SNSメッセンジャー

うん、場所はベトナムのホーチミンなのね。
よし、じゃぁ、11月上旬で土日を挟むとこはー・・・ ここだ!
10月29日(土)と10月30日(日)だな。
もっと長く旅行するとしたら、10月31日(月)、11月1日(火)に滞在して、11月 2日(水)に日本に戻るか。
11月3日(木)は祝日だから、家族みんなで過ごせるしちょうどいいね。この日周辺で、ウチの両親のスケジュールも確保だ。なるべく長く居てもらえるほうが助かるから、1週間以上がいいな。

私は、母親にすぐに電話をした。

「私、10月アメリカに旅行に行くし、あんたのところに10月11日に泊まりに行くって言ったじゃない。」
「あ!そうだった!忘れてたー・・・。」
「私も忙しいからねぇ。10月中にまた東京に行くのはちょっとねー・・・。ま、アメリカから帰ってから、考えましょうか。まずは、それからね。」

と、電話を切った。 あぁんもう!ホントは早く決めたいのに!!
スケジュールの決定は、【11日に母親と話せてから】と考えて、私はひたすら仕事の空き時間でホーチミンとバンコクについて調べていた。
もし、母親が来れないとなると困るので、私は、父親のスケジュールが予め空いている事まで確認もしておいた。

9月21日。あと4日で37歳を迎える私へのご褒美の旅行に、心ときめかせた日。
オフィスの窓を開けると爽やかな秋の風が吹き、いつの間にか、目に見える世界がいつもよりも少し明るくなっていた。

↓↓↓第3話へ続く

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