大事なのは「無条件に愛する」意識づけ

前回は「都合のいい人」を好きになる?という記事に、婚活その他の出会いで自分の条件に合った人といい雰囲気になったとしても、心(ハート)が動かなければその人と一緒になるのはやめた方が良いのではないかということを書きました。自分にとって都合の良い条件が揃っていたとしても、それは所詮条件であって、その条件は変わる可能性が大いにあります。条件を見るということは、自分の願望・欲望を相手に投影しているだけであって、本当に相手のことを愛しているということではないですよね。

人間は簡単に「愛する」という言葉を使いますが、本当の意味での「愛」というのは「無条件に愛する」ということであって、「条件付け」で愛するというのは本当の意味では「愛」ではないということになります。しかし、ほとんどすべての人が親に無条件に愛されて育ったわけではないので、「条件付けで愛される(親の育てられ方)=愛」と思い込んでいる現状があります。そして、幼少期の親子関係での愛され方が、自分がパートナーシップを築く際や子育てする際に潜在的に強大な影響を与えるため、負の連鎖がいつまでもなくならない、ということが起きていますね。誰しも自分のことを無条件に愛し受け入れてほしいと願っているもので、望んで条件付けで愛されたいと思っている人は一人もいないでしょう。

子育てにおいて、「子どもを無条件に愛し受け入れたい」という意識を持って日々育児に励まれている方は、(総量として多いかは別として)大勢いらっしゃることと思います。ただ、パートナーシップにおいて「相手を無条件に愛し受け入れたい」という意識の方は、あくまで感覚ですが、子育てに関してよりも少ないような気がするんですね。世の「恋愛」がほとんど願望・欲望の投影の恋愛ドラマのことを指している影響が大きいのでしょうか。「長年連れ添うと同居人や友達夫婦になるのが普通」といった話もよく耳にしますが、それが「普通=健全なあり方」かというとそれは違うのではないかと思ったりもします。全体的に「愛」について深く自分を見つめたり、パートナーシップでお互いに愛を育んでいこうという意識でいる人が、かなり少ないのではないかなという気がしています。いざ共に暮らすとなると、パートナーシップよりも仕事や家事、育児を優先することが多いのではないでしょうか。

いざ「無条件で愛する」ことを意識的に行ってみようとしても、実際にはかなり難しく、どうしても自分の願望・欲望を相手に投影してしまうことに気づきます。それは当たり前で、そう感じたときから自分を見つめて、あらゆる囚われや固定概念に気づいていけばいいのだと思います。大事なのは、自分は条件付けで相手を見ているのだということを自覚することと、「無条件に愛する」方へ向かっていこうという意識づけで、それだけで世界の見え方が大きく変わりますし、日々の小さなことから自分自身が変容していくその加速度がどんどん増していくはずです。恋愛や男女のパートナーシップの時点からそういった意識づけをしていくと、二人の関係が良好になるでしょうし、その後の子育てにとってもプラスになると思います。

パートナーシップの時点でお互いをバリバリ条件付けで見ていて、子育てにおいて「無条件で子どもを愛そう」としても、おそらく難しいのではないでしょうか。その人にとっての「愛」というのが、「条件付けの愛」であればあるほど、子どもにもそういった愛し方をしてしまうでしょうからね。そういった意味でも、まずパートナーを選ぶときから、(最初からは無理でも)無条件で愛せるような相手を探した方が良いと感じています。夫婦が無条件で深く愛し合っていたら、その二人の間に生まれた子どもは愛にあふれた健やかな人間に育つ可能性が高いですし、そんな大人が多数派を占める世の中であれば、今よりもっと素晴らしい社会になるのは確実ですよね。世の中の夫婦やパートナーシップの不仲の原点は、相手選びの観点や意識づけの問題が大きいと感じますし、やはり「誰と」というのが重要だとつくづく思います。

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