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今日もnoteのイラストを描いています。
noteを開いたら、
「おめでとうございます!」と
初めてコングラボードが届きました✨
とても嬉しいです
スキしてくださった皆さまに感謝🩷
https://note.com/musicandwords/n/n17dd72b2757e
バッハを聴く トン・コープマンのリサイタルがきっかけでnoteを始めました
今、こうしてnoteにJ.S.バッハのエピソードと絵を描いているのは、トン・コープマンのパイプオルガンリサイタル(2023.2.18)がきっかけです。
パイプオルガンはこれまでサントリーホールやオペラシティの入場無料ランチタイムコンサートは行ったことがありましたが、リサイタルは初めてでした。すでに満席に近い状態で3階の最終列でしたが、オルガンとの高さは同じくらいで、演奏者が良く見える席でした。
楽器製作者ルドルフ・トゥッツ氏の素敵な映像
だいぶ前のことですが、バロック音楽の演奏会に行った時、とても雰囲気のある楽器を使われていたフラウト・トラヴェルソ奏者の方がいて、あとでフルートの先生に「あの楽器はどこの工房のですか?」と尋ねたところ、「トゥッツという工房ですよ。最近トゥッツさん、お亡くなりになってしまいましたね。」と2、3年前に聞きました。
「そうか、もうお亡くなりになった職人さんなんだ、残念だな。。。」
と、それっきり忘れてい
バッハ エピソード31 アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小曲集
バッハは1721年に再婚した16歳年下のアンナ・マグダレーナ・バッハのために、翌年1722年から、一冊の音楽帳《アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小曲集》を書き始めます。のちに《フランス組曲》となる5つの組曲(第6番を除く)がバッハ自身の手で記入されているため、とても貴重なものとなっています。
そして、1725年から第2巻がスタートします。第2巻は特に有名です。『アリアと歌曲』BW
バッハ エピソード30 宇宙を旅するブランデンブルク協奏曲
バッハのケーテン時代(1717-1723年)の有名な協奏曲といえば、6曲からなる《ブランデンブルク協奏曲BWV1046~1051》。《ブランデンブルク》の自筆譜は1721年3月24日付でブランデンブルク辺境伯クリスティアン・ルートヴィヒ(プロセインのフリードリヒ1世の弟)に捧げられたものです。
この第2番ヘ長調 第1楽章が1977年アメリカの宇宙探査機ボイジャー1号&2号に搭載されたゴールデンレ
バッハ エピソード29 再婚
1721年12月3日、バルバラが急逝してからおよそ1年半後、宮廷歌手として当地にやってきたアンナ・マグダレーナ・ヴィルケと再婚します。
彼女は当時20歳でバッハより16歳年下のソプラノ歌手でした。バッハは彼女の美声に惹かれたのかもしれません。結婚10年を過ぎた頃、友人に宛てた手紙でバッハは妻のことを「とてもきれいなソプラノを歌う人だ」と書いているからです。
挙式は侯の命令によって、教会ではなくバ
バッハを聴く 巨匠バルトルド・クイケン
バロック・フルート(=フラウト・トラヴェルソ)を始めようと決意したちょうどその頃、バルトルド・クイケンのリサイタルがありました。
クイケン氏は世界的なフラウト・トラヴェルソの名手であり、古楽界のレジェンドです。
東京でフラウト・トラヴェルソ奏者として活動されているプロの方は、ブリュッセル王立音楽院やハーグ音楽院で学んだクイケン氏のお弟子さんが多いです。
その彼がバッハを演奏しにやってくるというので
新しいバロック・フルートがやってきた
2023年1月にモダン・フルートからバロック・フルート(フラウト・トラヴェルソ)にレッスンを切り替えて2年目。これまでは先生の楽器をお借りしていたのですが、ようやく、フルート工房にお願いしていた木製のフラウト・トラヴェルソがやってきました。
こちらは、1720-1750年ごろのパリのシャルル・ビゼイという職人さんの工房で作られていたもののコピーです。
ちょっと膨らんだ装飾デザインがフランス・バロッ
春の詩 ーウイリアム・ブレイクー
「フルート」が出てくる詩です。
春が近づいたらこの詩を読み上げたくなります。
そして、今すぐフルートを吹きたくなる、
そんな元気になれる詩。
フルートが好きな友人にぜひ。
18世紀にイギリスで発表され、世界中で読み継がれてきたウィリアム・ブレイクの名作より
「春」
さあ、フルートを鳴らそう!
まだまだ聞こえないよ
鳥たちは昼も夜もにぎやかな様子だ。
ナイチンゲールは谷間の中で
ツグミは大空
女性作曲家 アンナ・アマリア
遅ればせながら3月8日の国際女性デーにちなんで女性作曲家のお話をします。
クラシック音楽界において、女性作曲家の曲を聴いたことはありますか?
ポーランドの作曲家・バダジェフスカによる《乙女の祈り》やクララ・シューマンの《ピアノ協奏曲》など1800年代に入ってからはありますが、バロック時代はほとんどいなかったのではないかと思われます。当時は、社会的に女性がまだ職業音楽家として活躍することが、なか
バッハ エピソード26 生涯一度も出会えなかったバッハとヘンデル
ヘンデルはバッハと同じ1685年生まれ。中部ドイツの狭い範囲にとどまっていたバッハとは対照的で、国際派として広くヨーロッパ中を旅して各地で活躍しました。生家のすぐそばにあったハレ大聖堂のオルガニストとしてキャリアをスタート。その後はハンブルクを皮切りに、ローマやナポリ、フィレンツェなどのイタリア各地、ハノーファー、ロンドンと渡り歩きます。バッハはそんなヘンデルの作品を自ら書き写しとるほど尊敬してい
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