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他人を妬まない唯一の方法

本人にその意識は無い、と思いますが、

自分には価値が無い、と思い込んでいる人、

つまり、自分を嫌っている人、は、

どうしても、恨みがましく、妬みやすくなってしまいます。

自分は無価値である、という感覚は、あらゆるネガティブな感情の中でも、もっとも感じたくない感情、と言えます。

悲しみ、寂しさ、怒り、恐怖、様々なネガティブ感情を私達は生み出しますが、

その中で、最も目を逸らしたい感情が、無価値感と言える、と思うのです。

無価値感に苛まれる人は、無価値感から目を逸らすことが、人生の目的になってしまいます。

たとえば、虐待やDVやイジメなども、外に原因を探しがちですが、外に見つかるのは、キッカケ、であって、

根本の原因は、その人の心の中にある、無価値感、だと思っています。

もっと言うなら、
自暴自棄になって手を染める犯罪も、自分を好き、であれば、望まない出来事に打ちひしがれることは有っても、

自分を棄てることはありません。

通り魔事件の犯人が、むしゃくしゃしてやった、などと供述する事は少なくありませんが、

むしゃくしゃしてたのは、心に抱える無価値感のほとばしり、であり、
嫌いな自分など、どうなっても良い、訳です。

むしゃくしゃして人を殺めることも、それで人生を棒に振ることも、ものの道理からは完全に離れている様に思います。

重大な無価値感は、人の一生を支配し、時に破滅に誘います。

極端な例として挙げましたが、

心に重大な無価値感を抱える人は、世の中に沢山います。

自分を無価値だ、と感じているのですから、自己評価は地に落ちているのです。

その思いをいつも心に秘めていれば、どうしても、他人の幸せが妬ましいのです。

他人の幸せが、価値が無い自分には手が届かない光り、に思えます。

価値が無い自分には届かない、と思い込んでいます。

だから、本心では相手を引きずり降ろしたいのです。

その人は、世の中を、その無価値感の色のレンズの入ったメガネを掛けて見ています。

すると世の中は、ネガティブな世界に見えてしまいます。

ママ友から、「髪切ったのね、スゴく似合ってる」と言われても、心にも無いことを言って馬鹿にしてる、と受け止めたりします。

そのママ友が本心から「似合ってる」と思っていても、ネガティブ色のメガネをかけていると、

口とは裏腹に馬鹿にした様な笑みを浮かべている、と見えてしまいます。

そのメガネをかけている限り、無価値な自分を恥じています。

だから、外に向かって自分の価値を証明したくなります。

虚勢をはりたくなります。
見栄をはりたくなります。

この人は、誰かと争っている、というよりも、自分の無価値な思い込みから追い立てられ、

無価値じゃないことを証明し続けている、と言えます。

無価値感に支配され、人生の目的が、無価値じゃない自分を証明すること、になってしまいます。

ここに自分の子供が生まれると、子供を、自分が無価値じゃないことを証明する道具にしてしまいます。

外に虚勢をはりたい時は、子供の尻を叩きます。

子供に誰よりも優秀であること、飛び抜けて快活であること、思いやりのあること、素直であること、

つまり自分の求める理想の子供であれ、と、その場、その時で最高の子供であることを求めます。

そして、内では、子供に、自分よりも劣った存在であることを求めます。

自分がいないと何も出来ない無力な子供であることを求めます。

外に虚勢をはるのも、内で子供を虐げるのも、

自分が無価値では無いことの証明のため、です。

子供は相反する、優秀な自分、と、劣った自分、を求められるままに行き来するうちに、

心は裂けて、自分が何者なのかわからなくなってしまいます。

親は、もはや子供を巻き込んで、自分の無価値感から逃げに逃げます。


この親が無価値感からの果てしない逃避を止めるには、

全てがネガティブ色に染まってしまうメガネを外すこと、です。

自分が無価値だ、という思い込みが、ネガティブ色のメガネの正体です。

無価値な自分を嫌っていることが、恨みがましく、妬みやすい自分を作っています。

メガネは、単なる思い込みで出来ています。

気がつけば、いつでもポジティブ色のメガネにかけ替えることが出来ます。

他者への恨みや妬みにまみれ、

自分の人生ばかりか、

子供の人生をも焼き尽くす業火は、

恐ろしいものに思えますが、

自分を好きになれたなら、

それだけで炎は消えてなくなります。

少しづつ、

自分を好きになって欲しく思います。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム





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