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【読書コラム】お医者さんが薬だけでなく、地域のサークル活動を紹介することで治る病気があるらしい - 『社会的処方: 孤立という病を地域のつながりで治す方法』西智弘(編著)

 高齢者に関する研究をしている後輩から、面白い考え方があると『社会的処方: 孤立という病を地域のつながりで治す方法』という本を教えてもらった。

 心や身体の不調で病院に行ったとき、日本ではお医者さんから薬を処方されるのが一般的な治療とされているが、イギリスでは地域のサークル活動を紹介する治療も行われているんだとか。

 風邪など対処療法が有効な病気であれば薬で治すことができるけれど、運動不足やコミュニケーション不足が原因で不健康になっている場合、そう簡単な話ではない。社会的な孤立を解消しなくては、よくなるものもよくならない。

 だから、患者さんが他者とのつながりを持てるようにしてあげることも重要な治療で、「社会的処方」と呼ばれ、いま注目が集まっている。

 というのも、現在、医療機関に持ち込まれる問題の二、三割は社会的な問題であり、これらを地域のつながりで解決できるとなれば、医療費の大幅な削減が期待できるからだ。

 それは直感的にも理解できる。家に引きこもってテレビばかり見ているよりも、外で趣味やボランティアの仲間たちと活動している方が明らかに健康的。そして、そのことはデータとしても示されているらしい。

社会的孤立は健康に対して大きな影響を与えるということがわかっている。例えば、二〇一〇年に発表された研究では、「どれだけ運動をしているか」「どれだけ酒を飲むか」「太っているかどうか」といったことよりも「人とのつながりがあるかないか」が、寿命に大きな影響をおよぼすということが示された。それだけではない。認知症の増加や、自殺の増加にも影響があることがわかってきているのだ。

『社会的処方: 孤立という病を地域のつながりで治す方法』18-19頁

 これは高齢者に限った話ではない。若くても、学校や職場で居場所を失えば、精神的にも、肉体的にも、弱ってしまうものである。してみれば、「社会的処方」は誰にとっても必要な治療法になり得るだろう。

 で、イギリスでは制度として「社会的処方」を推奨。「リンクワーカー」という人たちが患者にヒアリングを行い、相性のよさそうな地域活動とマッチングする仕事をしているそうだ。

 日本でもそういう人材を育てる必要があるような気がするけれど、この本は別の視点を提示する。実は、地元に根差したお店のマスターだったり、スナックのママさんだったり、町内会の人だったりが従来やってきたことなのではないか? と言うのである。

 悪く言えば「お節介」」だけど、逆に、「お節介」がなければ人間関係なんてそうそう続かない。いま一度、その価値を再評価すれば、誰もが気軽にリンクワーカーの役割を果たせるようになるのかも。

 もちろん、自分は他人と会うのが嫌いだから、孤独でいいと主張する人もいるだろう。なのに、無理矢理、社会とつながりを持たせようとするのは、ある意味、謀略的にも見える。

 これについて、「孤独と孤立は違う」という言葉で説明がなされていた。

孤独を愛するのは本人の志向なので、それは大切にするべき。でも、その結果として孤立してしまうのは、これまでの研究結果から明らかな通り、長期的に見て個人的にも社会的にも良いこととはいえない。孤独を愛しているからと言って、その方を孤立させて放置しておくのが良いわけではないということだ。 <省略> 「孤独を守りつつ、孤立を解消する」という、ちょっとおせっかいなアプローチが必要なんだろうと思っている。

『社会的処方: 孤立という病を地域のつながりで治す方法』101-102頁

 個人の問題として考えたとき、やっぱり、誰かと関わるのって大変なんだよね。楽しいときは楽しいけれど、もし、嫌われたらどうしようなんて不安になったら、なにもかもがストレスに一変してしまう。

 ショーペンハウアーの『ヤマアラシのジレンマ』ってやつだ。寂しんぼのヤマアラシは他のヤマアラシに近づきたいけど、互いの針で傷つけ合ってしまうから、つい距離を取ってしまう。

 孤独を愛するというのは、ある意味、無駄に傷つくよりも「孤独でいいや」なのかもしれない。ベストな選択というよりはベターな妥協で、その人なりのバランスが取れた状態。

 だから、孤独を否定し、他人と関わるべきと強制するのはけっこう残酷。それができたらやっているわ! って話だもの。

 たぶん、社会の側はその人を絶対に切らないという形でしか、つながりを示すことはできない。そのつながりを本人が握り返してくるのをゆっくり待つのだ。

 これまで、社会とつながろうとしない問題は自己責任で処理されてきた。でも、少子高齢化によって、医療費の削減がすべての人に関わる問題となってしまった。いまや孤立という病について、みんなで考える必要がある。

 実際、たくさんの取り組みが各地でなされている。

 この本の中でも、団地に医療相談ができる「暮らしの保健室」を設けた話だったり、私設の公民館だったり、高齢者と学生が一緒に暮らす次世代型の下宿システムだったり、様々な事例が紹介されていた。読書会やアートイベント、こども食堂なども活発だ。

 そういう場所を必要としているけれど、未だ、つながることができないまま、社会で孤立している人たちにつなげてあげることができれば、一気に状況は好転するかも。

 本当は公の空間がもっとカジュアルに利用できればいいのにね。公園におしゃれなスタバを作るのもいいけれど、地域の人がお金をかけずに集まれるようなスペースを作った方がいいんじゃないの? と思ってしまう。

 もちろん、どの自治体も、ふるさと納税で本来入るはずだった税金が他の地域に流れてしまって、収入を得ようと必死なのはわかる。そりゃ、公園を企業に貸したくもなるだろう。児童館をつぶして、マンションを建てたくもなるだろう。図書館を蔦屋と協業したくもなるだろう。

 でも、そんなのって、本末転倒もいいところ! 

 資本主義は本人の努力にかかわらず、どうしたって勝ち負けが生まれてしまうものだから、運悪く負けても生きていけるように支え合おうっていうのが日本の公共福祉なわけじゃん。言わば、市場の影響が及ばない治外法権エリアが公共空間だったはず。なのに、それがどんどん市場の論理に侵されている。

 皮肉にもほどがある。ふるさとを守ろうって建前で、その地域に関係のない肉やらカニやらもらった挙句、ふるさとが消え去ろうとしているんだもの。お得なのはわかるけど、税金は自分が暮らす場所に落とそうよ。

 だって、間接的であれ、その地域の警察や消防、救急のお世話になっているんだし、子どもがいなくても災害が起きたら学校に避難するかもしれないし、整備された道路も使っているし、なによりゴミを処理してもらっているじゃんか。

 まあ、みんな、そんな矛盾はわかっているけど、やらなきゃ損な仕組みだから、ふるさと納税を使わざるを得ないんだよね。なんというか、悪魔のような制度設計。作った人は頭がいいにもほどがある。

 ただ、これでますます、資本主義の戦いに負けた人は社会から追い出されてしまうだろう。図書館だって、いつ貸し出しが有料になってしまうかわからない。公園も入場料が求められるかも。

 いまだって、高齢者がお金を使わずに他者と会える場所なんて、マクドナルドで100円ちょっとのコーヒーを飲むか、病院に行くのがいいところ。ぶっちゃけ、単調な毎日である。

 そこに「社会的処方」が導入されたら、それぞれのQOLは爆上がりするんじゃなかろうか。かつ、交流が盛んになれば居場所がどんどん増えていき、公共空間が命を吹き返してくれるかも。

 いずれ、わたしも歳をとる。いまだって、大した稼げていないのだ。お金のない高齢者になるのは目に見えている。だからこそ、経済的に余裕がなくても、社会的なつながりだけは保ち続ける未来に生きたい。

 やっぱり、「社会的処方」は全員の生活に関係している。




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