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良い子は、背伸びして、つま先で、無理をして立っている

それが良いことか、悪いことか、は一旦脇に置かせて頂くとして、

たまたま、なのかも知れませんが、街中で泣いて親を困らせる幼い子供を、あまり見かけない様に感じています。

少し前までは、盛大に泣き叫んで駄々をこねる幼児と、それをなだめたり、叱ったりする母親をよく目にした様に記憶してます。

もっと遡って、私の子供の頃には、泣いて駄々をこねる子供を、親が叩く様な場面も何度と無く見た様に思います。

今は、虐待という概念が世に広まって、街中で子供を叩くことは、ほとんど無いでしょうし、

叱るにしても、大声で怒鳴りつけたりしたら、批難が集まるのは、親の方でしょう。

勿論、駄々をこねる幼児を叩くことで、言う事をきかせるのも、論外ですが、

駄々をこねる前に、幼い子供が、自分の欲求や感情表現を抑え込まざるを得ない状況があったとしたら、

それこそが問題だと思うのです。

子供は年齢なりの心を持っている訳で、未熟です。

幼児に大人の様な自制心や倫理観を求めても、土台無理です。

幼少期は、自分の存在に対する安心感や自由な好奇心を育む季節であり、

自制心や倫理観は、心の基礎が出来た後の段階で備わって行くものだと考えます。

たとえば、電車やバスや飛行機の中で、子供が泣き叫んだら、確かに周囲は迷惑するかも知れません。

しかし、世の中割り切れることばかりでは無い訳で、
幼児が社会のきまりやマナーをきっちり守れる筈が無いのです。

時に周囲から親が文句を言われることだってあります。

でも、それは仕方が無いこと、だと思います。
そんなものだ、と、ある意味気楽に構えることが肝要だと思うんです。

満席の飛行機の中で子供が駄々をこねて、泣き叫んだら、親は困ります。

ひょっとしたら、「ひっぱたいてでも静かにさせろ!」と強めの苦情をぶつけて来る人が居るかも知れません。

その静かにさせろ、と言った人に謝ります。
迷惑がかかっているのですから謝ります。
そして、子供をなだめ、あやし、叱りもするでしょう。

本当は、子供が泣き叫びたかったら、そうさせるのが、子供の心の発育には良い面も多いかも知れませんが、

実際問題、密閉された飛行機の中で泣き叫ぶ我が子を、気の済むまで好きにさせる訳には、いかないでしょう。

やむなくその子の幼い欲求を、抑え込む必要性も、社会に生きる限り、どうしてもあります。

ただ、その時親が、のびのびしなくてはならない時期のこの子に、無理をさせている、ということを、
理解し、いたわる気持ちを持てているか否か、が、とても大切だと思うのです。

親の目線から、幼い子供を大人の理屈にはめ込むことに何のためらいも持たないか、
子供の目線に立って、その子が、無理をしていることを理解しよう、とするか、

ということに、親の心の成熟度が現れます。

心が未成熟な親は無意識に、
子供の心のことよりも、強めの苦情を言って来る見ず知らずの人のご機嫌を損ねないことを選んでいます。

この子が無理をしていることよりも、自分が批難されることが心配です。
つまり、
この子を守るよりも、我が身を守ることを選択しています。


街中で盛大に泣いて駄々をこねることが出来る子は、

常日頃、親の顔色を伺ったり、自分の感情を諦める必要が無い環境に育っていることが伺えます。

親が困っても、親が怒っても、自分の感情を優先して泣いたり、駄々をこねたり、する事が出来る子です。

心が未熟で、無意識に自分を守ることが一番になっている親は、

日頃から、自分の意にそぐわない子供の感情を抑え込みます。

その子が悲しくて涙が零れそうでも、自分が子供に笑っていて欲しかったら、泣くことを許しません。

子供は零れそうな涙を溢れさせない様にして、とびきりの笑顔を作ります。

そんな日常を過ごす子が、街中で泣いて駄々をこねたり出来るでしょうか。


年齢に似合わず、しっかりした子は、
無理をしています。

聞き分けの良い子は、自分を抑え込んでいます。

背伸びをして、つま先で立っています。


幼少期は、心を育む特別な季節です。

親の目線で子を見おろして、

大人の都合にはめ込んで、

聞き分けが良い、いい子になった、と思っていないでしょうか。

この子の目線に降りて欲しく思います。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム





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