闇を抱えた子どもたちが減りますように…

今回は準レギュラー・心の友と話した内容から気づいたことを書いてみたいと思います。私と友人は地元が同じ、小学校の同級生同士なので、お互いの幼少期のことをよく知っています。前回の「母性喪失社会」と保健室の役割という記事でも書いたような話を友人にもしてみたところ、「うちらの頃も闇抱えてた子いたよね」とか「自分も闇抱えてたかも…」といった過去回帰トークになりました。

私達の地元のエリアはとても治安が良い所で、ちゃんとした家庭の子(ちゃんとしたって何だと言われると困るけれど…育ちが良いというか親が大企業等にお勤めというか…)が多く、同級生のほとんどが大学に進学しています。貧困や非行というよりは、教育熱心な親が多いという印象で、それにより闇を抱える子もいたのかなという感じがします。小学校5年生のころには学級崩壊もあり、まともに授業にならない時もありました。他クラスではいじめもあったという話も聞いています。小学校高学年くらいから中学受験をする子もいたりして、全体的に少々心が荒んでいく傾向はあったのかもしれません。

私自身はというと、勉強が好きで自分から受験をすると言い、小4から塾に通い始めました。やらされていた感はなかったので、受験や塾に対する嫌な思い出はありませんでしたし、塾がない日は友達と普通に遊んでいて、クラスにもなじみ、楽しかった思い出がたくさんあります。心の友にも、あの頃と基本変わらないけど、小学校の頃の方が明るかったと言われました(笑)。確かにただ純粋な明るい子どもという感じで、今みたいなひねくれ者感はあまりなかったかなと思います(笑)。

小学校高学年くらいから中学、高校にかけての思春期というのは、とても心が複雑になる時期と言いますか、悩みが多いお年頃ですよね。子どものころの純粋さも残しつつ、親や身近な大人への失望感・絶望感や、部活や成績などとにかく比べられて優劣をつけられること、テスト・受験のストレス、性への興味と抑圧などにより、もともとあった闇の種みたいなものが、より顕在化してくるという感覚があります。いじめっ子の陰湿化やスクールカーストの闇みたいなものも噴出する時期で、内向的で真面目で純粋な子ほど、そのとばっちりを受けて苦しむ傾向があるように思います。スクールカーストについては前々から記事にしたいと思っていたので、また別途書くつもりです。

私自身も、心の闇が深まったのは中学くらいからだなぁと感じる節があり、学校って言うほどいい所でもなく、むしろ有害な側面も大きいと思わざるを得ません。家庭も両親の不仲や過干渉・抑圧・放任などで居心地が悪い、学校にもなじめない…となると、本当に一人で闇を抱え込んでしまうことにつながってしまい、その後の人生にも暗い影を落としてしまう可能性があります。今はスマホやSNSの時代でもあり、より悩みが複雑化していることが予想され、ほとんどの子どもたちがなんらかの悩みや闇を抱えながら生きているのだろうなと想像します。自分自身の人生や生き方について、悩んだり考えたりするのはプラスの側面もありますが、それが暴力的、病的な方向に向かってしまうとやはり問題がありますよね。

私は社会問題について考察するのが好きですし、じゃあどういう社会であったらいいのだろう?と日々考えています。その中で一つ指針になっているのは、「子どもたちが笑顔で幸せである社会」というものです。今の社会はとにかく子どもにしわ寄せがいっていて、子どもの心がどんどん荒んでいくような方向に向かっていっている気がします。子どもはいずれ大人になり、そんな大人が社会を構成していきます。昨今の子育て支援は子育てをする親を支援するものが多いと感じますが、一番大事なのは子どもの心であって、突き詰めれば、人間そのものの理解を促すことが真の子育て支援なのかもしれません。大人が内面から意識改革をしていかない限り、子どもたちの笑顔が咲き乱れる人類の春は訪れないものなのだろうなと思いました。

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