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「60歳の挑戦!人生は還暦からだ!(自己紹介更新・2022年5月15日)」

 人生は2つの生き方しかない。
 奇跡などないかのように生きるか、
 すべてが奇跡であるかのように生きることだ。
 アルベルト・アインシュタイン

昨年12月、還暦になったので、改めて自己紹介を更新したい。

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この60年を一言で表現するなら、家庭も仕事も「波乱万丈!」。奇跡の連続のような人生を歩んでいる。自分に嘘をつきたくなかったから、どんなに無様でカッコ悪い姿を晒しても、ありのままの正直な姿を見せてきた。やるかやらないか全ての判断基準は、それをすることによって自分を好きでいられるか否かだったから。今、23歳と21歳の娘たちから、ずっと「世界一カッコいいパパ!」って言われてきた。成人した娘たちとは今でも会うとハグするくらい仲がいい。だから、永遠に「世界一カッコいいパパ!」言われ続けるのがの夢だ。

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23歳、「できちゃった婚」なのに死産が原因で1年も満たずに離婚、自己嫌悪の塊になった。29歳拒食症だった妻に一目惚れして32歳で再婚、不妊治療の末、奇跡的に2人の娘を授かるが54歳、22年連れ添った妻と死別した。57歳、まさかの「授かり婚」で3回目の結婚、還暦の今、2歳の長男、23歳の長女、21歳の次女3人のパパだ。

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摂食障害(拒食症)で6年前に亡くなった妻と同じ高2で拒食症を発症した21歳の次女。2回の入院を経て回復に向かうも、月1回の通院は続いている。2歳の長男も2歳児クラスの保育園の先生から「全てがちょっと、ゆっくりなので」と、療育の専門医に診てもらうことを勧められた。発達障害の疑いがあるらしい。夏まで予約がいっぱいで診察ができない状況だが、焦らずゆっくりと無理のないペースで心寄り添い、子どもたちの底力を信じて見守っていく。単語も英語を先に覚えたせいか日本語の発話も遅れているが、息子とも成人した娘たちとも対話を心がけて一日一日を丁寧に生きている。2歳半になった息子の最近の成長っぷりには目を見張るものがある。明らかに昨日できなかったことが今日できるようになっているのだ。子どもの成長と共に、還暦の自分もまた成長しているように感じている。まさに「育児」は「育自」だと実感している。実際、体力も時間も奪われてるが、それ以上のものを息子からもらっている。今、幸せだ。

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年表によるマイライフヒストリー(家庭編:2020年4月まで)

年表によるマイライフヒストリー(仕事編:2020年4月まで)

57歳で電撃の婚約発表、無料の結婚式から3年経った。

2022年5月現在、こんなことを考えている。
まさか還暦になって子育てを楽しんでいるとは人生とはわからないものだ。2018年10月、会社倒産、自己破産して、「終わったな、俺!」って思うことがあっても、「何があっても大丈夫、人生はいつでもやり直せる。」それを身をもって証明していきたいと思っている。今から振り返れば、辛かった7年は、より幸せを感じるための序章だったと思える。人生は捨てたもんじゃない。息子の成長が何よりも愉しみな今、息子に一番伝えたいのは、それかな。

今、良いことも悪いことも、ありとあらゆるものに感謝できてる日々。ゼロリセットしたら、「もっと、もっと」の人生観から自己変容が起きて世界観が変わった。「幸せの沸点」が下がって些細なことにも感謝・感激・感動できるようになったのだ。きっと、より良く生きるとは感謝すること。自分と周りの笑顔を増やすこと。

辛かった7年とは、「地球探検隊」を設立して15周年を機に飲食業に参入し東京・新宿で「旅するカフェバー」を始めたことから。背中を押して旅する「行く場所」をつくってきたから、帰国後ホッとできる「帰る場所」をずっと創りたかった。小さく始めれば良かったのに光熱費入れて毎月の家賃が50万円。「旅で日本を元気にする!」と志高く始めた事業なのに、目的と手段が入れ違って、何のための仕事かわからなくなってしまったのだ。渦中にいるときは自分を客観視できなくてわからなかったが、「今、なぜ、成功をしたのか?なぜ、失敗をしたのか?」良くわかる。俺の経験が誰かの役に立てたら嬉しい。成功体験は汎用性はなくても失敗体験にはある。だから、次の世代にそれを伝えていきたいと思っている。

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1996年、日本で唯一旅行を売らない旅行会社」を立ち上げた。「旅行」と「旅」は全く違う。「旅行」は受け身的で連れて行かれるもの。「旅」は自分で考え判断し行動する主体的、能動的なもの。だから、旅をきっかけに未来を担う多くのリーダーを輩出してきたし、参加者である隊員たちと一緒に理想の旅を創り上げてきた。世界70ヵ国、仲間と地球を何周もしながら感動と共感を体験した。20代、「夢が叶いました。一生の思い出をありがとう!」と言われ、「ありがとう!」を集めて天職に育て上げ、「地球は教室、体験が教師」を理念に34歳で起業したのだ。

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起業後、22年取り扱っていた「体験型・体感型」の旅は、外国人と英語で旅する世界中の「多国籍ツアー」と日本人同士で旅する「大人の修学旅行」。「大人の修学旅行」は米国同時多発テロ直後の「NYカウントダウン」から始まり、「キャンピングカーでフロリダ一周」、「オーロラを観ながら星野道夫を語る会」、「グランドキャニオンを谷底から見上げる1日20kmトレッキング」、「東南アジア最高峰4,095mキナバル山登頂」、「南米ペルー、マチュピチュ目指して3泊4日44kmのインカトレッキング(最高標高4,215m)」、「南米ボリビア・ウユニ塩湖・標高3700m「天空の鏡」でジャンプ!」、 「カナダ・ユーコン川を160km下るカヌー旅」、「モンゴルの大草原を馬で駆ける騎馬隊結成」、 「ミクロネシアの直径34mの無人島、JEEP島貸切」、「ケニア・タンザニアサファリ・キャンプの旅」「アフリカ大陸最高峰5,895mキリマンジャロ登頂」、「モロッコ・サハラ砂漠縦断・ラクダ旅」「オーストラリアのヘソ、エアーズロック周辺でブッシュキャンプ」、「ニュージーランド南島・毎日がアドベンチャー!」、「フィリピン・ミステリーツアー・最貧困層の家でホームステイ」など。国内では東京(明大前)から富士山登頂(富士講)や沖縄本島を歩く旅、日本百名山の日帰り登山、伊豆大島・裏砂漠でMTB、新潟・魚沼で田植えから稲刈り・古民家再生プロジェクト、四万十川カヌーや江ノ島アウトリガーカヌー、沖縄・夢有民牧場で「海馬」や九十九里浜で乗馬体験「サンシャインステーブルズ」など。

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 ※写真は南米ペルー、2泊3日で4,800mの峠を越えるレイヤーズトレック。俺にとってインカトレッキングを超えて、世界一好きなトレッキングコース。

これからは、親子の対話(ダイアログ)を中心に据えた、子供たちにとって大冒険な親子旅など、60代に突入した今の俺にしかできない旅を、カタチを変えて家族と仲間と続けて行きたいと思っている。

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2002年、友人の紹介からトークライブ(講演)を皮切りに異業種交流会を立ち上げ、2003年「メルマガ成功者7人衆の一人」として本に取り上げられ、メルマガ読者5,000人から1万人になり、「mixiの有名人」と言われ、2006年から出版デビューしてベストセラー作家の仲間入りを果たした。その頃からアメブロのパワーブロガーと言われ、「夢を実現した人」としてTV、ラジオ、新聞、雑誌、メルマガなど、多くのメディアに取り上げられ、全国から講演依頼を受けた。気が付くと登録隊員は3万人を超えていたが、2018年10月、22年経営してきた旅行会社が倒産、自己破産した。

22年やってきた社長から主夫に転身。今、子育てと家事をする主夫をしながら、講演、執筆、出版プロデュース、voicyラジオ、私設大学の特任教授をしている。特にvoicyラジオを始めてからは、知らない世界を旅するような感覚で還暦になっても「無知を知る」新鮮な気持ちで対談している。気が付けば、1,000回放送に近づいている。2020年1月に始めてから1日も欠かさず放送しているのだ。

去年から50冊ビジネス書を出版している友人、中山マコトさんとvoicyラジオ対談相手の出版プロデュースをしている。

友人の中村あっちゃん(中村あつよしさん)の創った私設大学「日本で唯一47都道府県を暮らすように旅する大学」高校生向け4年制の「暮らしの藝術大学」社会人向け1年制の「くるまざ大学」特任教授に就任した。今期に続いて今年9月に開校予定の「くるまざ大学」第3期も特任教授を務めることになった。

今まで旅行業、飲食業をやってきたが、その枠を超えて、ずっと教育事業に携わってきたと思っている。22年の旅行会社の経営では、旅学、旅育、遊学を隊員(旅の参加者)と「教える」というよりフラットな関係で「一緒に体験・体感する」をしてきた。それは、人とのつながりを育むため、共に学び成長するため。「隊員(旅の参加者)の喜びは俺の喜び!」旅をして感情を共有することは俺の生き甲斐だった。だから、旅行会社がなくなっても、一生旅を続けると決めている。家族で暮らすように旅をするのが今も変わらぬ夢だ。夫婦揃って世界中に会いたい仲間・友人がいる。息子には世界中に友達をつくってもらいたい。

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社会貢献や社会変革に関わることなら、基本、出番をもらえれば断らず、どこへでも行く姿勢は変わらない。60歳になっても、心は19歳の少年のままだ。楽しいと思うことしかやってないし、ワクワクしないことはやらない。だから、これからもそうやって生きていく。

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今が一番若い!一日を大切に味わい尽くしながら今を生きる!人生は60歳からだ!生きるって大変だけどおもしろい!

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死を迎える時、「俺の人生、愉しかったな!ありがとう!」って笑っていたい。「おもろくて、ぶっ飛んだオッチャンだったね」って言われたい。自分で自分のご機嫌とりながら、生かされていることに感謝しながら、どんな状況でも笑って生きていく。

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最後に一番好きな小説家で友人の森ちゃん(森沢明夫さん)の言葉を贈る!

「すごい人」にはなれなくても「素敵な人」にはなれる。
「成功者」にはなれなくても「幸せ者」にはなれる。
 森沢明夫(著)「じわる哲学」



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