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【映画感想文】本音と建前に庶民はいつも空回り - 『首』監督:北野武

 学生時代、映画研究会の後輩から、

「もちろん、先輩も北野武の映画ってぜんぶ見てますよね?」

 と、聞かれたことがある。わたしは澄まし顔で、

「そりゃね。さすがにぜんぶ見てなきゃヤバいよね」

 と、答えた。本当は一本も見ていないのに。

 あの頃、ゼロ年代〜二〇一〇年代の日本で映画を学ぶ人たちの間で、北野武は特別な存在と化していた。海外で賞を獲得しまくっているのに、日本ではあまりヒットせず、でも、蓮見重彦が評価しているという事実はマニア心をくすぐった。

 実際、表象文化論を語る上で、北野武の映画は参照しやすく、頻繁に取り上げられていた。大学のセンスが良さそうな人たちはみな、北野武の映画を褒めていた。

 そのことは知っていたけれど、わたしは偏見を持っていた。芸能人が作った映画って本当に面白いの? と。そのため、食わず嫌いで北野武の映画を避けてきた。

 しかし、そんな本音を押し隠し、後輩に建前の嘘をついてしまった。先輩として、尊敬されるためにはそう言うべきだと思ったから。

 どの作品が一番好きとか、どのシーンが印象的とか、具体的な質問が来たらまずかった。誤魔化せる自信がなかった。

 でも、わたしの澄まし顔に納得したのか、後輩は、

「やっぱ、そうですよねー」

 と、溜飲を下げてくれた。わたしはホッとし、すぐさま話題を切り替えて、どうにか難所をやり過ごした。

 ただ、罪悪感があるにはあった。結果、その日のうちに渋谷のTSUTAYAでDVDをぜんぶ借りた。『その男、凶暴につき』から当時の最新作『アウトレイジ』まで、一週間のうちに一気見した。

 衝撃だった。これほどまでに自由なのかと驚いた。

 各作品の完成度の高さはもちろんのこと、一人の映画監督として、定期的にスタイルをがらっと変える大胆さに心躍った。

 以来、新作が公開されるたび、映画館は足を運び北野武フリークになってしまった。

 だから、北野武と森昌行プロデューサーの決裂を知ったときはかなり残念だった。もう、北野武の新作を見ることはできないのかもしれない。本気でめちゃくちゃ打ちひしがれた。

 しかし、今回、まさかの新作『首』が公開された。情報解禁から、ずっとずっと楽しみだった。もちろん、初日の今日、早速見てきた。最高だった。

 タイトルやキャスト、宣伝のイメージから時代劇版アウトレイジみたいな内容になるんじゃないかと予想していた。全然違った。いい意味で期待を裏切られた。

 またしても、これまでにないスタイルの映画だった。その上、ひたすら、北野武の人生哲学が滲み出ている二時間だった。

 ストーリーは二層構造で展開される。織田信長と明智光秀を中心とする権力者サイド。歴史に名の残らない庶民サイド。その両方を行き来する存在として、庶民出身の権力者・豊臣秀吉がいて、それをビートたけし自らが演じている。

 権力者サイドはひたすら本音と建前の乖離が描かれ続ける。表向きはいいことを言っているけれど、内心、自分の利益しか考えていない連中ばかり。それが得意の過剰な暴力で表現される。

 そんな嘘つき軍団の中、ビートたけし演じる豊臣秀吉だけは本音をポロッとこぼしまくるから面白い。

 例えば、部下に突撃を命じるとき、うっかり「死んできてくれ」と言ってしまう。家康を訪ねるとき、聞かれているかもしれないのに「あのタヌキおやじ」と悪口を大きな声で言ったりする。

 ビートたけし演じる豊臣秀吉は常にみんなの本音を代弁しているのだが、これはある人物の芸風に似ている。そう、それはツービートの漫才であり、『ビートたけしのオールナイトニッポン』であり、芸人・ビートたけしの生き様そのもの!

 このあたり、凄いなぁと感動してしまった。

 現代の日本で、自分の人生を豊臣秀吉に重ね、説得力を持たせられるのは北野武しかいないかもしれない。そして、そんな人がそんな内容で大規模な映画を完成させられるとは! つくづく天才なんだなぁと思った。

 とはいえ、もし、これだけで終わってしまったら、この映画は時代劇の設定を借りた北野武の自慢話になってしまう。並の監督だったら、そうなっていただろう。しかし、そこは北野武。普遍的なところまで物語を掘り下げていく。

 豊臣秀吉は庶民の心をつかんでいる。なにせ、庶民から成り上がったのだ。自分もああなりたいと志願してくる者もいる。そういう夢を追いかけた庶民が不幸になる様子もしっかり描き切っている。

 恐らく、ここに北野武の思想がある。

 庶民はいつも騙される。人生を一変させるチャンスがあると思わされ、貴重な金と時間を捧げてしまう。でも、本当はチャンスなんてないのかもしれない。仮に平等な審査が権力者の建前であったなら、庶民の努力はすべて空回り。どうしようもない。

 そのことをビートたけし演じる豊臣秀吉は誰よりも理解している。運良く、ないはずのチャンスを手にしてしまった者として。だから、ラストの一言は尋常ならざる説得力を持つ。

 最後のシーンは形だけの謝罪が蔓延る現代社会に強烈なドロップキックをお見舞いしていた。北野武の怒りが爆発していた。

「お前が神妙な顔して、頭を下げたってなんにもなんねえぁろ! いいから、問題解決に必要なことをしてくれよ! 逃げてんじゃねえぞ、この野郎!」

 そんな本音を北野武が代弁していた。これを見れただけでも、この映画には価値がある。

 ちなみに、『首』を見た後、久しぶりの映画研究会の後輩と連絡をとった。かつて、わたしに北野武マウントを取ってきた後輩だ。

 長文で上記の感想を送った。解釈の間違いを指摘されるかなぁとドキドキしながら返事を待った。

 数分後。

「へー。面白そうですね」

 淡白な相槌に拍子抜けした。

 でも、その後輩が北野武の話をしていたのは十年以上前のこと。心境に変化があってもおかしくなかった。

「最近は北野武の映画見てないの?」
 
 そう尋ねてみた。すると、

「最近というか、これまでに一本も見たことないです」

 と、返ってきた。

 我が目を疑った。

 聞けば、後輩も当時の表象文化論の北野武映画はマストという空気に影響され、見ているフリをしていたんだとか。

 そうと知っていれば、あの日、北野武の映画を見まくったらしなかったのに。初日に『首』を見に行ったりもしていなかったのに。いや、結果的に北野武の映画は素晴らしかったので、いいっちゃいいんだけどね……。

 いやはや、後輩の建前にあっさり騙され、庶民らしく、わたしも空回りしていたようだ。




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