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第五章 それでもフリーランスを続けています(1)

試写で効率的に稼ぐ

昼間の勤めを辞める数ヶ月ほど前あたりから、WEBライティングの仕事をたくさん確保しようと思い、いろんなサイトで求人に応募しいくつかやってみたのですが、ほとんどがいわゆる「やる気搾取」。要するに、「未経験者歓迎!」は質より量が求められていて、「書くことが好き」な人たちにガンガン書かせる。しかし、文字単価は異常に安い。そのくせ、意外に手間がかかる作業を求める。かなり時間と体力を消耗してしまいます。本業があって時間が出来た時に副業の小遣い稼ぎとしてやるならいいでしょうが、フリーライターとして生計を立てている人にとっては、とてもやってられない仕事です(決して自分を過大評価しているわけではないのですが…)。

そんな中で出会ったのが、結構大手の映画会社の系列の会社が運営する映画情報のWEBサイトで、新作映画のレビューやテーマに即したものなど、いろいろ書かせていただくというお仕事でした。これも、ライターの求人に応募して採用していただいたものですが、記事単価もリーズナブルで、書く題材もある程度お任せだったし、(先に触れたようなものよりは)手間暇もかからなかったので、本当に助かりました。もちろん、しっかりしたところが運営しているので、記事内容の事前チェックやダメ出しがあったり、向こうから題材を指定されることもありました。これまで、そういうやり方が当たり前だったので、当然、何の抵抗もありませんでした。1ヶ月にアップできる記事の数は決まっていましたが、その範囲内なら書けば書くほど収入になったわけです。

そこで大いに助かったのが、映画会社の九州支社や広告代理店などが行なう、福岡での業務試写です。熊本地震の少し前から熊本での業務試写が減っていたのですが、震災で映画館がほぼ全面休業した(試写会場も確保出来ないわけだし、何より映画の興行が出来ない状態だったので、仕方ありません)のをきっかけに、目に見えて激減していきました。それまでも、どうしても外せないけど熊本で試写がない作品は、関係各方面にお願いして福岡に観に行っていたのですが、この頃にはもう福岡での試写の案内を頂けるようになっていました。さすがに福岡だと、いろんな会社が頻繁に試写を行なうので、観れる作品もどんどん増えます。確かに福岡往復に時間とお金はかかりますが、高速バスを使うことでかなり節約できています。我が家は熊本市でも東の端の方にあるので、熊本駅まで行くのに1時間近くかかってしまいます。高速バスだと新幹線の3倍ぐらい時間がかかりますが、我が家の近くを通るのでそこから乗れます。そうなると、時間的には熊本駅まで行って新幹線で行くのとあまり変わりません。しかし、乗車料金は半分以下。これで上手く行けば、わざわざ福岡まで行っても赤字にはなりません。しかも、1本の映画をいくつかの媒体で紹介すれば、それだけギャラが増えるわけです。効率的に稼ぐ。フリーランサーの必須事項です。

ただし、そうなると当然、福岡に行くからと言って、遊びに行ったり余計な買い物をしたり、福岡の名物高級料理をいちいち食べていたら意味がありません。食事はできるだけ安く、しかも味が分かっているもの。行ったことがないお店で、やたらと調理に時間がかかった割りには好みの味でなかった、とかいうのは最大の時間とお金の無駄遣いですから、基本的にはやらない。ついには、スーパーで安く買った賞味期限ギリギリの総菜パンをバスの中で食べる、というのが定番になりました。お金も時間も節約できます。ギリギリまで家で仕事をして、試写が終わったら真っすぐ帰る。わざわざ福岡まで行くからには、徹底して倹約しないと。しかし、この基本方針が後の異常な状況下で自分の生活を維持するのに大いに役立つことになちます。


試行錯誤の日々

勤めを辞めてから数ヶ月間は、大きめな臨時のお仕事を続けて頂くことができました。これが続くとよかったんですが…。いや、少なくとも、続いてくれるという根拠のない楽観で余裕をかましていたのは間違いありません。

「おお、昼間の仕事を辞めた途端に、大きい仕事が続々と!辞めてよかった!楽勝じゃん!」

もう、どうしようもないアホです。

2019年の12月30日のお昼ちょっと前、非効率的な方の(笑)WEBライティングの仕事と年賀状の作成を並行して行なっていた時に、伯母が入所していた老人ホームから電話があり、伯母が転倒して腰を強打したので病院の救急外来に連れて行くとの連絡が。入院になるかも知れない、ということでした。当然、私が病院からの説明や入院の手続きをしなければならないので、諸作業を全面ストップして病院へ。ここまではよくあることでしたが、この時は処置だけで4時間以上かかり、それから入院の手続きでまた時間を取られたので、帰宅したのは夜7時過ぎでした。これが今のところの最長記録ですが、私が勤めを辞めてから、こういうことが一気に増えてきました。しかも、母と伯母が交互に入院するなんていうシャレにならない状況が続いたこともあります。これで、もし父がまで生きていて、しかも父までこんなことになったら…。いや、生きていて欲しかったのは当然なのですが、母たちと同時に病気やケガにならないという保証はなかったわけで、考えると複雑な心境になります。

一人っ子の私は、子供の頃、きょうだい持ちの何人かの同級生から、
「一人っ子っていいよね、甘やかされてるから。」
とよく言われました。確かに甘やかされていたとは思いますが、

「見たんか!」
と反論したくなることばかりでした。それが中学生ぐらいになると、私が一人で3人分の年寄りの面倒を見なければいけなくなるという事実に気がつき、そういうことを言われるとさらに腹が立ち、

「どうせお前は親御さんの面倒見るのを他のきょうだいに押し付けて、遺産相続の時には少しでも多く分捕ろうとするんだろ!」

と、ドロドロ系ドラマか『犬神家の一族』の見過ぎであることが一発でバレそうなことを言いたいのを必死にガマンしていました。父こそ早めに旅立ってしまったものの、結局、予感は当たってしまいました。しかも、このことも、
「やっぱり勤めを辞めててよかった!」
という思いを強くされることになったのです。もちろん、勤めを辞めてなかった状態でこれだと、さらに早退、ヘタをすれば欠勤が増えて、遅かれ早かれ居づらくなったでしょう。でも、もしかすると、「辞めたから、母親たちの面倒をどんどん見させろ」という何者かの見えない力が働き始めていたのかも知れません。

年が明けて2020年。新しい10年間の始まりですが、そんな状況下で年を越したので、あまりおめでたい気分にもなれませんでした。臨時のお仕事も一気に減りました。

とにかく何かやろうと必死になりました。せっかく勤めを辞めて時間に融通が利くようになったのだから、どんどんお仕事を頂いて予定を詰めていかないと。そのためにもいろいろ発信しないと。FacebookなどのSNSに加えて、よりブログに近い「note」、そしてついにYouTubeにまで手を出しました。とは言え、別に再生回数を増やして広告収入を狙おうとしたわけではありません。そんな動画を作れる才能なんてないことは自分でも分かってます。「喋りのお仕事」につながるように、練習を兼ねて「こういうお仕事もやります!」というアピールをしたかったのです。

繰り返しになりますが、私は人と話すのがかなり苦手だったのです。今でもどこかそういった部分が残っています。だから、自己表現の手段として書くことが好きだったんだと思います。ところが、次第に人前で喋るお仕事が増えてきて、毎回冷や汗をかきながらやっています。それでもお声がかかる以上はやらせていただきますし、そのためにはクオリティをアップさせなければいけません。もちろん、そういうお喋り系のものも含めて。とにかくお仕事を増やさなければいけません。そのために、新作映画のレビューという、アクセスも需要もありそうなネタを中心に、YouTubeをやってみたわけです。

…いかんです(笑)。とにかく、全部一人で、しかもこじんまりとやろうとしたので、プレッシャーと面倒臭さがハンパない。テロップを入れるのも面倒(これは、今ではかなり簡単にできるようですね)。やはり、一人でひたすら喋るのが、いろんな意味で最大の問題点だったようです。これじゃ逆効果だと思いました。自分でも見たくないような動画しか作ることができず、数ヶ月で中断。ちゃんとした場所で、ちゃんとした機材を使って、誰かに撮影してもらわないといかんかったようです。そもそも携帯での自撮りが好きではない人間が、自撮り状態のYouTubeなんてまともに作れるとは思えません。

その一方で、イベントもいくつか企画しました。
一つは、地元・熊本で、映画ファンを集めてトークやメンバー同士の映画の感想のプレゼンなどを定期的に行なう、というもの。これは、以前にもあるところからお声がかかって似たようなイベントをやらせていただいていたのですが、会場となっていたお店が閉店した上に熊本地震で自然消滅。現在は、企画を立ち上げた方が改めて別口で開催していて、なかなか盛り上がっているようです。そこへケンカを売るような真似をするわけにもいきませんが、何とか差別化を図って、定期的にやれれば、と思ったのです。ちょうど、以前からのある知り合いの方が、熊本でいろんなイベントをやって地元を元気にしたい!ということで事務所を立ち上げていたので、一緒に何かできれば…という思いもあって、提案したのです。ありがたいことにお話に乗ってくださり、ちょっとずつ進み出していました。

そしてもう一つ、スリーシェルズの西さんから、以前からコンサートやサントラCDの企画をやってみないか?とお声をかけていただいていたのですが、西さんたちが2019年の晩秋に「小松左京音楽祭」というコンサートをクラウドファンディングで実現させたことから、今年こそは何か実現させましょう!という話になり、いくつか企画を出して徐々に形になっていました。

しかし、それらと並行して、あの脅威が世界的規模で拡大し始めていたのです。

(つづく)

<これまでのお話>

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