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映画「花束みたいな恋をした」~あの頃の風景

遅ればせながら、映画「花束みたいな恋をした」を観た。

この作品は坂元裕二さん脚本にしては、サブカル好きのカップルを主人公にしながらも、拗らせずに素直というかマイルドで、これはこれでスッと心に入ってきた。
"これって自分たちのことですか?" と思った人も多いんじゃないか、というような、普遍的なラブストーリーだと思った。

ところで、学生時代の恋愛がそのままスムーズに結婚へと成就したカップルというのは、どれくらい居るものなんだろうか?



"押井守"は、私にも思い出がある。
昔付き合ってた彼との初デートで「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」を観に行ったな。しかもラストシーン近くでどうしてもトイレに行きたくなってしまい、途中で抜けて戻ってきたら、すでに映画は終わっていたんだよね…。
その後もラストは知らないまま。

彼の部屋の本棚に並んでいる本が、ほぼ自分と同じだったり

終電がなくなるからって焦って走ったけど逃して、朝まで部屋で夜通し二人で映画観たり

"三回ご飯食べて告白しなかったら、ただの友達になってしまうよって説" も
"好きかどうかが、会ってない時に考えてる時間の長さで決まる" とかも
わかるよ、わかる

また終電の時間が来て、ただの気の合う人で終わっちゃうのか…と
ちょっと残念な気持ちになってたら
「今日は泊まってくからね」と当たり前みたいに言われたこととか

「寒くない?」と言って
自分のコートのポケットに私の片方の手を入れてくれたこととか

一緒に海の側の水族館へ行ったこととか

お互いの部屋を行ったり来たりしているうちに帰りたくなくなって
ほとんど一緒に住んでる状態になったこととか


物語の世界に浸りながらも、あの頃の風景、声、匂いまでもが、あれこれと不意に甦り、波のように押し寄せてくるから、胸が苦しくなった。
自分の記憶と映画の中の出来事が、混ざり合ってゆくような感覚がした。


イヤホンを左右で分け合い、スマホで曲を一緒に聞いてる絹(有村架純さん)と麦(菅田将暉くん)に、
「君ら音楽好きじゃないの?」
「イヤホンで聞いたらLとRで鳴ってる音、違うの!」
そう力説するファミレスで隣の席に座ってた見知らぬおじさんが、よく見るとエルピスの渋おじ、岡部たかしさんだった(笑)
このシーンは、その後の絹と麦を暗示させるような、象徴的な描写でもあった。

それまで、同じものを見て、同じ方向へ歩いていたつもりだった二人が、社会に出て付き合いも長くなるにつれ、次第に互いの大切にしたいものや軸足が変わってしまい、どうしようもなく、すれ違ってゆく。

"やりたくないことなんて、やらなくていいんだよ"
何も変わらないと思っていた、二人
ずっと一緒にいられると思っていた、二人
やりたくないことはしたくないし、楽しく生きたいという絹と、生きることは責任だ、(やりたくないことでも)自分が働くから好きなことしていいよという麦。
現実の生活、生き方に対する考えの違いが、二人の溝を深めてゆく。


自分の片割れみたいな人と出会えた、
その奇跡さえも、日々の営みの中でやがては色褪せてゆく無常。

「恋愛感情なくなったって、結婚して続いてる人たちいるでしょ」
「ずっと同じだけ好きでいるなんて無理だよ」
「今家族になったら、俺と絹ちゃん、うまくいくと思う」
「だから結婚しよう」という麦。
「そうかもしれないね。そうだね」という絹。

だけど、生活も結婚もそんなもんだ…と観念するには、まだまだ二人は若く人生は長い。

ラスト近くのファミレスでのシーンは泣けた。
昔の自分たちのような初々しいカップルを目の前にしながら、恋の終焉をはっきりと実感する二人。
別れがたいけれど、もうあの頃には戻れない二人が、愛しくて切なくて、恋人たちの別れを惜しむ感情がこちらにも伝わってきて、じんわりと胸に沁みた。


始まりは、終わりの始まり

心のアルバムの1ページに
楽しかったことだけ大切に仕舞って

それでも人生は続いてゆく、のだよね


胸の奥深くに長い間、眠らせていた
きらきら輝く宝物を取り出して

見せてもらったような作品だった









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