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陰と陽のグラデーション

人疲れを発症してかおよそ2か月が経過。


断捨離をはじめ、栄養療法的なものを取り入れ始めたり、集団カウンセリングに参加したり・・・
今までしてこなかったような一人遊びをしてみたり色々していたこともあり
友人以外とも多少交流がしたいと思えるくらいには回復した。

また自分と向き合う余裕が少し出てきたので
今回の(厳密にいうと以前から小さい波はあったが)人疲れに関して自分なりに掘り下げてみたところ、自分の中で言語化できなかったモヤモヤがクリアになったと同時に、意外な発見があった。

①今まで"陽キャ"全般に苦手意識があると思っていたが
自分にとって関わりたい人間とそうでない人間を決める要因は
そこではなかった事

②自分は「人見知り」なのではなく、人疲れをする原因が分かっていなかったために「人見知りという設定でコミュニケーションの総量を減らしていた」だけだったという事

③陽キャ・陰キャはグラデーションであり、二分化できるもの(=すべきもの)ではない事


言語化技術皆無ワイ、パワポに頼りがち

まず①。
結論から言うと僕は「陽キャ」が苦手なのではなく
「僕自身に興味があるのではなく、見た目だけで近寄ってくる人間」
「いい年こいて噂に左右される学生気分の延長みたいな人間」
「主張する"自由"に"責任"が伴っていない人間」
「自分の機嫌を他人に取ってもらおうとする人間」
「シンプルに思いやりがない人間」

が苦手、、というより"嫌い"であることが分かった。

(追記:人間関係において大きな挫折(いじめられる、暫く引きずるほどの失恋、他人との比較に苦しむetc)を経験したことがなさそうな人や、僕のような所謂「繊細さん」の気持ちが全く分からない人も苦手だ。
だがこれはあくまで"嫌い"ではなく苦手。)


いきなり見定めてくる人
見た目だけで近寄ってきて自己開示した途端に離れていく人
噂だけを鵜呑みに直接確かめようともせず、僕をラベリングしてくる人

今まで僕が経験してきた学校やサークルなどの集団社会で出会ってきた「陽キャ」にはその類の人間が多かった。
なので例外("光属性"と呼んでいる)はいるものの、陽キャ=嫌いという図式が出来上がっていた。


先日、久しぶりにサークルに参加した際に
陽キャの人が話しかけてくれた。

「ケガ大丈夫??」
「ケガ治ったら今度一緒に試合出ようよ」
「そういえばローランドショーに出てくるホスト(名前忘れた)に似てる!」

陽キャ特有の距離感の近さだったけど、不思議と全く嫌な感じがしなかった。
うまく表現できないけど「"違う人種"である事を分かったうえで向き合ってくれてる」感じがしてむしろ嬉しかった。
し、少しだけ仲良くなってみたくなった。

今まで「陽キャ」と一括りにして勝手に制空権から追い出していた人たちの中にも、もしかしたらこういう人たちもいたのかもしれない。


つづいて②。
基本的に他人に興味はないが、興味を持った人に話しかけることに僕はあまり抵抗がないことに気づいた。
そして、社会人サークルに所属し始めた頃は「自分が興味を持てるような人との(男女限らず)出会いや交流は欲しい」と思っていたことも思い出した。

ただ①で述べたように自分の人間に対する得手・不得手がはっきりしなかったため知らぬ間に人疲れをしてしまい、不特定多数の他人を隔離するために意図的に人に興味を持たないようになったと同時に
他人を隔離するための免罪符として「人見知り」という分かりやすいラベリングを自らに施すことで自分を守ろうとしていたのかもしれない。

けどやっぱり興味のある人とは交流したいし、そもそも自分がされたくないラベリングという行為を自らが(しかも自分にとってどうでもいい他人のせいで)行ってしまうのは望ましくない。


最後に③。
メンタルが落ち着いてきて、よく周りを見回してみると
確かに僕は「陰」側の人間だし、僕より「陽」の人間はたくさんいるけど
僕よりも陰(人見知り、根暗など)な人もいるんだな
と思った。

これに関しては、大半の人から「いや当たり前だろ」というツッコミ飛んでくる事だと思う。
でも僕は、それに気づいていなかった。

世間の風潮的に、特に若者の間で「陽(=善)」「陰(=悪)」という二項対立がなんとなく出来上がっている気がするけど
コンプレックスで認知がひん曲がった僕はその世論に毒されていたんだろうな。


そろそろこの陽キャ・陰キャというワードを使うのもうんざりしてきた。

自分が近づきたい人間とそうでない人間を見分けるものさしにこの尺度はもういらないことが分かったし、こんな概念はもう自分の中からかなぐり捨てていいのかもしれない。


という感じで、人疲れのメカニズムを言語化できたのが嬉しくて需要とかガン無視で書き(打ち)殴らせてもらいました。


独りで生きていくにしろ、誰かと生きていくにしろ
もっとシンプルに生きていきたいね。

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