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広島原爆投下から77年目の今日、原民喜の鎮魂歌をこの胸に刻む

【読書記録】

現代日本文学史上もっとも美しい散文で、人類はじめての原爆体験を描き、朝鮮戦争勃発のさ中に自殺して逝った原民喜の代表的作品集。被爆の前年に亡くなった妻への哀悼と終末への予感をみなぎらせた『美しき死の岸に』の作品群、被爆直後の終末的世界を、その数カ月後に正確な筆致で描出した『夏の花』三部作、さらに絶筆『心願の国』『鎮魂歌』などを収録する。
          大江健三郎 編・解説

ページに散らばった悲しく、美しく、儚い言葉を一つ一つ全て拾い集めながら、読み終わった。

素晴らしい。

これ以上の戦争文学にはもう出会えないのではないかと思う。

71年前の3月13日、原民喜は吉祥寺と西荻窪間の線路に身を横たえ鉄道自殺をした。
唯一の理解者であった妻を終戦の前年に亡くしてから7年、自身が広島の爆心地から1.3kmのところで被爆してから6年目のことだった。

彼は、長きに渡って苦しみ、生きにくさに耐え、苛まれ、それでも生きて、これらの作品を残し死んでいった。

発表された順も年もバラバラの一篇一篇が、大江健三郎の編集によって一つの流れを持った作品として成立している。
実に見事な編集だと思う。

昭和24年5月〜夏ころに発表された「苦しく美しき夏」「火の唇」「鎮魂歌」は特に、哀切な言葉がさざなみのように寄せては返す散文的な表現で書かれており、彼の発した魂の叫びがそのまま突き刺すように伝わってくる。

病床の妻との日々を描いた「美しき死の岸に」の作品群は、妻への想いの中に、原爆投下への暗い予感が滲み出ており、直接的な戦争の記述はないものの強い余韻を残した。

実は、「読書記録としてこんなことを書こうか…」などとぼんやり考えながら読んでいたのだけれど、読み終わった今、そんな私のちっぽけな言葉なんて何の意味も持たない気がして、取っていたメモを全て消した。

ただひたすらに原民喜の世界に漂って、叫びを聞いて、消化しきれない彼の悲哀を受け止めたいと思う。

僕は還るところを失った人間、剝ぎ取られた世界の人間。だが僕は彼等のために祈ることだってできる。僕は祈る。
彼等の死が成長であることを。
その愛が持続であることを。
彼等が孤独ならぬことを。
情欲が眩惑でなく、狂気であまり烈しからぬことを。
バランスと夢に恵まれることを。
神に見捨てられざることを。
彼等の役人が穏かなることを。
花に涙ぐむことを。
彼等がよく笑いあう日を。戦争の絶滅を。

「鎮魂歌」より

ながい間、いろいろ親切にして頂いたことを嬉しく思ひます。僕はいま誰とも、さりげなく別れてゆきたいのです。妻と死別れてから後の僕の作品は、その殆どすべてが、それぞれ遺書だつたやうな気がします。岸を離れて行く船の甲板から眺めると、陸地は次第に点のやうになつて行きます。僕の文学も、僕の眼には点となり、やがて消えるでせう。

「佐々木基一への遺書」より

「夏の花」三部作は原爆投下時の記述も多く生生しさを感じるかもしれないが、その他の作品は、戦争文学が苦手な人にもぜひ読んでみてほしい。


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